掟破りの船出には、人知れず課せられたハンデも!「C2コルベット」で大海原へ進み出たMPC【アメリカンカープラモ・クロニクル】第19回

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1964年 MPC、雌伏雄飛の日々

アメリカンカープラモに限らず、現在のカープラモのフォーマットを決定づけた「父」であるジョージ・トテフが古巣amtを去った理由のひとつに、1963年におけるシボレー・コルベットの大胆なモデルチェンジがあったことは識者の多くが意見を一致させるところだ。

【画像63枚】両社の目指すところを如実に表すふたつのキットの詳細を見る!

amtは1963年次にまったく新しいシボレー・コルベット(以下C2コルベット)をアニュアルキットとしてリリースしていた。1963年次のamtアニュアルキットはまだ製品ごとのインディビジュアライズド・ボックス(個別箱)を完全に実現できていなかったことは本連載でも述べたとおりだが、生まれ変わった’63 C2コルベットもまた数多くのアニュアルキットと同じで格別の取り扱いを受けることなく、その革新的な内容に反してひどく凡庸なボックストップをまとったまま市場に出てしまった。

キットの販売初速はジョージ・トテフの想定には遠く及ばず、彼を大いに失望させたが、当時のamt経営陣の感覚にしてみれば「金型をほとんど一から作ったのに、売り上げは平凡でまいったな」程度のこと。パッケージの完全個別化はことここに到って喫緊の大事と認識されはしたものの、「作ったものすべてがまんべんなく売れてほしい」というデトロイトの旧弊な願望を、初期のamtは「AからZまであるものを、Cだけ売れても困る」といったかたちで我知らず深刻に内面化してしまっていた。

そんなamtを後にしたジョージ・トテフは、新会社MPCの名を冠した製品第1弾としてこのC2コルベットをテーマに選んだ。1964年におけるたったひとつのMPC製品であり、結果としてそれはマタイによる福音書17章20節にいう「ひと粒の芥子(からし)」となった。

MPCの’64 C2コルベットはきわめて精巧に作り込まれたキットで、ステアリングが切れるフロントホイール、デュアルクアッド・キャブレター/フューエル・インジェクション/6-71スーパーチャージャーの3つのセットアップが選べるエンジンといった予言的かつタイトな魅力を盛り込みながら、amtのアニュアルキットが売りにしたような3イン1――このギミックはしばしば目的と手段が転倒し、ファンが喜ばない選択肢を数多く生みもした――を廃し、「この製品は僕たちの望みを理解し応じてくれようとしている」との念を、とくに経験を積んだユーザーに強く印象づけた。

MPCの’64 C2コルベットが打ち破った前例は製品仕様だけにとどまらなかった。1964年次、最新のC2コルベットはamtからもまったく別のキットが同時に登場したのである。

1962年秋に登場した1963年型で、シボレー・コルベットは二世代目に移行した。初代末期のリア周りのデザインを活かしつつ、その水平基調なイメージで全体を統一したスタイリングは、今見ても魅力的である。カープラモの世界でも非常に人気となったことは想像に難くない。

アニュアルキット・ビジネスの複雑な構造を熟知する百戦錬磨の前線指揮官でもあったジョージ・トテフは、amt時代からの付き合いであるシボレーからアニュアルキットの二重ライセンスを巧みに引き出し、それまで堅固だった排他性をC2コルベットにおいて切り崩すことに成功した。

1964年以降、C2コルベットの最新モデルはamtとMPCの2社が同じ1/25スケールで並び立つ限定的な解放区となったが、これはC2コルベットのずば抜けた魅力が、本連載第18回にて取り上げたフォード・マスタングと同様、大衆の人気に極端な勾配を作り上げたことの鮮やかな証左でもあった。

C2コルベットもマスタングも登場した時点できわめて高度に完成された生まれつきのスターであり、その模型は従来のような「まだ知られざる」実車のプロモーショナルアイテムであることよりも「すでに人気沸騰中の」実車の関連商材であることにより高い価値が生じるものであった。amtにもMPCにも、もっといえばペダルカーや貯金箱といったものにまで汎く製品化を許諾することで、シボレーにもフォードにも決して馬鹿にならない利潤が生じた。

このような活況はC1コルベットやファルコンには到底なし得ないものであった。(フォード・マスタングもまたC2コルベットと同じく、1967年次からamtとMPCがアニュアル・ライセンスを分けるもうひとつの解放区となっていくが、一方ポンティアックGTOがそうならなかった理由を読者諸兄はどうか推測してみてほしい)

凝りに凝った内容のMPC製1964年型コルベット・スティングレイ
amtの品番6924をつけた’64 C2コルベットは、他の車両(たとえばトロフィー・シリーズの何か)を積んで牽引するトレーラーを加えている他は、これまでどおりのストック/カスタム/レーシングの3イン1仕様を踏襲したとくに目新しいところのない平凡なアニュアルキットであった。

対してきっぱりと品番「1」をつけたMPCの’64コルベットは孤高の存在感すら放つ精密キットで、盛りだくさんのおまけもインパラSSやコルベアといった脇を固めるラインナップもなく、特例が認められるに充分な資質をそなえていた。いわばMPCのそれはアニュアルキットとは違う、誰の目にも異質なキットとして映ったわけである。

