1964年 ザ・バース・オブ・アメリカン・スーパーカー
1964年、のちの世にいうマッスルカーとポニーカーがはじめひっそりと産声をあげた。
【画像63枚】スーパーでポニーなアメリカンカープラモたちを見る!
ひかえめなトリムのインターミディエイト(中型)ボディーに強力なエンジン、高性能ながら低価格という理想を実現し、当時の「カー・アンド・ドライバー」誌をして「こいつは多くの車が口先だけで言うことを本当にやってのけている」と言わしめたポンティアックGTOは、当初の売上予想5,000台をはるかに超えて32,450台もの販売を記録した。ポンティアック・テンペスト・ルマンのオプション・パッケージとして用意されたに過ぎなかったGTOは一躍時代の寵児となり、これをアメリカの大衆は昨今いわれているようなマッスルカーではなく、素朴に「スーパーカー」と呼んでもてはやした。
もう一方のフォード・マスタングはいわば看板の架け替えのようなものだった。手頃な中庸さ、無難さが大きな魅力であったコンパクトカー、ファルコンがその正体であったが、それがワイルドな悍馬のアウトフィットをまとうことで完全に生まれ変わった。名馬ことごとく悍馬より生ずるを地で行くマスタングはやがて「ポニーカー」という流行の概念を生み出した。
事前のかなり踏み込んだ情報開示と周到な準備により、実車とほぼ同時に生み出されるアメリカンカープラモ/アニュアルキットだが、GTOとマスタングのふたつは実車同様、通常のクリスマス・シーズンよりもずっと遅れて登場した。前年1963年のクリスマスにおけるアニュアルキットのラインナップはそれまでと同様、好調ではあるが悩ましさをどこか引きずったものだったのだ。
その端的な例はシボレーのプラモデルにあらわれた。アニュアルキットは通例、2ドアのコンバーチブルとハードトップを模型化するのが定石であったが、amtはこの年、シボレー・シェベルを題材にその定石を破り、エンジン付きのアニュアルモデルをシェベル・ステーションワゴン(2ドル)とし、ハードトップ・クーペのトップモデルであるシェベル・マリブSSをエンジンの付かない年少者向け簡易組立シリーズであるamtクラフツマンの目玉商品(1ドル)として展開した。
クラフツマンはそれまでジュニア・トロフィーを名乗るなどして散発的に(主にメーカーの都合で)展開されてきた年式落ちプロモーショナルモデル由来のエンジンなしキットを、最新年式を軸とした新シリーズに統合するための新しい看板であり、どうしても強力な二枚目役者が必要であった。そこでキャスティングされたのが「トライファイブ・シェビーの再来」ともいわれるシボレー・シェベルのトップグレード、マリブSSだったわけだ。
ある程度の需要があるとはいえ、カスタマイジングの素材とするにはやや例外的なシェベル・ステーションワゴンにはエンジンが付き、一方シェベル・マリブSSには肝心のエンジンが付かないこの事態はちょっとした混乱を引き起こし、先鋭化のはじまっていたやや年長のユーザーはamtのこの判断に以後ながらく不満を述べ続けることになった。
クラフツマン仕様は模型を裏返したときに見えるエンジン部分を浮き彫りのパネルとしてシャシーから別体化しており、しかるべきエンジンパーツさえ用意できればわずかな改造で「エンジン付きのマリブSS」を手にすることは可能だったのだが、その実現のための必要経費は3ドル、それまでのアニュアルキットふたつ分の小遣いをamtの祭壇に献上しなくてはならなかったのだ。
このちょっとしたフラストレーションは、明けて1964年の春に遅れてやってきたビッグ・トピックにあっさりと呑み込まれた。ポンティアックGTOとフォード・マスタングのアニュアルキットが満を持し、ようやく店頭に並べられたのである。
それまでのアニュアルキットはといえばすべて、ワン・オブ・ゼム(大勢の中のひとつ)の寄せ集めに過ぎなかった。先に例として挙げたシボレー・シェベルも、のちに巨大な売上を記録する名車となる運命をもし知っていたなら、amtもひとつ3ドルを稼ぐためのマネーゲームの駒などには決してしなかったに違いないが、ポンティアックGTOとフォード・マスタングもまた当初は取るに足らない「追加の変わり種」として遅まきに世に出ながら、実車のみならずアメリカンカープラモの人気チャートにこれらを頂点とする誰の目にもあきらかな勾配をつくり出してしまった。
