【知られざるクルマ】 Vol.12 ドイツフォードの「タウヌス伝説」……なんでもかんでも車名が「タウヌス」だったって、ほんと?

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誰もが知る有名なメーカーが出していたのに、日本では知名度が低いクルマをご紹介する連載、その名も【知られざるクルマ】。今回は、アメリカ以外の市場で売られるクルマも、 “アメリカ車” でひとまとめにされがちなビッグメーカー「フォード」の中から、かつて存在した「ドイツ・フォード」の代表車種「タウヌス」について取り上げることにしたい。

ドイツ・フォードの設立は1931年

フォード=アメリカという図式は間違っていないが、世界各国の現地法人で生産を行っているため、「アメリカ以外のフォード」が多いのも事実だ。かつて日本でも、1974年設立の「フォード・ジャパン」が、80年代に入ってからマツダ車をバッヂエンジニアリングによってフォード車に仕立て、マツダ系「のオートラマ」販売網で売っていたことは記憶に新しい。

日本フォードでは、マツダ車をベースに独自の車種を開発していた時代があった。写真は、ファミリアNEOのフォード版、「レーザー・ハッチバック」。

実は、日本にフォードがやってきた歴史はもっとずっと古く、1925(大正14)年には早くも日本でモデルTの販売、ノックダウン生産まで行っていたのだからスゴい。同様に、ヨーロッパへの進出も早く、イギリスには1911年に「イギリス・フォード(フォードUK)」を、1925年にはドイツに販売や組み立ての拠点を設け、1931年になって正式に「ドイツ・フォード」を発足した。

なおこのほかのエリアでは、オセアニアに1926年の「フォード・オーストラリア」が、南米には1919年に「フォード・ブラジル」が設立されている。フォードがいかに早く海外進出をしていたのかがわかる。

1967年、フォード・ブラジルは、かのウィリス・ジープを作ったウィリスのブラジル法人を傘下に収めた。その際、買収前にウィリス・オーバーランドと縁が深かったルノーが開発したモデルを、「フォード・コルセル」として1968年に発売した。コルセルは、当時最先端のFF車で、その中身は「ルノー12」そのものだった。

かつてヨーロッパ・フォードは、「ドイツ」と「イギリス」で別車種を作っていた

本題の話になかなか辿り着かないのがこの連載の特徴(欠点?)だが、もうしばらく前フリにお付き合いいただきたい。ここでストーリーを「イギリス・フォード」「ドイツ・フォード」まで戻そう。

英独2つのフォードは、現在は「ヨーロッパ・フォード」として一元化されているが、1960年代末まで、それぞれが、エンジンまで異なるレベルで違う車種を生み出していた。1965年頃を例にとると、イギリス・フォードでは小さい順から「アングリア」「コーティナ」「コルセア」「ゼファー」「ゾディアック」と続くが、ドイツ・フォードでは「タウヌス12/15M」「タウヌス17M/20M」という車種構成だったのである。「えっ、ドイツ・フォードの車名、おかしくない? 全部タウヌスだったの!?」というツッコミが、今回の記事の趣旨である。

映画「ハリー・ポッター」にも登場する、4代目「フォード・アングリア(105E)」。1959年から1967年まで生産された。「クリフ・カット」のルーフデザインが特徴。

イギリス・ドイツの両フォードを、一括して治めるべく生まれたヨーロッパ・フォードの誕生は1967年。その使命は、2つのフォードが欧州域で違う車種を作っていたことを改め、車種を一元化することも含まれていた。その先鞭をつけたのが、1969年発売の「エスコート」で、イギリス・フォードで開発、両フォードで生産が行われた。

ドイツ生産のエスコート。イギリス設計のイギリス仕様を左ハンドル化したもの。1L・1.1L・1.3Lの直4 OHVエンジンもイギリス・フォード製だったが、イギリスでは搭載の1.6L DOHCユニットは、ドイツ仕様には用意されなかった。