さらに目新しいことに、MPCの金型加工拠点はカナダに設立されたまったく新しいものだった。当時のカナダはアメリカの工場とは当然ながら労働法規も慣行もまるで異なっており、amtのイニシャル・スタッフとして就職する以前からなにかにつけてカナダと縁の深かったジョージ・トテフはここに目をつけ、アメリカでは実現の難しかった費用対効果の高い精密金型工場を周到な準備のもとに新設した。他ならぬ彼自身がプラスチックモデルの精密金型に関して革命的な実績を持つエキスパートであったことも、このスマートな構築に大きく与した。

’64コルベット以外のアイテムを何ひとつ同時展開しないMPCの戦略は、かつて1958年次にamtを一気に躍進させたのと真逆をいく新参者の小商いであるかに見えた。しかしMPCは前述したようなカナダ工場のもたらすコスト抑制効果と、ジョージ・トテフ自身の卓越した信用と手腕によって、生まれたての会社が充分に力をつけるだけの「仕事」を集めていた。

MPCを立ち上げるにあたって古巣amtから課せられたファイブ・カウント――MPCが新たに作るキットの5タイトルについてamtが販売・流通の優先権を得る契約――の設計・製造と並行して、MPCはカープラモのデザインに格段のノウハウを持った強力な外注先として、その頃アメリカのホビー市場を眈々とにらんでいたイギリス・エアフィックスの1/32スケール・カープラモの開発に深く関与していた。

アメリカに匹敵する強大な自動車産業も、またアメリカ流プロモーショナルモデルの慣習もなかったイギリスが、展開の初手からモダンなワンピースボディーをそなえたカープラモをさらりと生み出し得たのも、黒子と呼ぶにはあまりにも透明なジョージ・トテフの存在を抜きには成立し得ないものだった。当時カープラモのワンピースボディーは「見よう見まねでやればできる」という簡単な代物ではまったくなかったのだ。

それは足枷か、業界の互助システムか、あるいは…?
ここで一度、MPCがamtのために金型を用立てたキット5タイトルのうち、1964年に発売されたもの3点を俯瞰してみよう。

  • ●1928 ロイ・スタブナウズ・モデルAフォード(品番2128・1964年・1ドル50)
    ●ジョー・ウィルヘルムズ・ワイルドドリーム&ドン・トニオッティーズ・キングT ダブルキット(品番2164・1964年・2ドル)
    ●カークラフト・ドリームロッド(品番2165・1964年・2ドル)

まったく同じ体裁では再販されないのがアメリカンカープラモの定石だが、キットはいずれも後年になって金型を改造する余地のほとんどないショーカーである。ダブルキットだったワイルドドリームとキングTだけは例外的にMPCのバッジのもと一度だけそのまま個別に再販され、カークラフト・ドリームロッドはビル・クッシェンベリーによるオリジナルの姿がわからないほどの改造を施されてタイガー・シャークを名乗る謎のショーカー・キットとして1967年に甦ってはいる。

しかし1964年時点でのこれらは、売るにあたって時勢の追い風が欠かせないテーマをMPCに作らせてamtは利鞘を取り、始末の難しい金型がMPCに遺されるかたちであったが、MPCは黙してこれに従った。

このあとしばらく時間をおいて登場することとなる残りの2タイトルはいわば伏せられたままのブランク・カードであり、テーマが確定するまではMPCとamtをつなぐパイプのように機能した。amtにとってはかつて同社のプリンシパルであったジョージ・トテフから意見を聞く余地として、MPCはamtの動向をモニタリングする情報戦上の貴重な「穴」として。

一見なにかと複雑怪奇なアメリカ・ホビー業界の互助とも戦いともとれるこの構図に、amt・MPCいずれかの、あるいは両方の狡猾さを見出すかどうかは読者の賢察にまかせるところだが、筆者の見解は先にふれた聖書の一節をここに引用することをもって代弁としたい。マタイによる福音書17章20節にはこうある。

「(悪霊を追い出すことができなかったのは)ひとえにあなた方の不信仰のせいだ。はっきりと言うが、もしあなた方に芥子ひと粒ほどの信仰があれば、この山に『此方から彼方へ移れ』とひとこと言えば山はそのとおり動くだろう。そしてあなた方に不可能はないだろう」

ジョージ・トテフはその生涯を通じて、たいへん敬虔なキリスト教徒であり続けた。自らの思い描く理想のカープラモづくりを志し、芥子ひと粒ほどのプロダクトから発願した彼は、わずか数年のうちに大きな山を本当に動かし、そこにあいた蟻の巣ほどの穴から山を崩すことなく海ほどの水をすんなり通すことに成功してしまう。

photo:羽田 洋、畔蒜幸雄、秦 正史

この記事を書いた人

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1972年生まれ。日曜著述家、Twitterベースのホビー番組「バントウスペース」ホスト。造語「アメリカンカープラモ」の言い出しっぺにして、その探求がライフワーク。

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