先見の明を持つレーシングエンジニアであり、エアロダイナミクスの達人である彼は’98年までのポルシェのル・マン総合優勝のすべてに貢献
ノルベルト・ジンガーは、数々のレースでの勝利と革新の立役者である。1970年から2004年までポルシェに在籍した彼は、ル・マンにおけるポルシェブランドのすべての総合優勝に貢献した。2024年11月16日(土)、この元レーシングエンジニアは85歳の誕生日を迎えた。
前世紀のポルシェのレースでの成功を調べれば、誰もがノルベルト・ジンガーに行き当たるだろう。先見の明を持つレーシングエンジニアであり、エアロダイナミクスの達人である彼は、1970年から1998年まで、917から911 GT1 ’98に至るまで、ポルシェのル・マン総合優勝のすべてに貢献した。
研究開発担当執行役員のミヒャエル・シュタイナー氏は「私たちは、ノルベルト・ジンガーの幸福を祈るとともに、ポルシェブランドに対する彼のたゆまぬ貢献に感謝します。彼は、ヴァイザッハでのプロジェクトマネージャーとしてだけでなく、レーストラックでの戦略的、戦術的な決断においても、モータースポーツにおけるポルシェブランドの成功に貢献しました」と語った。
開発部門のレーシング・エンジニアとしてのキャリア
ノルベルト・ジンガーは1939年11月16日、当時はエゲル、現在はチェコ最西端のスデーテンラントにあるチェブで生まれた。ミュンヘンで航空宇宙工学と自動車工学を中心に機械工学の学位を取得し、エンジニアとして卒業した。1970年3月、彼はポルシェの開発部門でレーシング・エンジニアとしてのキャリアをスタートさせた。
彼は、テストにおける事前開発とレーシングカー開発の責任者であり、シリーズ生産開発におけるテスト・マネージャーでもあったピーター・フォークに雇われた。シンガーのモータースポーツへの情熱はいまに始まったことではなく、学生時代にはニュルブルクリンクやモナコGPのレースを追いかけていた。
ポルシェに入社した最初の年は、ル・マンで待望の総合優勝を果たした年でもあった。その数週間後、リチャード・アトウッドとハンス・ヘルマンがサルトサーキットで優勝を飾った。開発責任者のフェルディナント・ピエヒは、シンガーに外部オイルクーラーの代わりとなるシンプルなソリューションを考案するよう依頼した。
24時間レースでの勝利ののち、ジンガーは917のエアロダイナミクスに専念し、後に917ロングテール、917/10、ターボチャージャー搭載の917/30を最適化した。プロジェクト・マネージャーとして30年以上にわたり、レーストラック用に多くのマシンを準備し、それらのマシンを現場でサポートした。
911カレラRSR、911カレラRSRターボ2.1、935、935/78 「モビーディック」、924カレラGT、924 GTPル・マン、956、962、911ターボSル・マンGT、962ダウアー・ル・マンGT、911 GT1などである。
【写真6枚】モータースポーツにおけるポルシェブランドの成功に貢献した”偉人”
キャリアのハイライト
彼のキャリアのハイライトは「956グループCカー」とその後継モデルである「962」の開発である。956でポルシェはアルミニウム製モノコックのパイオニアとなり、エアダクトを備えた特別なアンダーボディの設計により、レーシングカーはいわゆるグランドエフェクトを実現した。
「スピードが出れば出るほど、クルマは文字通りアスファルトに張り付くようになりました」とジンガー氏は振り返る。1982年から1986年まで、956と962のCモデルはル・マンで7度の総合優勝を果たし、5度のドライバーズ世界選手権、3度のマニュファクチャラーズ世界選手権、2度のチーム世界選手権を獲得した。1984年から1991年にかけては、962のバージョンがアメリカのIMSAレースシリーズで多くの勝利を収めた。
2004年12月に引退して以来、ジンガー氏はポルシェミュージアムの現代証人として活躍している。また、ポルシェのアーカイブを頻繁に訪れ、956/962の歴史に関する書籍の作成などにも携わっている。また、レーシングカーのレストアにおいても専門知識を披露している。今日に至るまで、彼はポルシェと密接な関係を築いている。
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