  • 排気量・ボディが違っても「全部、タウヌス」 その1・タウヌスのはじまり編

  • さて、いよいよ本題。そう、ドイツ・フォードの車名は、小型車から中・大型車まで、全部「タウヌス」だった。12、15、26などの数字は排気量を示していたものの、わかりやすく例えれば「トヨタ・カローラ」の車名で、コロナ・マークII・クラウンクラスまでカバーしていたようなものだ。トップレンジのクラウンを「カローラ26」と言われても(笑)。しかも、「車名が全部タウヌスだった時期」は、1939年から、ヨーロッパ・フォード設立の頃……1960年代末まで継続していた。これも驚きである。
  • これが最初のタウヌスで、第二次世界大戦前の1939年に登場。1935年発売の「アイフェル」を継いだ車だった。本国の1938年型フォードを縮小したようなストリームラインのフォルムは先進的。エンジンはサイドバルブの1172cc。戦後も、まずはこのクルマから生産が再開されている。

    • 排気量・ボディが違っても「全部、タウヌス」 その2・小型車「12M/15M」編

    • ■タウヌス12/15M (P1:1952-1959)

  •  これから先、この記事には延々とタウヌスの文字が踊る(涙)ため、小型車の「12/15M」と中級車以上の「17/20/26M」の系譜を分け、さらにP1、P2など、モデルごとのコードで区別をしながら解説していきたい。まずは小型車の「12/15M」から始めよう。
  • 1952年、外観が近代化した新しいタウヌス(P1)がベールを脱いだ。エンジンは初代タウヌスのサイドバルブを引き継いだが、デザインは本国フォードに倣って一気にモダンになり、モノコックボディ採用で軽量化も果たしている。車名の“12M” は、排気量を2桁にした数字と「マイスターシュトゥック(Meisterstück=マスターピース/お気に入り)」を示す。
  • 本国フォードが1949年に採用した、当時最先端のフラッシュサイド・ボディを得たタウヌス12M。

    続いて1955年には、数字のとおり1.5Lユニットを積んだ12Mの上位車種の「タウヌス15M」を追加。エンジンは、旧態然だったサイドバルブエンジンからようやくOHVに。12Mの38psから55psにアップして、性能も大幅に向上した。

  • 「タウヌス15M」。12Mと同じボディに1.5L OHVエンジンを載せる。外観上でもメッキを増やし、明らかに差別化されていた。写真は、1955年式の「15M デラックス」。

    ドイツ・フォードの商用バン「FK」は1953年のデビュー後、1961年から名前を「タウヌス・トランジット」に変更した。つまり、これもタウヌスの一員。って、やはり全部車名がタウヌス! 後輪駆動のため、リアエンジンのVWタイプ2よりも後部からの積載がしやすかったが、エンジンが前にあるため静粛性で劣り、タイプ2の牙城は切り崩せなかった。

    ■タウヌス12M (P4:1963-1966)

  • 1958年には、車体を大きくして1.7Lを乗せた中級車種「タウヌス17M(P2)」が誕生したが、こちらの流れは後述しよう。一方、1952年にデビューし、ドイツ・フォードの製品水準を引き上げたタウヌス12M/15M(P1)は、1963年に後継の「P4」にバトンを渡した。なお、P4は「戦後発売された4番目のフォード」を意味している。

     

    P4は、フォード初のFFの採用のみならず、独創的なV4エンジンを搭載するなど、画期的なモデルに仕上がっていた。FF化と異例にコンパクトなV4エンジンによって、室内空間は格段に拡大。フラットなフロアも大きな特徴だった。

    このように、中身を見るととても欧州的なモデルのP4だが、実は、VWのアメリカ進出に対抗した「カーディナル計画」によって、アメリカ本国のフォードで売る小型車になる予定だった。しかし欧州で部品を作る計画に、本国フォードの労組が反対。ドイツでタウヌスとして発売されることになったという。

  • もはや車名以外、従来のP1から引き継いだものは何もないほど、画期的で意欲的な設計を盛り込んだタウヌス12M(P4)。V4エンジンは1183ccのOHVで、40psを発生した。V4では避けられない振動の問題には、バランサーシャフトを組み込んで解決。1963年には、排気量を1498ccに拡大して55psを得た高性能版「TS」を追加している。このエンジンは、1964年登場のタウヌス12Mクーペにも積まれたが、これらは「タウヌス15M」とは呼ばれなかった。

