【知られざるクルマ】 Vol.3 まさに知られざる……VW最初の水冷FF車「K70」

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誰もが知る有名なメーカーが出していたのに、多くの人に知られていない「知られざるクルマ」をご紹介する連載。第3回は、現在のフォルクスワーゲン(VW)ラインアップの基礎を築いた“VW最初の水冷FF車”「K70」をお送りする。

RRからFFへ……VWの歴史的大変換

VWといえば、世界のFF1.5BOXハッチバックのベンチマーク「ゴルフ」をはじめとして優れたFF(前輪駆動)車を数多く輩出。パワーソースは現代の標準である水冷・直列エンジンを基本とする。一方でVWといえば、車体後部に空冷の水平対向エンジンを載せて後輪を駆動するRR車のイメージも強い。

1960年代後半から1980年代にかけて、主な自動車メーカーは駆動方式をFR(後輪駆動)からFFに切り替えていった。技術面の克服や、市場が受け入れてくれるかどうか、などいくつかの課題はあったが、各社とも転換は比較的スムーズに行われた。VWも時代の趨勢に合わせ新時代に舵を切ろうとしたが、同社の場合は駆動方式だけでなくエンジンの基礎から大きく異なるため、RRからFFへの変換は容易ではなかった。「VWイコールRR」という時代が長く続いたのだから、それは尚更だった。

RR時代のVWは、基本的にタイプ1=ビートルをベースに車種を展開していた。

RR車のラインアップ強化と熟成を進めたVW
それではどうやって、VWがRRからFFに転換したのかを追ってみよう。

1960年代を迎えたVWは、第二次世界大戦直後の1946年から発売を開始したビートルの上級車種として、1961年にビートルのシャーシに近代的なノッチバックセダンのボディを載せた「タイプ3」こと「1500」を発売した。バリエーション追加や改良を繰り返し1973年まで製造されたが、ビートルほどの販売台数は記録できなかった。

車種の強化は進み、1968年には旗艦となる「タイプ4」の「411」が登場。全長4.5mになる大きな車体は、VW初のフルモノコックボディになってビートルのシャーシを使用しなくなり、足回りもフロント:ストラット、リア:トレーリングアームの全輪独立懸架を採用した。1.7Lまで拡大した空冷フラット4はビートル用とは別物で、ポルシェ914にも積まれた通称 “タイプ4エンジン”。1969年には電子制御燃料噴射を装着して最高出力を80psまでアップした「411E」に発展した。

タイプ1・ビートルや1600(タイプ3)以上の車格を持つ旗艦モデルとしてデビューしたタイプ4の「411」。ナンバープレートはスウェーデンのもの。なお現在VWグループ傘下にあるスウェーデンのトラック・バスメーカー「スカニア」は、1950年代から2000年代初頭にかけて、VWのスウェーデン総代理店を務めていた。

さらに1972年のマイナーチェンジでは、不評だったスタイリングに手が入り、逆スラントノーズのマスクを得て車名も「412E」に変更している。しかし、そのインジェクションにトラブルが続発したため、翌年には排気量アップ+燃料供給をキャブレターに戻して(!)「412S」となって、1974年にカタログ落ち。ドイツ本国で開発されたRR車の最後を飾るクルマだったが、ライバルの近代的なモデルに比べると古さは否めず、最後まで販売台数は伸び悩んだままだった。簡潔に言ってしまえば、タイプ4は失敗作だったのである。

タイプ4・411は1972年にマイナーチェンジを行い、「412」に発展。ハッチバックに見えるが、ファストバック風のセダンだった。タイプ4には、シリーズを通してワゴンボディの「バリアント」も設定していた。

古くから構想されていた「ビートルの後継車」「次世代のVW」
このように1960年代以降もRRのニューモデルを発表し、1970年代まで作り続けたVWだが、1950年代から最量販車種のビートルの後継車を早くも計画していた。中でもビートルの開発者たるポルシェは、EA41、47、51、53などいくつものプランを提案したが、いずれもRRのままだった。

