モデルカー業界に吹き渡る西海岸の風!カリフォルニア・ローバック精神を見よ!【アメリカンカープラモ・クロニクル】第17回

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1963年 カリフォルニア vs デトロイト

本連載はこれまで、話をあくまで1/25スケールのアニュアルキット――自動車メーカーが毎年発表するニューモデルに対し即時性をもって登場するプラモデル――に限定してきた。これらはいわば「デトロイトの意思」とでもいうべきもので、1/25というスケールに到るまで、アニュアルキットは真新しい実車の宣伝・販売促進と切っても切れない関係があり、その事業はamt、ジョーハンらデトロイトに拠点を置く企業に半ば寡占されていたわけだ。すべてはインターネットなき時代。

【画像50枚】モノグラム、レベル、amt…それぞれの道が接近し交差する様子を見る!

一方で、カスタムの文化はカリフォルニア発祥のものといえた。それぞれのオーナーによって思い思いにカスタマイズされた車は、その価値を世に問うため、合法・非合法の別を問わずレースに参加し、ときにはレースそのものを作り出してスピードを競い合った。最初は草レースに過ぎなかったものが次第に組織され、レギュレーションが定められ、観衆と金があつまり、勝利の栄光はほんとうに黄金色に輝いた。

デトロイトからのお仕着せではなく、こうした活き活きした現場を疾走する車に模型の題材を採る動きは早くからあって、カリフォルニア州ベニスに拠点を構えていたレベル(Revell)、それにモノグラム(Monogram)――創業はシカゴながら、1968年にはやはりカリフォルニアの玩具大手マテルに買収されることとなる――は地勢的にこういった動きを早くからリードしていた。

じつのところ、レベルやモノグラムの初期のカープラモにはデトロイト発のそれに見られるような厳密な縮尺がなく、販売される製品のパッケージにもそうした表記はほとんど見られなかった。一説によればその縮尺を決めるものはむしろ使用されるプラスチック原材料の重さ(オンス)であったともいわれている。初期のそうしたキットのいくつかの例を今回は写真入りで取り上げるが、そのスタイリングやディテールは存在する実車を忠実に模したものであるよりも、ホットロッドやドラッグレースの「気分」、それらしいもっともらしさを組立式モデルに鋳込んだものであった。

伝説的スケールモデルとして語られることも多いモノグラムの’32フォード(デュース)にしても、初出の1954年版は「モノグラム・ホットロッド」(当時のカタログ品番から通称『P2ホットロッド』と呼ばれる)と銘打ったいたって素朴なもの――唐竹割りボディー、フロントグリルからサスペンションまで一体成型、素材はアセテート――で、1958年次の「amtショック」を受けて急遽看板を掛け替え、1959年にようやく’32フォードを名乗ったものに過ぎなかった。

タイトル画像の左側、モノグラム製デュース・ロードスターはこのようなパーツ構成となっていた。左右割りのボディー、グリル/ヘッドライトケース/サスペンションが一体のフロント周り、エンジンだけでミッションケースのないパワープラントなど。

揺るぎないライセンスを背景にしたamtによる、ボディーのスクリプトに到るまで実車を忠実に模した本当の意味でのオーセンティック・スケールモデルの衝撃が、まだライセンスどこ吹く風だったホットロッド・カスタムとドラッグレーシングの本場カリフォルニアに地震のごとく響いたわけだ。

1年に1回、リバティーベルのような正確さで新製品を出すデトロイト勢のスケジュールに較べ、カリフォルニア勢の動きは天衣無縫だった。ストリートにたむろする「顔役」たちはみなカジュアルで、現場に踏み込んで話をつけさえすれば、模型化の契約に稟議もその場にいない重役のサインも必要なかった。話は全米規模の販売を予定する量産車にかすりもしないから、結果としてかっこいい車、ドラッグストリップで最速の車、ストリートの顔役が自慢とするカスタム、はちゃめちゃなアウトフィットのショーモデルが積極的に選ばれた。

amtショックの結果、精密さとアキュラシー(忠実度)はその価値の重さを増したが、必要経費も含めた実車取材のハードルはデトロイト勢が苦労するそれよりはるかに低かった。魅惑の取材対象が鎮座するカリフォルニアのスピードショップには、GMデザインルームのように金にうるさく堅苦しいスーツマンもブルドッグ似の警備員もいなかったのだから。

レベルの売りは”スピード・アンド・ショー”
本連載が今まさに横断している1963年までに、カリフォルニア勢のカープラモ・ラインナップはデトロイト勢のそれとはまったく毛色の異なるものに成長しつつ、同時にamtの動向からも影響を受け、また逆にamtに対して影響を与えもする存在になっていった。amtが最新の年式をあえて外した車を「トロフィー・シリーズ」としてキット化するとき、レベルは「スピード・アンド・ショー・シリーズ」を立ち上げてカウンターとした。

