絶頂の中でのスタート
1958年当時、アメリカの自動車産業はきらびやかさの絶頂にあった。とかく後年の1959年ばかりが、空力的にも効果があるとの「信仰」をもって巨大化のピークに到ったテールフィンを根拠に「自動車デザインの極北の年」と喧伝されるが、実際には1958年の自動車デザインこそが歴史上もっとも大面積にわたってクロームトリムを奢った輝かしい頂点であった。
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1958年に産声を上げたアメリカンカープラモは、このクローム部品をふんだんに盛り込んであることをさかんにアピールし、こうした組立式キットの唐突な発売が、実は自動車産業による毎年のモデルチェンジにプロモーショナルモデルを追従させるため、その金型代に窮しての策だったことをとてもうまく糊塗した。
この年以前にもカープラモは確かに存在していたが、それらはいずれも自動車メーカー各社との濃密なつながりを持たず、あからさまに玩具的で、「部材は揃っているから小屋を建ててごらんなさい」とでもいわんばかりのバラバラの部品の詰め合わせに過ぎなかった。あらゆるメーカーに先んじてアメリカの組立式ミニチュアのパイオニアと呼ばれたレベル(Revell)においてすらそのありさまで、組立の難易度はきわめて高く、街往く自動車におそらくもっとも心ときめかすローティーンの少年たちにとっては挫折を夢の箱に詰めて売っているようなものだった。
まずもって実車の販売促進を主眼としたプロモーショナルモデルを手がけていたamtとその双児であるSMPは、最初からそこを乗り越える決定的な「手段」を持っていた。自動車メーカーから直接借り受けられる実車の詳細な情報・図面に、きわめてタイトなスケジュールによって鍛えられた自動車のボディーを一体成型できるスライド金型のノウハウ、完成状態で納品しなくてはならないプロモーショナルモデル由来の簡潔で合理的な部品分割。
専門的な工具や治具を持たない10歳かそこらの子供でも、これならきっと愉しむことができるだろうという思いがamtとSMPにはあったが、同様のスキルセットをすでに持っていたプロモーショナルモデルもう一方の雄・ジョーハンは、風聞したこの組立式キットの商品化には懐疑的で、ライバルのamtとSMPが果たしてこの試みに成功するかどうか、まずは1年成り行きを見ようという消極策を取った。
かくしてこの組立式キット――アメリカンカープラモのラインナップは、amtとSMPによって手分けされた。実際にこれは限りなく1社寡占に近い状況だったことは本連載第3回に述べたとおりだが、本来フォードとの蜜月を後ろ盾に身代を築き上げたamtが、当時鳴り物入りだった新ブランド・エドセルの製品化をSMPに譲った点はとても興味深い。確かにamtはフォード・フェアレーン500をこのアメリカンカープラモ元年に手がけるのだが、本当ならここにフォード・サンダーバードとリンカーン・コンチネンタルMk.IIIが加わるはずだったのだ。
ラインナップに空いた穴と、それを埋めたもの
58年次、サンダーバードとコンチネンタルはいずれも大きな転機にあり、前者はそれまでの純然たる2人乗りスポーツであることをやめ、より市場での可能性に満ちた4人乗りへと方向転換したいわゆる「スクエアバード」のスタートアップ、かつフォードにとって初のユニボディー実用化への挑戦であり、後者は56年まで独立した部門であったコンチネンタルの閉鎖にはじまって、リンカーン配下への編入やエドセルの準備のための熟練工の引き抜きといったさまざまな問題の果て、いずれも事前の準備が遅滞し、外部のメーカーによるミニチュア化に必要充分な材料を提供するどころの騒ぎではなかったのだ。
この「穴」を埋め合わせるように、当時もっともクロームトリムの占有面積が広かったビュイック、それにポンティアックが入り込み、結果としてamtのラインナップはたいへん賑わうこととなった。SMPは期待の重くのしかかるエドセル、シボレー、それにインペリアル(コンバーチブルのみ)を担当した。記念すべきアメリカンカープラモ元年、ラインナップは合計6モデル、ハードトップとコンバーチブルの別を数えれば11タイトルに及ぶ充実ぶりであった。
キットの部品を収める箱はすべて共通デザイン、年少者向けの組立式ホビーであることをわかりやすく示すため、箱絵には組立を愉しむ少年の絵があしらわれ、組立説明書もすべて共通のものがたった1枚。
惹句には「自分だけの本格的なスケールモデルカーを組み立て、カスタマイズしよう(Assemble and customize your own authentic scale model car…)」と感嘆符のひとつもなく謳われたが、カスタマイズに供するパーツはわずかにデカール、ホイールのハブキャップ、お世辞にも洗練されているとはいいがたいフェンダースカート(これは当時まだ素抜けのまま存在しなかったホイールウェル=タイヤハウジングをできるだけ隠すための工夫でもあった)程度にとどまり、のちのオプションの充実ぶりにははるかに及ばない、まことにささやかなはじまりであった。
それまでの車の組立式キットとは一線を画すモダンなフォーマットを揃えながら、ミニチュアメーカーの不安と慎重さをも詰め込んだ黎明のアメリカンカープラモは、予想外の大ヒットを受けて翌年、拙速とも映るほどの進化を遂げることとなる。この機を逃さずアクセルを踏み込んだのは、amtの実務責任者ジョージ・トテフと、ジョーハンの社主ジョン・ハンリーだった。
この記事を書いた人
1972年生まれ。日曜著述家、Twitterベースのホビー番組「バントウスペース」ホスト。造語「アメリカンカープラモ」の言い出しっぺにして、その探求がライフワーク。
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