1962年、レベルの蹉跌
1962年という年は、紆余曲折を経つつ21世紀のいままで続くアメリカンカープラモにとって、記録にも記憶にも末永く残る豊穣の年であるとともに、後世へと抜きん出て強く影響を残す年となった。amtやジョーハンによるアメリカンカープラモ市場の活況を目の当たりにしたレベルが、同じ1/25スケールのアニュアルモデルキット市場に参入を果たしたのである。
【画像63枚】レベルはこの屈辱を忘れない…!1962年型キットの出来栄えを見る!
整理しておきたいのだが、アニュアルモデルというものは単なる車のプラモデルではなかった。端的にいえば、デトロイトの主要自動車産業各社が毎年おびただしい資源をつぎ込んで開発・宣伝する最新モデルの一次情報にどこよりも早くアクセスして模型化し販売する排他的権利そのものがアニュアルモデルであり、すでに市場での人気が沸き立っている対象を模型化するよりもぐっと冒険ではあるが、衆目がまだ見ぬ実車と同時展開して当たりを取れればその莫大な利益を独占することにつながる。
自動車のスタイリングにおいて爆発的かつ分岐的な試みが繰り返された1950年代を経て、収斂と洗練、さらに高度な差別化のフェーズに突入したこの時代にあって、こうしたアニュアルモデル契約にどれほどの価値が見出されたか想像してみるといいだろう。
レベルはここに到る以前にも、組立式プラスチックモデルカーの数々を世に送り出してはいた。1951年にはイギリス出身の天才的玩具設計者であるゴーランド父子による古典的名車の組立式ギミックトイ「ハイウェイパイオニアーズ」の北米流通を担いスマッシュヒットさせたのを皮切りに、1955~56年にはリンカーン・フューチュラやポンティアック・クラブ・ド・メールといった当時話題だった未来的なコンセプトカーを明確なスケール表記なし(いわゆる箱スケール)にフィギュアを付けてキット化するなどの試みをぽつぽつと繰り返していた。
しかしながらレベルは、amtのように自動車メーカーとの包括的なライセンスの下に模型をつくることにはつねに消極的で、同社がようやく重い腰を上げたのは1961年次(展開開始は1960年のクリスマス商戦)、クライスラーとの正式な商品化契約の下に設計・製造したHOスケールの61年式クライスラー車のセットものキットであったが、パッケージからなにから鉄道模型に付帯するプレイセット玩具的な性格の強かったこの商品は、小売店によってamtらアメリカンカープラモと同じコーナーではなく鉄道模型コーナーに積み上げられてさっぱりヒットせず、クライスラーの厳しい監修によって小粒ながらも正統派スケールモデルの体裁をととのえたレベルとしては大いに期待外れの結果に終わってしまった。
狙いはクライスラー系各ブランドに定めて…
1950年代のレベル製カープラモのフォーマットは、amtのようなスライド金型を駆使した一体成型のボディーを持たないバラバラの箱組キットであったり、アイテムごとのスケールがまちまちであったり、市場への訴求という点ではいまひとつであった。なによりもまずかったのはその散発的な展開の仕方で、1958年次のamt/SMPのように、まとまった複数モデル・統一スケールの同時展開によって市場が「シリーズ」と呼びうる道をつけることができなかった。
これはひとえにレベルという元祖プラモデルメーカーが包括的なライセンスという考え方をどうにも欠いていたからに他ならなかった。ことここに到ってライセンスの重要性をはっきり認識したレベルは、前年振るわなかったHOスケール・クライスラーの拡大版との位置づけで先行するamt・ジョーハンを追撃する構えをとった。
法的にも鉄壁を誇ったamtが抱えるフォードとゼネラルモーターズ系各社のライセンスをうかがうことなく、設計・生産体制に弱みの残るジョーハンが手がけていたクライスラー系アイテムに照準を定めたともいえるレベルは「ジョーハンとは違う4ドアモデル」「ジョーハンとは違うモーターライズ」の方便を盾にも矛にも使い分けて斬り込み、初手から堂々6アイテムのキット化にこぎつけた。
品番順にプリマス・ヴァリアント(4ドア)、プリマス・フューリー(2ドア)、ダッジ・ダート(4ドア)、ダッジ・ランサーGT(2ドア)、クライスラー・ニューポート(コンバーチブル)、インペリアル・クラウン(4ドア)。セダンのヴァリアントとコンバーチブルのニューポート以外はすべてハードトップ、トリムレベルはアイテムによってさまざま。
いずれもエンジンが付属しているが、ホイールの左右をつなぐ金属製のアクスルシャフトは後輪のみで、amtのようにエンジンに不自然な切り欠きなどはなかった。また透明なヘッドランプのレンズが前後一体のウィンドウパーツの見えなくなる部分に巧妙に配置されることでパーツ化され、競合他社の製品仕様より一歩踏み込む意地をみせた。巷を席巻するカスタマイズ熱にもわずかながら配慮がなされており、amtが看板としていた3イン1やカスタマイジングといった語を避けて「ハイスタイルパーツ」を名乗るオプションをごく控えめに盛り込んだ。