    ■タウヌス12/15M もしくは単に12/15M (P6:1967-1970)

  • タウヌス12/15M (P4)の後継は、1967年にフルモデルチェンジを受けたタウヌス12/15M(P6)である。スクエアになったボディはさらにモダンになり、室内空間も拡大。V4+FFの基本設計はP4を受け継いだが、12Mのエンジンは1.3Lに拡大(でも13Mにはならなかった)。P4に設定していた1.5L版は、P6では「タウヌス15M」として独立している。

     

    なお1968年から、ヨーロッパ・フォードの発足に合わせて車名からタウヌスが消え、単に「フォード12M」「フォード15M」などと呼ばれるようになった。エンジンのバリエーションも増え、15Mには、タウヌス17M用1.7L V4も移植された。

  • P4同様、P6でもボディバリエーションは豊富で、写真のトゥアニア(ステーションワゴン)のほか、2ドア/4ドアセダン・2ドアクーペなどを擁した。フロントサスペンションはP4の横置きリーフ+ウィッシュボーンから、ストラット+コイルに進化していた。

    こちらは、スタイリッシュなクーペ。このスタイルを生かしてスポーツイメージを高めた「15M RS(ラリースポーツ)」も存在した。ちなみに、これまたややこしいのだが、この頃、イギリス・フォードも独自でV4エンジンを開発していたため、ドイツ・フォードのV4を「ケルン」、イギリス・フォードのそれは「エセックス」と呼んで区別することがある。

    フランスのミッドシップ・スポーツカー、マトラM530のエンジンは、フォード15M用の1699cc V4だった。2+2のスペースを確保するため、極めてコンパクトなフォードV4が選ばれた。

    排気量・ボディが違っても「全部、タウヌス」 その3・中級車以上「17M/20M/26M」編

  • ■タウヌス17M (P2:1958-1960)

  • ここからは、前述のタウヌス17Mにはじまる、中型〜大型タウヌスの話に変わる。

     

    タウヌス12/15M(P1)は1.2〜1.5Lクラスの小型車だったため、ドイツ・フォードは戦後初の中型車として、タウヌス17M(P2)を1958年に送り出した。車名はタウヌスだが、ボディはP1とまったく異なり、全長は300mm以上長く、堂々とした体躯を持つ。タウヌス12/15M(P6)に先んじて、フロントサスペンションは独立式を採用。当時としては革新的なクルマだった。

  • 小さなアメリカ車のような、タウヌス17M(P2)。写真は高級版のデラックスで、派手な2トーンカラーもアメリカ調。エンジンは1698ccの直4 OHV。

    ■タウヌス17M (P3:1960-1964)

  • わずか2〜3年ほどで姿を消した第一世代のタウヌス17M(P2)の後継が、タウヌス17M(P3)だ。P2のアメリカ車的な面影を一切捨て、丸いフォルムを持って出現した。楕円のヘッドライト、U字型のバンパーなど、各部のディティールも極めて斬新だったが、市場では好意的に受け止められ、売れ行きは好調だった。

     

    標準の1.7L直4のほか、1.76Lの高性能版「TS」、1.5Lを搭載したモデル(ややこしいが、これも15Mとは呼ばない)、2ドア・4ドア・トゥアニアなど、エンジン・ボディバリエーションも豊富だった。

  • 今見てもギョッとするスタイルのタウヌス17M(P3)。ドイツでは「バスタブタウヌス」というあだ名で親しまれた。内部メカニズムはP2のキャリーオーバー。全長は4.5m近くある。

    リアビューも、徹頭徹尾楕円と円のモチーフを反復する。タウヌスはFF・FR両方あるが、基本的には17M以上のクラスにはFRしかない、と覚えるとわかりやすい(かな?)。

    ■タウヌス17/20M (P5:1964-1967)