1960年代に入りRR時代脱却の検討が進んだが、1967年になって突如「水冷・直4エンジンのFF車」を採用した試作車「EA235」が出現する。一方ポルシェも引き続きVWの次世代車開発依頼を受けていたため、水冷・直4エンジンを床下ミッドに積む「EA266」を1969年に提案している。エンジンをフロントに置かない後輪駆動というところに、VW(とポルシェ)のポルシェの意地を感じさせた。

このほかRRの大型セダンに空冷フラット6を積んだ「EA128」や、フラット4をフロントに積んだFF「EA276」などの特徴的な試作車が数多い。なぜこれらのEAコード車の多くが採用されなかったのか……という話も記したいが、今回の記事テーマから逸脱してしまうので、改めて紹介する機会を頂きたい。

数多く試作されたビートルの後継車のひとつ、水冷直4エンジンをリアに積む「EA266」。ひょっとしたらゴルフではなく、こちらが量産されていたかもしれない……という歴史を持つ。

VW最初の市販水冷FF車「K70」は、あの「NSU Ro80」の兄弟車

このように新世代車種を模索し続けていたVWだが、1969年になって「NSU(エヌエスウー:Neckarsulmer Strickmaschinenfabrik、ネッカーズルム編機工場)」をVWグループ内に収めていた。

NSUといえば、世界で初めてロータリーエンジン(RE)を搭載したメーカーとしても知られ、同社2番目のRE車として1967年に登場した「Ro80」を思い出す人も多いだろう。同社が初めて開発した上級車種のRo80は、6ライトの大きなグラスエリアを持つFF車で、時代の最先端を走る斬新なサルーンとして高い評価を得た。

NSUが開発したロータリーエンジン搭載の上級セダン、Ro80。車名のRoはもちろんロータリーを示す。排気量は497.5cc×2。しかし初期にはREの信頼性が低く、結果としてNSUの経営を悪化させる要因を作った。

Ro80のサイドビュー。長いホイールベースが特徴だった。NSUがVW傘下に入ったあとは、1977年の生産終了までVWが販売を継続した。

しかしNSUはRo80を出す一方で、斬新に過ぎるRo80を補完する車種として、レシプロエンジンを縦置き搭載・前輪を駆動する兄弟車「K70」も開発し、1969年春に発表することにしていた。しかし、ほぼ同じタイミングでVWがNSUを買収したことで、発表は直前で止められてしまう。VWグループに入ったK70が、親会社のタイプ4や、1964年からVW傘下にあったアウディの「100」と競合してしまうためだった。特にアウディ100とは近い価格帯と外観の類似性がVWの上層部から指摘されていた。

VWはK70の使い道を考えたが、タイプ4の失敗を穴埋めする車種がただちに必要だったこともあって、K70にVWバッジをつけ、NSU時代の車名を引き継いで「VW K70」として販売することを決定。1970年夏に「VW初の水冷エンジンFF車」として登場した。また、K70は「VWイコールRR」というイメージを変える重要な任務も追っていた。

Ro80の兄弟車ながらも直線的なスタイリングだった「K70」。車名はピストンを示す「Kolben」と最高出力70psを示していたが、実際にはNSU製の1.6L直4OHCエンジンは最高出力75psと90psを発生。後者のエンジンは高級版の「K70L」に積まれた。

デビュー後も改良も重ねて生産されたK70だが、兄弟車・Ro80の初期車について回った「信頼性が低い」というマイナスイメージをK70も貰ってしまったこと、販売初期においてVWのディーラーメカニックが水冷エンジンに慣れていなかったこと、そしてやはりタイプ4との社内競合が起きてしまったこと……などいくつかの要因から、期待ほどに売り上げは伸びず、1975年までに21万台が作られたに留まった。VW初の水冷FF車という栄誉を持ちながら、結果として成功作とは言えない車種になってしまったのだ。