最新年式ではない、つまりは「年次契約外」の車を、比較的安価なライセンスの下で開発期間をじゅうぶんにかけてキット化し、カリフォルニア的なホットロッド/ドラッグレーシング・シーンも見据えた3イン1の味付けで提供するamtトロフィーに対し、レベルのスピード・アンド・ショーはミッキー・トンプソン(地上最速を追求するボンネビル・ソルトフラッツの名士、ビルダー・プロモーター)、トミー・アイヴォ(俳優あがりの記録破りドラッグレーサー)、さらにはエド・ロス(ロウブロウアートの人気者にして奇想のカスタムビルダー)といった当時話題のビッグネームと契約し、その顔を前面に押し出して「スピードとショー」をテーマにしたダイナミックなマシンを矢継ぎ早に送り出した。

レベルにとってはamtとは決定的に異なる「重い背後関係からの自由」こそが武器であり、この試みは1962年のアニュアルキットにおけるあの蹉跌(本連載第12回参照)とは比較にならない利益を会社にもたらした。

価格の壁を打破する契機となったダブルキット
こうしたレベルの一連のキットが見せた身軽で勢いのある展開が、注目すべきことにアニュアルキットの「1ドル49の壁」に苦しんでいたamtにあるひらめきをもたらすことになった。amtは1960年に、’25フォード・モデルTを(多少の差異をまじえ)2台分ひと箱に収めた「トゥーキット」(Two Kit)というキット形態をトロフィー・シリーズの一環として販売していた。

現在も日本のハセガワやチェコのエデュアルドなどにみられる「2個セット」商法であるが、一体成型の大きなボディーが箱にごろりと横たわるアニュアルキットに較べ、全体的にパーツがかさばらず、剥き出しのエンジンなどにむしろ見どころの多いフォード・モデルTのようなクラシックカーやホットロッド/ドラッグレーシングのアイテムは、アニュアルキットとほぼ変わらないコスト(それは目方であったかもしれない)で2台をワンセットで販売できる=ひと箱2ドルで売れるという発想によるものだったが、これをまったく異なる組み合わせとすればより力強く売れるのではないか、ホットロッド/ドラッグレーシングのアイテムはそうしたモチーフの宝庫ではないか、という可能性に思い到った。

フライドチキン2本は持て余すが、甘いワッフルと組み合わせるなら、これはきっと飽きのこないサザンコンフォート・プレートになる。

1961年に発売されたamtダブル・ドラッグスターは前年のモデルT 2個セットの反省を踏まえ、1960年に人気を博したジム・ネルソン/デイド・マーティンのトゥー・シング・ディガーという比較的コンパクトなドラッグスターに、デトロイトのドラッグシーンで名を挙げたウォルト・ノックのフィアットベース・アルタード・ドラッグスターを加えたインパクトある組み合わせが選ばれた。

小粒でも実車さながらのきわめて高い忠実度と精密さ、ユーザーの知識やインスピレーションによっては3イン1を軽く超える多彩な組み味、無駄のないお買い得感がアニュアルキット消費層とはまた違ったシーンで評判になった。とりわけフィアット・ドラッグスターの凝りに凝った再現度は白眉で、モチーフとなったウォルツ・パフアーIIそのものを多くのユーザーの机上に出現させて「これだけでも2ドル出せる」との思いを組み上げた者に強く意識させた。

amtはこれに気をよくし、主に制作陣主導のかたちで同様のキットを次々ものにしていくが、この動きに機敏に対応したレベルは1963年にほぼ同様のダブル・ドラッグスター・キットをシリーズ展開、カリフォルニア~ロサンゼルスの地で確実に築き上げたスピードショップ・コネクションを十全に活用し、ムーンアイズ・ドラッグスターやさらに小粒なバンタム、はてはamtと同じようなアルタード・フィアットまでもこのラインナップに組み入れて応戦した。ダブルキットの潮がすっと引いた頃、アニュアルキット以外のアメリカンカープラモはすっかりひとつ2ドルの商品になっていた。
ライセンスの重きを背負わない(背負いたがらない)が技術のすこぶる高いレベルとモノグラム、創業以来の重いビッグ3ライセンスを背負うがゆえに「実車に忠実」が必ず製品ににじみ出るamt、このカリフォルニア勢とデトロイト勢のカラーを異にする者たちが影響し合いつつも火花を散らし、これを火種にまだ生まれたてのMPCやいまだ決定的進化を遂げられずにいたモノグラムはやがて燃え上がり、見る者にめまいを起こさせるような彩りをアメリカンカープラモに加えてゆく。

 

※今回、グリーン・ホーネットとモデルT、バリアントを除く全てのキットは、アメリカ車模型専門店FLEETWOOD(Tel.0774-32-1953)のご協力により撮影した。

photo:秦 正史、畔蒜幸雄

この記事を書いた人

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1972年生まれ。日曜著述家、Twitterベースのホビー番組「バントウスペース」ホスト。造語「アメリカンカープラモ」の言い出しっぺにして、その探求がライフワーク。

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