ゴールドのイスに乗ってスケベに登場!MPCの傑作キットが導く今日への道【アメリカンカープラモ・クロニクル】第22回

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1965年 ダッジ・リベリオン前夜

ダッジは1962年の屈辱を忘れていなかった。現在クロニクルが横断中の年からさかのぼること3年前、1962年式ダッジはフルサイズカー・ラインナップのダウンサイジングを前のめり気味に決断した。

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インターミディエイト(ミドルサイズ)車への開発着手ではない。「フルサイズカーをことごとく小さくする」という大胆な賭けごとの話であり、結果としてこの年ダッジの販売成績は大きくつまづいた。

本連載の読者には印象深いできごとだったと思われるが、1962年といえばホビーの老舗・レベルがamtやジョーハンと同じアニュアルキット市場へ参入しようとして大きな挫折を味わった年だ(本連載第12回参照)。そのラインナップにはダッジ・ダート440とダッジ・ランサーGTがあり、たった1年に終わったレベルの挑戦の中でもことさら売れ行きの振るわなかったキットとして記録されている。

同門のプリマス・ヴァリアントのバッジエンジニアリング・コンパクトだったランサーはともかく、1962年のダートといえばダッジのダウンサイジング・フルサイズカーの急先鋒であり、他のフルサイズより半フィート短く、400ポンドも軽い「自称フルサイズ」は市場から中途半端な車と認知され、ダッジ・ディーラーからは「ちゃんとしたフルサイズをよこせ!」と矢の催促、あわてたダッジは急遽クライスラーにニューポートのシャシー共有を承認させて「普通のフルサイズ」ダッジ・カスタム880を急造してひとまずディーラーを黙らせた。

以来ダッジ880は1964年次までラインナップ中ただひとつの正調フルサイズでありながら(それゆえに)連続登板を強いられるストップギャップとして戦った。

ダッジは沸き返るインターミディエイト/コンパクト市場をまだ難しい顔で睨んでいた。1962年にライバルのGMが同じこと(フルサイズカーのダウンサイジング)をやるつもりだという風聞に踊らされたとはいえ、結果的にいまの市場が求めてやまないサイズに近い車を提供してきたはずのわれわれに、いまGMとフォードが味わっているような甘果がもたらされないのはなぜなのか。

われわれが拙速に過ぎたことは認めよう。しかしこの市場の興奮は本物だろうか。ただの灰神楽ではないのか――ダッジの疑念への答えは「インターミディエイトは縮めたフルサイズではない」のひとことや「スーパー」「スポーツ」「セグメント」そして「スラント6 」といったいくつかのSを用いて端的に説明することができただろうが、彼らはひとときそれらを肚のうちにおさめてフルサイズ・ポンティアックのパーソナル・ラグジュアリーであるグランプリにまずは標的を絞り、典雅なダッジ・モナコを名乗るニューモデルをもってフルサイズカー市場に本格的な復帰を果たした。きちんと練り上げられた適正なフルサイズなしには、新たなインターミディエイトの作出もままならないという妥当な判断であった。

このニューモデルを潮目にとらえて、モナコおよびその下敷きとなったカスタム880のアニュアルキット化権を手にしたのは、誰あろうMPCであった。

いやらしいほどに充実したキット内容、そのアピール
ダッジといえばクライスラー系列で、そのアニュアルキット化権はジョーハンの排他的占有と考えられがちだが、ジョーハンにとって例外的ともいえるビッグ・プロジェクトであったクライスラー・ターバインや1962年以来一貫してキット化が続けられてきたクライスラー300からもわかるとおり、ジョーハンと真にのっぴきならない関係にあったのはあくまでもクライスラーであって、プリマスやダッジとの関係はその付帯的なものであった。

加えてジョーハンは、その傑出したキットの品質に較べて貧弱な販売網に長らく苦しんでおり、関係する自動車メーカーにおけるまっさらのニューモデルの登場はその台所事情と少なからぬ齟齬をきたしはじめていた。古くからプロモーショナルモデルとアニュアルキット・ビジネスが頼みの綱だったジョーハンだが、そこには相次ぐ新規開発に資する余裕が決定的に欠けていた。

MPCは新進ならではの気鋭をもって、ダッジのライセンスとこのフルサイズ・ニューモデルを遇した。とくに衆目を惹きつけたのはその行き届いたショーカー仕立てで、ボックストップには無塗装で組み上げられたゴールド成型のキットが、トロフィー風の台座にどっしりと据わっている写真(モナコ)と敷きつめられたレッド・カーペットにたたずむ写真(880コンバーチブル)がそれぞれあしらわれた。

どちらの箱にも「重要なメッセージ」と称して「ご覧いただいているのは、1/25スケール・ダッジ・モナコ2+2/ダッジ・カスタム880の実物写真です。この新しいスタイロン・プラスチックは、メタリックゴールドをベースにプロ仕様に仕上げられています。塗装は必要ありません。透明なトップコートをかければ、あなたのモデルはベスト・オブ・ショーです」とあった。

