1959年、アメリカンカープラモの戦端が開かれる
アラスカとハワイがそれぞれ49〜50番目の州としてアメリカに迎えられた年、1959年はアメリカンカープラモにとってじつに忙しい年となった。
【画像63枚】なんとか主要車種を網羅した1959年次のキットとプロモを見る!
前年はこのモダンな組立式ホビーの市場の行く末に懐疑の姿勢を示していたジョーハンが、初年度から大当たりを取って賑わうamtとSMPの様子を目の当たりにして、プリマス、ダッジ、オールズモビル、そしてキャデラックのライセンスをひっさげて参入してきたのである。amt・SMPと同じプロモーショナルモデル出自の経験とスキルセットを持ちつつ、生粋の模型のエキスパートであるジョン・ハンリーを社主に戴くことで一歩抜きん出た精密さを製品に吹き込むことができたジョーハンの参入は、amt・SMPにとって予想されたこととはいえやはり脅威であり、amtはその布陣にマーケティングのエキスパートを招き入れることでこれに対抗しようとした。のちにamtのマスコット「ミスター・キャット(Mr. KAT)」として知られることとなるバド・アンダーソンの参画である。
バドは実車もプラモも抜群のセンスで改造してのける器用さと、そうした車が衆目を集めるありとあらゆるイベントに必ず姿をみせる軽快なフットワークを持ち、なおかつ当時南カリフォルニアを中心としてその勢いをいよいよ東海岸にまで拡大しようとしていたホットロッドシーンにとにかく顔が利く男であった。彼はamtの豊かなカリスマ性を持つ営業マンとしてアメリカ全土を渡り歩いて同社の製品の魅力を巧みに売り込み、かつ市場からのリアルなフィードバックを会社に持ち帰った。
はじまりはといえばフォードにべったりの、気の利いた販促製品を用立てるニッチなサードパーティーに過ぎなかったamtが、ごく短期間のうちに先行する組立式ミニチュアホビーのパイオニアであったレベルやモノグラムといった存在を抜き去ってトップに躍り出た背景には、まずもってジョージ・トテフがもたらしたワンピース成型ボディーの先進性があったが、今度はここにバド・アンダーソンの「現場の知見」が加わることで――もっといえば他でもない製造現場指揮者のジョージ自身がバドに「感化」されることで――amtはほどなくホットロッドファンにも力強く訴求する、自動車メーカーのお仕着せにとどまらない新ラインナップの下地をすっかりととのえることになる。
この年にはまだ名前さえない、アニュアルモデルとはまったく異なる新シリーズ「トロフィー・シリーズ」の胚胎である。
前年amtの製品内容を踏襲したジョーハンだったが…
一方のジョーハンにしてみれば、こうした水面下の動きはつゆ知らず、たった1年、されど1年水を開けられたところをとにかく埋めようとただただ躍起だった。amt・SMPが1959年次のニューモデルとして発表した10車種20タイトルに及ぶ製品群には、はっきりと1年分の「進化」が盛り込まれていて、前年はただの隙間であったホイールウェルは実車さながらにインナーハウジングを持ち、デカール1枚のオプションに過ぎなかったコンペティション仕様にはロールバーがパーツとしてきちんと用意され、テールランプのパーツはあらかじめ赤い成型品となり、カスタマイズのためのパーツはさらに多岐にわたって充実した。
しかしながらジョーハンは前年のリサーチを元にキットを開発してしまったがため、amtがわずか1年で改善してみせたポイントは何も盛り込まれず、ホイールウェルは素抜けのまま、タイヤは硬く、カスタマイジングオプションはささやかで、デカールに到っては1958年のamt・SMPキットのそれを丸写しにしたような垢抜けないフレイムパターン、なんとも周回遅れ然とした仕様での船出となってしまった。
加えてジョーハンの製品点数はわずかに4点、プリマス・フューリー、ダッジ・カスタム・ロイヤル、オールズモビル98スポーツセダン、キャデラック・フリートウッド(後者2点は4ドア)といずれもハードトップばかりでコンバーチブルは用意されず、車種の選定も最新鋭のコルベットや待望のサンダーバード、モデルチェンジしたてのインパラといったあたりをハードトップ・コンバーチブルの両面から揃えるamt・SMPと並んでしまってはいささか渋く、ターゲットユーザーである年少者のジャッジはジョーハンにとって満足のいくものとはならなかった。
この溝をジョーハンはその矜持を賭けて後年乗り越えていくこととなるが、それでもここに端を発する両社の明暗は後年に到ってもじりじりと、また前述したamtの水面下の「仕込み」によってもさらに拡がっていき、ついには世紀をもまたいで完全決着をみることとなるが、それはまたずっと後の物語である。
まず迎えるは1960年、アメリカンカープラモは後年そのアイデンティティーとなるエンジンパーツをついに獲得して、700万ともいわれるユーザーが潜在する市場もろとも、いよいよ熱く燃え上がっていく。
※今回の画像については、作例とプロモを除いた全キットを、アメリカ車専門モデルカーショップ、フリートウッド(Tel.0774-32-1953)にご協力いただき撮影した。
この記事を書いた人
1972年生まれ。日曜著述家、Twitterベースのホビー番組「バントウスペース」ホスト。造語「アメリカンカープラモ」の言い出しっぺにして、その探求がライフワーク。
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