わずか3~4年の先行を他社に許すうちにamtからは塗料、ジョーハンからはランダムな成型色バリエーションといった斬新なアイデアが登場したのは本連載でもすでに語ったとおりであるが、レベルは「メタルフレークキット」と呼称するじつに奇抜な特別パッケージを用意した。これはパーツの成型色を半透明にし、樹脂にあらかじめ輝度の高いメタルフレークを混ぜ込むことで塗装不要、あるいは「ボディー裏面から塗装することで驚きの効果が」と謳うもので、価格は通常キットの1ドル49に対し、1ドル98もの高値をつけた。
パッケージはジョーハンとほぼ同じやや平らで頑丈なトップオープンの貼箱で、箱絵はすべてクライスラーが実車の宣伝に用いた写真やイラストレーションを転用し、各アイテムの個別化とコストダウンを同時に図った。また特筆すべきことに、レベルは価格98セントの別売品として、小型モーターとギアからなるモーターライズユニットを展開した。早くから自社製品の全世界展開をあれこれ画策していたレベルらしい一手で、モーターは日本の東京科学ことマブチモーターから調達、同じルートを通じてキットは日本のマルサンとのダブルネーム製品として本邦にも輸出された。
総じてレベル製の1/25スケール・アニュアルキットはそつなくよくできた品だった。レベルもその品質に自信を持っていたことを裏づけるように、広告では「レベルのキットはまるで本物」とのフレーズが盛んに振るわれ、またクライスラーのお墨付き商品であることがことさらに強調された。
レベルに足りなかったもの、残したもの
しかしながら、レベルのこの堂々たる6アイテムはセールス面において惨敗と呼んでもいい結果を招いてしまった。理由はのちの識者たちからも百論あるが、4ドアという型はカスタマイジングを目指す若年層にはやはり受けが悪かった。最新式とはいえストックセダンはカスタマイズの対象というより、交差点の信号が緑に変わった瞬間かっこよくスープアップされたホットロッド・カスタムカーに遅れをとる平凡な車の役回りだった。カスタマイズパーツの追加に消極的で、なにかというとクライスラーの名を持ち出すレベルの姿勢もネガティブに作用した。
amtにはジョージ・バリスという一流のカスタマイザーがおり、彼に感化されて昨年キャンディー塗装への一歩を踏み出した少年ペインターにとっては、ボディーのみならずシャシーまで半透明ラメ入りプラスチックで成型された2ドルもする高級車はむしろジョークの種にうってつけだったはずだ。またジョーハンはといえば、数年来の苦戦から廉売に舵を切りかけており、車を安く買ってきて手をかけることで魅力的に生まれ変わらせるというホットロッドのローバック(Low-Buck)精神に少なくともかなっていた。うれしくない成型色のキットに当たってしまったとしても好きに塗装すればいい、1961年の「洗礼」を受けた少年たちはそう考えた。
レベルの6アイテムには今も解明されざる「謎」としてプリマス・フューリーの2ドアハードトップが存在するが、奇妙なことにこれはジョーハンとのまったきアイテム競合であった。アニュアルキットライセンスの排他的性格からしてこれはまことに異例という他ない事態であったが、顛末はともかくレベルのフューリーはユーザーにあまり歓迎されなかった。
ジョーハンのフューリーにははっきりあったカスタマイジングの文字、ジョーハン流3イン1表記である「ビルド3ウェイズ」の文字がレベルのそれには見当たらなかったこと、6アイテムのほとんどを占める4ドアのイメージが唯一の例外にも作用してしまったこと、クライスラーの広告写真を転用した優雅なボックスアートがカスタムの可能性を少しも感じさせなかったこと……おそらくはそうしたすべてが作用した結果として「普通の車」を作ってしまったレベルの挑戦は終わり、翌1963年のアニュアルキットのラインナップにはもうレベルの名はなかった。
現在すでに金型も失われたと噂されるレベルの’62アニュアルキットのうち、唯一消息のわかっているキットがある。ダッジ・ダートがそれで、このキットは大胆な金型改造が施されて架空のファニーカーとして1968年に生まれ変わり、「ダッジ・レベリオン(Revellion=反逆者 Rebellionのもじり)」を名乗った。
エンジンやドライバーの配置の奇天烈さといい、メタルフレーク入りゴールド成型のボディーといい、ファニーカーのファニーカーたる要素をこれでもかと抽出した「概念のプラモデル化」とでもいうべき強烈なキットだが、ここには1962年の蹉跌をレベル自身けっして忘れまいとする執念と「ライセンス商売くそくらえ!」とでもいいたげな胸中が透けて見えるようで興味深い。
この記事を書いた人
1972年生まれ。日曜著述家、Twitterベースのホビー番組「バントウスペース」ホスト。造語「アメリカンカープラモ」の言い出しっぺにして、その探求がライフワーク。
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