1962年、エンター・ザ・センチュリー21
1962年、ハブリーは’62フォード・カントリーセダンの発売をもってアニュアルキット市場から手を引いた。他社のキットが続々とそのアイテム数を増やし、amtに到っては発売される同年式の26種すべてにエンジンが付属するという空前の賑わいの中、その幕引きはじつにひっそりとしたものであった。
【画像64枚】多様性を増すamt製品と充実の兆しを見せるジョーハン、そのキットたちを見る
前年の7月にもアメリカンカープラモ/アニュアルキットのはじまりに大役を果たしたSMPがその看板を下ろしたわけだが、そのカープラモ事業のすべてをamtに無事移管したSMPのゆきとどいた引き際に較べると、ハブリーの撤退にはどうしてもつらい損切りの印象がつきまとった。
なんでも自由にふるまえるのはamtだけだった。アニュアルキット事業全体を「自社製品のシリーズ開発」と考えて方針を決められるのは実際amtだけで、ハブリーやレベル、ジョーハンら後発他社にとっては「人気あるジャンルへの参入」、最初から隙間うかがいなのである。後者にはしたくてもできないことが厳然とそこにあり、それらはすべて「amtにはできること」なのだ。
前述のとおり、この年amtはかつてないほどアニュアルキット製品の幅を拡大し、コンバーチブル、ハードトップ、その拡大版であるスタイラインキット、さらにはコンパクト(前年までエンジンパーツが付属しなかった新興の小型車やピックアップ)と、それぞれのラインナップに異なるボックスデザインを割り当てる策を打ち出した。
それぞれのデザインに名を与えるとするならコンバーチブルにはピンクボックス(あるいはショーボックス)、ハードトップにはグリーンないしブラックボックス(ジャンクションボックス)、コンパクトにはレッドないしブルーのフラップトップボックス(フレームボックス)。これらにはそれぞれ狙いがあり、総じてamt製品の値上げと販売方法のテスト的な意味合いが含まれていた。
よく見るとハードトップとスタイラインの箱にはキャンペーンステッカーが印刷されており、内容になにか特別な「ボーナスキット」が含まれていることを示していた。
「6種類のスタイラインキット――コルベット・サンダーバード・ギャラクシー・シボレー・ビュイック・ポンティアック――をすべて買うと1/25スケールのトライアンフ・モーターサイクルが完成します!」「5種類のハードトップキット――インペリアル・テンペスト・ノヴァ・マーキュリー・コンチネンタル――をすべて買うと1/25スケールのツインエンジン・ゴーカートが完成します!」「どちらも箱のキャンペーンステッカーが目印!」
というのがその種明かしで、前年よりぐっと数を増やしたスタイラインキットと、例年もうひとつ人気が振るわないためスタイラインに組み込まれなかったハードトップ、そこへ上記の法則にしたがってモーターサイクルないしゴーカートのパーツをばらばらに分けて封入し、全アイテムをまんべんなく売り切ろうという算段だった。
追加パーツが多くて少々価格設定の高いスタイラインキットのシリーズに、なにもしなくても売上の堅い人気のハードトップを囲い込んだわけだが、これは相対的に不人気車種の割安感、お買い得感を演出した。
この相対的なお買い得感はもちろん1ドル49の従来価格を維持したコンバーチブルにもしっかり影響した。アメリカンカープラモ/アニュアルキットの展開開始から5年、コンバーチブルはハードトップより不人気であることがあきらかになっていた。今となってはとてもレトロな、それでいて洗練された豪奢な未来を感じさせるオートショーの雰囲気を箱に与えられたコンバーチブルキットは売り場でもたいへんよく目立ち、ピンクボックスは1962年のamtを象徴するアートワークになった。
シアトル万博で見せたamtの絶好調ぶり
ピンクボックスには当時アメリカ国民の話題をさらっていたセンチュリー21博覧会(以下、シアトル万国博覧会)のイメージが援用されていた。実際、1962年4月に開幕したシアトル万国博覧会にamtは出展を果たしていた。
