最新の土木技術で先祖返りする現代の東海道
東海道鈴鹿峠は標高378m。東の箱根峠(標高846m)に比べると高さは半分以下だが、三重側は平野部から一気に鈴鹿山脈に入っていくため急峻な山道となっている。東海道五十三次の道中では箱根越えに次ぐ難所だった。
ここを盛んに行き来していたのが、馬を曳いて荷物や人を運んでいく馬子たち。彼らが山道で歌っていたのが鈴鹿馬子唄である。
その『坂は照る照る 峠は曇る あいの土山雨が降る』という歌詞の通り、鈴鹿峠は天候の変わりやすい土地としても知られていた。三重/滋賀県境に沿って南北に連なる鈴鹿山脈は、伊勢湾側と大阪湾(琵琶湖)側との分水嶺をなしている。そのため降水量が多く、北西の季節風が吹く冬場には雪が降ることも珍しくない。
現在の国道1号・鈴鹿峠は、上り線と下り線が別になった片側2車線の快適な道で、難なく鈴鹿峠を越えていく。三重県側はコーナーの連続だが、標高差の小さい滋賀県側はときおり緩やかなカーブを描くだけ。そこをゆったり下っていくと、右手に田村神社の立派な鎮守の森が見えてくる。
田村神社の主祭神は坂上田村麻呂(758-811年)。東北地方における蝦夷との戦いで武勲を上げ、征夷大将軍に任じられた平安時代の勇将であることはご存じの通りだが、彼には鈴鹿峠で旅人を襲う悪鬼を退治したという伝説も残されている。
当時、鈴鹿山と呼ばれていた峠の周辺にはたびたび山賊が出没し、伊勢神宮へと下る勅使の行列さえ襲撃を受けたという。その麓で坂上田村麻呂は神霊となり、にらみをきかせてきたのである。
われわれ現代人にはイメージしにくいが、平安の都人にとって鈴鹿峠の向こうは未知なる東国。古代東海道の鈴鹿関も、旅人の行き来を監視する関所というよりは、魑魅魍魎の跋扈する化外の地に築かれた前線基地のようなものだったのだろう。
田村神社のすぐ西には、東海道49番目の宿場町・土山宿があり、そこから京までは15 里(60km弱)。琵琶湖南岸ののどかな田園地帯を走っていると、緑の茶畑の向こうにときおり姿を現すのが新名神高速の巨大な橋桁である。
東海道新幹線や名神高速が通っていることもあり、東海道というと、現代人は関ヶ原から琵琶湖東岸を抜けていくルートを思い浮かべがちだが、実はこちらは鈴鹿山脈を避けるための迂回ルート。東海道から中山道へと乗り換えているのである。
このあたりをクルマで行き来する機会の多い人はすでにご存じだろうが、愛知県東部から京都・大阪方面への移動は伊勢湾岸道と新名神高速の開通によって、かなり楽になっている。道幅が広く、カーブが少ないだけではなく、距離も30km以上短縮されているのだ。
さしずめ伊勢湾岸道は“七里の渡し”(東海道五十三次で唯一の海上区間)、新名神は“鈴鹿越え”といったところ。海も谷もひとまたぎにする橋梁や山塊を貫くトンネルなど、最新の土木技術によって高速道路のルートが、江戸時代の旅人が辿った道筋に“先祖返り”しているのだから面白い。
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