泣くな別所セドリックの花
戦後わが国のモータリゼーションが本格的に再始動を遂げ、その発展期に移ろうという頃、有名人への車両贈呈ということがよく行われていた。今日から62年前の今日、すなわち1962年3月13日に発表されたそんなトピックを、その一例として振り返ってみよう。
この日発表されたのは、日産からセドリック1900デラックスが、プロ野球の巨人軍・別所毅彦選手(当時)に贈呈されるというニュースであった。別所選手は1942年に南海ホークスへ入団してプロ入り、その後1949年に巨人軍へ移籍して、「剛球」「剛腕」投手としての名声を確立。1960年にはついに通算310勝という大記録を打ち立てている。そんな別所選手だが1962年には引退を表明、同年3月20日の試合が引退試合となった。
引退後は巨人軍コーチとして専心することを発表していた(その後は各チームでコーチや監督を務めたが、実際には解説者や野球評論家としての姿がお馴染みであろう)が、巨人軍では同選手の日本プロ野球への貢献とその功績を讃え、引退披露試合を行うとともに、高級乗用車の贈呈を決定したという。
そこで、「国産で最も優秀なクルマを」という別所選手の希望により日産セドリック1900デラックスが選ばれ、日産自動車および東京日産モーターからの贈呈となった、という次第だ。この贈呈にあたっては、巨人軍・佐々木代表から川上監督(いずれも当時)を通じて、東京日産モーターへ協力の依頼となったということであった。
このセドリックは、試合に先立つ3月14日から20日にかけて、後楽園球場正面入り口に展示、一般に公開されたとのことだ。まだまだ乗用車は贅沢品であった当時、来場客はさぞ羨望の眼差しを送るとともに、別所選手への敬意を新たにしたことであろう。
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