シアトルのダウンタウンからわずか95秒で観客を博覧会場へと運ぶ高速モノレールと、地上150メートルのパノラマレストラン付き回転式展望台までたった41秒で客を地上から運び去る塔・スペースニードルの先進的イメージによって国民の関心をあつめ、同時代のどの万博よりも大きな利益をあげたというシアトル万国博覧会に、amtはカスタムコーナー(Kustom Korner)という自社ブースを設けた。
黙っていても人の集まるフードサーカス(巨大フードコート)の建屋を出た西側、売店が軒をならべるブールヴァード・イーストの一角にamtはオーセンティック・モデル・ターンパイク(頭字語はAMT)と称する自社のスロットカー専用のコースを築き、そこを囲む壁をすべて埋め尽くすほど新製品を積み上げて、目ざとく訪れた少年たちにスリルと興奮、さらには両親の財布のひもがゆるむ絶好のチャンスをたっぷりと提供した。
さらに運がいい少年たちは、カスタムカーのカリスマであるジョージ・バリスや、「ラウド・ファスト・リアル(Loud, Fast, Real)」をモットーに発行部数をのばしていたホットロッド・ドラッグレーシング専門誌「カークラフト」にてモデルカーに関する連載記事を書きはじめていたバド・アンダーソンらと直接まみえることができた。このとき会場で頒布されたセンチュリー21/amtの特製デカールは、会場を訪れた者たちにとって忘れられない宝物になったことだろう。
はた目には飛ぶ鳥を落とす勢い、絶好調である。1/25スケール・アメリカンカープラモ市場のルールをつくるのはつねにamtであり、amt製品こそがアメリカンカープラモであるといっても過言ではない年だった。しかしビジネスが全体として右肩上がりであってもやはり売れるもの・売れないものの悩ましさは相応にあり、これ以降amtではやり方こそ違え「残ってしまうキットをふたたび売る方便はないか」「キットをひとつ2ドル、いやせめて1ドル79で売る手立てはないか」といった模索がひとつの重要な課題となっていく。
成長する子どもたちが相手の商売ならでは…の焦り
amtがこうした好調であるがゆえに悩ましい試行錯誤をしている一方で、ジョーハンはようやくひとつのアイテムをコンバーチブルとハードトップで展開する体制をととのえた。前年にはハードトップしか用意できなかったランブラー・アメリカンにコンバーチブルが加わり、また新たにスチュードベーカー・ラークがコンバーチブル/ハードトップともにニューキットとして登場した。
興味深いことにこの年のジョーハンは、amtよろしくコンバーチブルとハードトップで箱のデザインを分けて展開した。赤を基調としたコンバーチブル、緑を基調としたハードトップのボックスは、周回遅れであっても覇者amtと拮抗しうるのはわが社だけとの気骨を示したものか。
ジョーハンのキットはいまだすべてのアイテムにエンジン付属させるというamtが敷いたレールには乗り切れずにいたものの、呉越同舟を嫌ったクライスラーの水面下における支持もあり、唯一のオルタナティブとしての地歩は着実に固まりつつあった。
残るアメリカンカープラモ市場の懸念は、そろそろ本格化するメインターゲット層の移り変わりという点に尽きた。1957年のクリスマスに初めてのアメリカンカープラモに瞳を輝かせた10歳の少年はこのとき15歳、車のカスタマイジングにいまだ情熱を抱いているのならなおのこと、アメリカンカープラモの命運は危うかった。
10歳の少年でも組み立てることができたというのはアメリカンカープラモの大きなバリューであったが、後に続く世代の心をとらえる新しいスリルはつねに必要だった。市場は熱く盛り上がってはいても、それを仕掛ける者たちの眠れぬ夜は続いた。
そして翌1963年、ある男がひとつの決意を胸に大胆な行動に打って出る。誰もが予想しえなかった、まったく新しいアメリカンカープラモメーカーの登場である。
この記事を書いた人
1972年生まれ。日曜著述家、Twitterベースのホビー番組「バントウスペース」ホスト。造語「アメリカンカープラモ」の言い出しっぺにして、その探求がライフワーク。
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