まるでバド・アンダーソンのような物言いだが、実際バド・アンダーソンは1965年、IMCでの短くも濃密な仕事をこなしながら、ジョージ・トテフ率いるMPCへの移籍を着々とすすめていた。老舗・レベルを振り出しにキャリアの双六を軽快にクルーズしてきた彼にとって、MPCはイヴ・モンタンが歌う「にぎやかな大通り(Les Grands Boulvards)」だった。

ジョーハンさえ舵を切ってみせたハードなレーシング・アプローチにひょいと背中を見せるようなMPCの動きは、本連載第21回にも述べたとおり、先の展開をすっかり見越した試合運びだった。第1ラウンドからたたみかけても、第2ラウンドで消耗してしまっては話にならない。1965年の次には1966年が控えているのだ。

読者はもうお察しだろう、1966年にダッジからはスーパーカー(マッスルカー)の申し子・チャージャーが登場する。チャージャーこそはダッジがそのセールス・ブローシャーにはっきりと謳うがごとく「ダッジ反乱軍のリーダー(The leader of the Dodge Rebellion)」であり、MPCがそのアニュアルキット化権を握っていたことはいうまでもない。

1965年、現状維持もややおぼつかない域に追い込まれていたジョーハンは、自社製品の完成度にさらなる洗練を加える一方、競合他社とのコラボレーションを真剣に検討するまでに到っていた。

きっかけと見るべきは間違いなく、MPCが金型制作を手がけてamtのバッジで市場流通した1965年式のダッジ・コロネット500(品番6025-150)である。1965年、モナコをもってフルサイズカーの適正化を図ったダッジは、同時にインターミディエイトの最適解としてこのコロネットをラインナップに加えていた。

すでに本連載第19回にて解説したことだが、ジョージ・トテフが古巣amtから離れて同業のMPCを興すにあたり取り交わした契約――いくつかのMPCオリジナル製品をamtの名において先行流通させる契約――の下に誕生したこの’65コロネットは、利潤こそ2社で分けることにはなっても、それを補って余りあるメリットを製造者のMPCにもたらす形態でもあった。

考えてみてほしい、モチーフは最新鋭の車、すみずみまでデトロイトの重要機密を満載したもので、そこへのアクセスを許されるのは流通者ではなくあくまで製造者だ。流通者の得る利潤はほんの「上前」に過ぎず、今後の展望やその付帯情報を含むライセンスは必ず製造者の手に握られる。真に立場が弱いのはMPCか、それともamtなのか。この答えを賢察したジョーハンはその後、オールズモビルのライセンスをめぐる駆け引きにおいて小さく輝かしい勝ち星を上げることになるが、それはまた後述としたい。

60年近く経って提出されようとする、課題の答
アメリカンカープラモの1965年は、かつてないほど多くの「宿題」を後世に遺した年だった。前述したMPC金型の’65ダッジ・コロネットは今もってただの一度も再販されておらず、その充実した内容から現在も愛好家から求められ続けるキットの最高峰に位置づけられている。

自動車メーカーと模型メーカー各社の思惑の陥穽にすっぽりとはまり込んだかたちのダッジ・コロネットというテーマが2024年現在、ふたたび注目をあつめていることを読者にお伝えして今回の締めくくりとしたいが、現在のアメリカンカープラモ市場に刺激を与え続けているメビウスモデルが、目下この’65ダッジ・コロネットのモダンな新金型キットを、強力なレーシング・バージョンであるA990として鋭意準備中である。

また同時に、ジョーハンを除くアメリカンカープラモ往年の大看板を金型とともにすべて掌握しているラウンド2が、MPCバッジの下に’68ダッジ・コロネットR/T・ハードトップの全面新金型によるリプロダクションをまもなく市場に解き放とうとしている。

前者’65は細部にいたるまで現代的な再現度を誇る精密キット、後者’68はあくまで再販不可能なMPC金型を手本に新しく作り起こし、細部のリファインを抜かりなく施しつつアニュアルキットの流儀にのっとって入手しやすくするリプロダクションキットといった性格の違いはあれど、この示し合わせたような動きはどんなに控えめにいっても「大事件」である。

「宿題」が遺されてから約60年が経過しようとしてもなお、市場から望まれるキットはその魅力の多くを1960年代から1970年代にかけての文脈に依拠している。そのピリオドを歳若くして駆け抜けた同時代人はもちろん、そこから大きく離れたのちの世代さえも、決して少なくない人数が、厳かな歴史の断片にふれるようなうやうやしさで遠い日の約束とその履行を見守っている。本連載をいつもお読みくださっているみなさんにも、このよろこばしさと興奮がわずかなりとも伝わることを願ってやまない。

 

※今回、MPC製ダッジ・モナコおよびダッジ・カスタム880は、アメリカ車模型専門店FLEETWOOD(Tel.0774-32-1953)のご協力により撮影した。

photo:羽田 洋、畔蒜幸雄、秦 正史

この記事を書いた人

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1972年生まれ。日曜著述家、Twitterベースのホビー番組「バントウスペース」ホスト。造語「アメリカンカープラモ」の言い出しっぺにして、その探求がライフワーク。

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