街道、馬車道、高速道路……時代ごとの碓氷峠がある
国道の碓氷峠を越えたら、次は軽井沢のアウトレットモール……ではなく、旧中山道の碓氷峠も訪ねてみたい。
軽井沢は中山道69次における江戸から18番目の宿場。明治以降、欧米人向けの避暑地として開発が進み、町並みはすっかり様変わりしてしまったが、最盛期には100軒近くの旅籠が建ち並び、数百人もの飯盛女(遊女)が働いていたという。現在、『旧軽銀座』と呼ばれるメインストリートが昔の宿場街で、その東に延びる山道を登っていくと、昔の碓氷峠にもクルマで行くことができる。
峠には日本武尊の伝説に由来する熊野神社が鎮座している。県境にまたがるこの神社の面白いところは、神様を祀る社が中央にひとつ、群馬側と長野側にそれぞれひとつずつの計3つあること。見た目にはひとつの神社なのだが、熊野神社(群馬側)と熊野皇大神社(長野側)という2つの宗教法人に分かれていて、中央の社殿の前には2つの賽銭箱が仲良く並んでいる。さらに山門の石段を下ってくると道路脇の側溝に印がしてあり、「ここに流れ込んだ雨水は太平洋と日本海に分かれていく……」とある。筆者のような“分水嶺マニア”にとっては、堪えられないスポットなのだ。
明治11年、明治天皇の北陸巡幸に際して、中山道の碓氷峠は大がかりな改修が行なわれた。ところが、当日は生憎の雨で馬車が立ち往生。明治天皇ご自身もずぶ濡れになって険しい山道を歩くことになったという。
「いまの時代なら、役人の首がいくつも飛んでいたでしょうね」
匿名希望の安中市教育委員会の方は愉快そうにこんな逸話を教えてくれた。国道18号の元になる馬車道が軽井沢-横川間に完成したのは、その6年後、明治17年(1884年)のことである。
時代ごとにさまざまなルートが開かれてきた碓氷峠のなかで、最も古いとされるのは律令時代の官道・東山道である。隋や唐の交通網にならって建設された官道は、道幅がたっぷり取られ、できるだけ最短距離で直線的に道筋が拓かれていたのが特徴で、「古代のハイウェイ」と呼ぶ人もいる。
さまざまな調査から推定されている東山道のルートは、現在の碓氷峠よりかなり南寄り、上信越道や碓氷バイパスのあたりを抜けていたらしい。古代のハイウェイが現代の高速道路やバイパスの近くを通っていたというのも、実に面白い話である。
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