前述のようにVWは、RR時代脱却のために紆余曲折を繰り返したが、FF時代のスタートを切ったのがシロッコでもパサートでも、ましてやゴルフでもない、他社開発生産車のK70だったのはなんとも皮肉である。

窓周りにRo80との類似性を感じるK70。K70はRo80よりもコンパクトで、Ro80比で全長360mm、ホイールベースは170mm短縮されたものの、車内は十分に広かった。フロント:ストラット、リア:セミトレーリングアームのサスペンションなど、エンジン以外のメカニズムはRo80と共用。

1971年にはバンパーをアウディ100に類似したタイプに換装。K70の生産はVWの工場ではなく、ネッカーズルムの旧NSU工場が行った。

モデル末期になって、パサートやシロッコのような丸目4灯ヘッドライトの「ファミリーフェイス」へと整形。VWグループの車種という印象を次第に強くした。写真は1.8Lエンジンを積んだ「LS」で、100psを誇った。1973年追加。

なおK70は1972年から2年ほど、日本にも正規ルートで上陸していたことがある。輸入したのは古くから日本にVWを輸入していたヤナセ。日本仕様は上級版の「K70L」、販売台数は約750台だった。

「パサート」「シロッコ」「ゴルフ」が登場……VWは本格的なFF時代へ

アウディ80を兄弟にして誕生した旗艦、初代パサート。写真のグレードはシングルヘッドライトなので、実にシンプル。L とLS は角形、TSは丸目4灯だった。エンジンは1.5L直4OHC。

その後VWは自社開発の水冷FF車「パサート」を1973年に発表。K70やタイプ4の後継車となる新しいフラッグシップで、前年に登場したアウディ80 をベースとしていたが、「ほんとうの意味での新世代VWの誕生」はこのパサートが第一号である。さらに1974年にはその第2弾として「シロッコ」がデビュー。パサート同様ジウジアーロデザインによるシンプルなデザインを持つ4シータークーペで、VW内のポジションでは、カルマンギアの後に就くスポーティクーペだった。

ゴルフよりも先、3ヶ月前にシロッコが出ていたことは、案外知られていないかもしれない。今見ても色あせないデザインは、さすがジウジアーロ。写真は1977年に加わったGTiで、エンジンは1.6L+Kジェトロで110psを発生。

そして同年、新世代VWの旗手で大本命の「ゴルフ」がついに誕生した。優れたパッケージによる高い実用性、普及モデルとして適度なボディサイズと性能を備えたゴルフは、瞬く間にこのクラスのベンチマークとして世界中に認知されてベストセラーカーに。ビートルの正当な後継車として、RR時代からの脱却も見事に果たしている。8世代目を迎える現在もなお、Cセグメントハッチバックのメートル原器として君臨しているのは説明の必要もないだろう。

2019年に8代目を迎えたゴルフ。

なお初代パサートや初代ゴルフ誕生の裏にも、EA272やEA337などの「EAコード」を持つ試作車が存在する。VWがRRからFFに移行した際の話は尽きないのだが、先に記したとおり、その話は別の記事に譲ることとしよう。

フォト : Volkswagen/Izuru Endo

この記事を書いた人

遠藤イヅル

1971年生まれ。東京都在住。小さい頃からカーデザイナーに憧れ、文系大学を卒業するもカーデザイン専門学校に再入学。自動車メーカー系レース部門の会社でカーデザイナー/モデラーとして勤務。その後数社でデザイナー/ディレクターとして働き、独立してイラストレーター/ライターとなった。現在自動車雑誌、男性誌などで多数連載を持つ。イラストは基本的にアナログで、デザイナー時代に愛用したコピックマーカーを用いる。自動車全般に膨大な知識を持つが、中でも大衆車、実用車、商用車を好み、フランス車には特に詳しい。

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