「ドイツ車のある人生」ドイツ車のマイスターを探したら行き着いた『匠の重鎮』

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長年に渡りドイツ車に携わっている方や乗り継いでいる方から話を聞きたく探し回った。行き着いたのは、ヤナセの前身となるウエスタン自動車時代から、様々なドイツ車の修理に携わってきた“匠の重鎮”山沢陽一さん。ドイツ車の中でもとりわけメルセデス・ベンツと過ごした、メカニックとしての45年を語っていただいた。

45年間日本で普及するドイツ車を影で支えた男

塵ひとつ落ちていないクリーンなファクトリーには、新旧色とりどりのメルセデス・ベンツが並んでいる。陸揚げされて販売店へ出荷される前の真っさらな新車があれば、その脇では半世紀以上も前のクラシックカーが徹底したレストア整備を受けている。この不思議な光景は、ヤナセオートシステムズの一拠点である横浜ニューデポーの敷地内に「ヤナセ クラシックカーセンター」が設立されたからだ。ヤナセが長年販売を手掛けてきたメルセデスを始めとしたドイツ車に対して、そのレストア事業もますます加速している。

ヤナセクラシックカーセンター・山沢陽一さん/1975年にウエスタン自動車に入社後、ヤナセテックセンターを経て、現在はヤナセ クラシックカーセンターに勤務し、新車、クラシックカーを問わず整備を行なう。

一連の活動に欠かせないキーパーソンであり、ヤナセにとっての財産と言っても過言ではないのが、同社で45年もメカニックを務める山沢陽一さんだ。輸入元がウエスタン自動車だった時代から、1986年に日本法人(MBJ)が発足する流れの中で、彼は長年にわたり、陸揚げされた新車の整備や排出ガス試験や保安基準対応などの国内改善を担当してきた。
「ウエスタン自動車に入社した頃、よく触っていたのはW116(初代Sクラス)、R107(3代目SLクラス)などでした。1980年代には景気の良さが手伝って、日に日に台数が増えていった。毎日夜遅くまで仕事して忙しかったけれど、活気があって貴重な経験もできて、面白かったですね」

ヤナセクラシックカーセンター・山沢陽一さん

2000年になると全国のヤナセ拠点の車体整備や重整備を専門に受け持つ部門として設立されたヤナセテックセンターに設立当初より在籍し、それらの整備を幅広く担当した。つまりは日本で生き長らえるメルセデスの、特にクラシック勢の多くは、ずっと山沢さんたちが手をかけてきたのだ。
「メルセデスって安全に対する意識がとても高い。それは昔から一貫している。とにかく頑丈だった時代から、今度は衝撃を吸収して人間を守る技術へ。今では危険検知と回避能力が進んでいるでしょう。自動車の進化を常にリードしている存在だと思います」

下取り車として入庫したW116にはウエスタン自動車が輸入したことを示すプレートが。1970年代に山沢さんが手掛けた個体は、40年以上の時を経て再び彼の職人技で復活する。

フォト=篠原晃一/K.Shinohara ルボラン2020年11月号より転載

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2020/11/12 12:00

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