小説ではけなしつつ太宰が愛した富士の眺め
天下茶屋は旅館ではなかったが、昔は旅人に請われると二階の八畳間を一夜の宿として提供することがあった。夕食は家人が食べるのと同じありあわせのもの。ところが、富士の眺めは素晴らしいし、素朴なもてなしもいいということで評判になり、いつしか下界の暑さを逃れて長期逗留する文人墨客が増えていくことになる。そんなひとりが、昭和13年秋、先輩の井伏鱒二に連れられてやってきた太宰治である。
昭和19年生まれの外川さん自身に太宰の記憶はまったくない。しかし、茶屋を切り盛りしていたご両親は太宰のことをよく記憶していて、いろいろな想い出を聞かせてくれたそうだ。そのとき太宰は29歳。母上に言わせると、大地主の息子で、東京帝大に学び、すらりと背の高い新進作家は「ここらの田舎じゃ、まったく見かけない若者だった」とのこと。今風に言うなら「オーラが違う」といったところだろうか。
ちなみに、 『富嶽百景』に登場する「おかみさん」は外川さんの母、「娘さんは」は叔母がモデルになっていて、10歳離れた長兄は太宰にとても可愛がられ、よく手を引かれて散歩などに出かけていたという。
ほんの一週間の予定が、 「何が気に入ったのか知りませんけど……(外川さん談) 」 、太宰の滞在は3カ月におよび、寒さの厳しくなった11月、ようやく峠を下って甲府の下宿へと移り住んでいく。そこで書き上げたのが太宰作品のなかでも中期の代表作とされる『富嶽百景』なのだった。
『実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり……』という富士の頂角の話で始まる短編のなかで、太宰は富士山のことを『風呂屋のペンキ画』とか、 『芝居の書割(かきわり)』などと軽蔑し、時には富士よりも道端の月見草を誉めたたえたりしている。しかし、その行間からは悠然たる富士への畏怖の念、さらには憧れや愛おしさがあふれんばかりに滲み出てくる。
『富嶽百景』は旅行中の若い女性ふたりに記念写真のシャッターを頼まれるシーンで終わっている。
『私は、ふたりの姿をレンズから追放して、ただ富士山だけを、レンズいっぱいにキャッチして、富士山、さようなら、お世話になりました。パチリ……』
小説の中では富士山にも、若い女性旅行者にも、終始アイロニカルな(皮肉っぽい)男を演じていた太宰だったが、実際に彼が撮った写真には、富士をバックにふたりの女性がきれいに写っていたことものちに判明している。
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