  • 斬新なスタイルのP3は、あっさりと4年でフルモデルチェンジを受け、1964年にP5に生まれ変わった。この代のタウヌス17Mからは、2LのV6を積んだ「タウヌス20M」も登場しており、ボディも一回り大きくなった。デザインの各部にP3の要素を残しているが、車格の向上に合わせてオーソドックスなものに戻されていた。トピックは、1.5L・1.7L版のエンジンが、P3の直4から、お得意のケルンV4に置き換わっていたことだった。
  • U字型バンパーを継承しつつ、高級感のある姿になったP5。写真は、V4をベースに開発されたV6エンジンを積む「20M」。20Mにのみ、2ドア・ハードトップが設定されていた。

    タウヌス20M(P5)をベースに、イタリアのOSIが流麗なボディを載せたカスタムモデルが、タウヌス20M TSクーペ。わずかな台数が生産されたという。

    ■タウヌス17/20/26M もしくは単に17/20/26M (P7:1967-1972)

  • もうタウヌスの文字を見ても何が何だか……かもしれないし、今回、この連載で最も長い記事になってしまいそうだが、あと3項目なので最後までご覧いただけたら嬉しい。

     

    1967年の秋、ミドルクラスのタウヌス17/20M(P5)はフルモデルチェンジを受け、P7に発展。同時に、車名からはタウナスの文字が消え、単に「17M」「20M」となった。1968年秋には早くもマイナーチェンジを受け、本国フォードのような雰囲気を獲得したが、P3やP5のような個性は失われた。1969年のフランクフルトショーでは、ヨーロッパ・フォードのフラッグシップとして、2.5LのV6を搭載した高級モデル「26M」を発表して、ラインナップの拡充を図った。

    その後17/20/26M(P7)は、1972年登場の「コンサル」と、その上級版「グラナダ」に置き換わって姿を消した。コンサル/グラナダは、イギリス・フォードの旗艦だった「ゼファー/ゾディアック」の後継でもある、英独一元化の車種だった。

  • 1967年はヨーロッパ・フォード設立の年だが、P7まではドイツ・フォードの純血車種だった。写真は1968年の17M。車名からは、タウヌスの文字が消えている。ヨーロッパ・フォード発足以降では、旧ドイツ・フォードでも「エスコート」「カプリ」などタウヌス以外の車名を採用しており、「車名全部タウヌス」という時代から脱却していた。

    ■タウヌスTC (1970-1976)

  • ヨーロッパ・フォードの車種一元化計画により、12/15Mの代替として登場した「タウヌスTC」は、イギリス/ドイツ・フォードともに、エスコートに続く同一車種として1970年に登場した。TCは、ドイツ名:1967年以来の復活となるタウヌス、イギリス名:コーティナ(Mk.III)の頭文字を取ったもの。つまりこの頃、旧来のタウヌス系を継いだ「17/20/26M」にはタウヌスの文字がつかず、新興の “TCモデル” がタウヌスを名乗っていたことになる。
  • FF で斬新な設計を誇った12/15Mから、FRに戻ってしまったタウヌスTCだが、クセのないバランスの良い車種でもあり、セールスは好調だった。イギリスでは、コーティナ(Mk.III)を名乗った。

    ■タウヌス(1976-1982)

  • タウヌスTCは1976年にフルモデルチェンジされて、タウヌス/コーティナMk.IVとなった。実際はタウヌスTCをベースとしているので、タウヌスTCの2代目でもあるのだが、1970年デビューの古さを感じさせないほど、内外装はモダナイズされた。

     

    タウヌスTCをモダンに造形し直して新車種にしたタウヌス/コーティナMk.IVは、1979年になってさらに大掛かりなフェイスリフトを行い、より近代的な姿になった。この際、コーティナはMk.Vに発展している。

    2/15M系のラストを飾るこのタウヌスは、1979年にさらに大きめの改良を行ったのち、1982年に後継の「シエラ」に道を譲った。それは、タウヌスの長い歴史にピリオドが打たれた瞬間でもあった(この長い記事にも……笑)。

    ※シエラについては前回記事をご覧ください
    https://carsmeet.jp/2020/11/25/151079-5/

    ヨーロッパ系フォードの話は、日本では知られていないことが多く、この連載で取り上げるネタは大量にある。そこで、次回はスペシャリティーカーの「カプリ」をご紹介したい。

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