GTOのプラモデルは、従来のフルサイズ車(インパラやギャラクシー)とは較べものにならない勢いで売れはじめ、各地の小売店であっという間にショート騒ぎを引き起こした。マスタングにいたっては、せっかくamtとコンサルタント契約を結んでいたカスタムビルダー・アレクサンダー兄弟が知恵を絞って製品に封入したカスタマイジング・オプションがさっぱり評判にならないという異常事態を引き起こした。ショールーム・ストックの人気がカスタムカーの人気をはっきりと上回ったのだ。
今やはっきりと風向きの変わったことを知ったamtだったが…
この2タイトルのすさまじい人気にひっぱられるように、1964年次のまだまだ数少ないインターミディエイト――この年になってライバルであるジョーハンからamtにライセンスが移ったオールズモビルのカットラスといったモデルにも、地味ながらはっきりと人気が飛び火した。(このとき、ポンティアックGTOの正統派ライバルとなるべき位置につけていたオールズモビル4-4-2は、すでに金型が完成していたカットラスと較べてめぼしい差異があまりないことを理由にキット化が見送られ、悲願のキット化を果たすまでに50年あまりの歳月を要することとなる)
さまざまなレースの隆盛・発展と歩みを同じくして、アメリカの大衆は公道を走る高性能のスーパーカーに恋をしはじめていた。日本に育ったわれわれが思い描くような、目玉が飛び出るほど高価なハンドメイドのヨーロピアン・スーパーカーが招いたブームと違い、アメリカのスーパーカー・ブームは若者でも手が届く質素で頑丈な大量生産品への讃歌だった。ぴかぴかしたメッキづくしの豪華装備を詰め合わせた退屈なフルサイズを大衆は見限り、その子息たちもまた、デトロイトから間接的に押しつけられる古臭いおもちゃにそっぽを向きはじめていた。
突如向きが変わった1964年の風にまともにあおられて初めて、amtは自らが保有するアニュアル・ライセンスがじつは両刃の剣であることを思い知った。デトロイトの言うがままにフルサイズを作っている場合ではないが、製品開発はいつも現実に先行し過ぎているがゆえに、いざというときの小回りが利かない――事実このとき、オールズモビルとamtとのアニュアル契約はせっかくのインターミディエイト(カットラス)から1965年のフルサイズ(88)への変更を含んで締結済みで、時代の潮目にまったく逆行しようとしていた。
そしてこうした混乱をいつもいちばんうまく収める副社長のジョージ・トテフはもはや会社を去っていた。彼が設立した新会社MPCを下請けのように扱う取り決めの条件は、アイテム数に換算してあと5つ。これが満了すればジョージ・トテフという強力なリソースをamtは一切利用できなくなってしまう。契約事に長けた社長のウェスト・ギャロリーの車そのものへの疎さが、1964年の業界激変でいよいよ顕在化しはじめた。
amtの頼みの綱は若い力、ジョージ・トテフと入れ替わるように雇い入れた、経験不足だが情熱みなぎる新人たちの頑張りにかかっていた。この新人たちにひっそり名をつらねていたジョン・ミューラーという若者が徐々に頭角をあらわし、これから激流にもまれることになるamt/ AMTの舵を果敢に切っていくことになるのは、またずっと後の物語である。
おことわり:amtの’64ポンティアックGTOはかような経緯によって、現代の中古市場においても羨望度のもっとも高い究極のレア・アイテムとなっている。ひとたび未組立・全点揃いのミント・コンディションが市場に出れば、400ドルでも決着がつかない状況にある。本稿の主役キットでありながら、今回縁なくご紹介がかなわないことをここにお詫びしたい。
この記事を書いた人
1972年生まれ。日曜著述家、Twitterベースのホビー番組「バントウスペース」ホスト。造語「アメリカンカープラモ」の言い出しっぺにして、その探求がライフワーク。
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