ピンファリーナのデザインとされているモデル
今回は、フランス ディンキー No.24 F ファミリアーレ 403 プジョーのご紹介をします。
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私は、父親が事業をしていた関係で、我が家のクルマは、ステーション・ワゴンタイプが多く、1961年型 ダットサン1200バン(VG223)、1965年型 ニッサン セドリック バン(30型系)、後に5ナンバーにワゴン登録、1970年型 スカイライン バン(C10系)等、子供の頃に同乗していたこともあってか、いつの間にかステーション・ワゴンタイプのクルマに興味を持つようになっていました。
今回は、プジョー403ベースのファミリアーレという車種で、一見ステーション・ワゴンに見えますが、ボディ形状は同一ながら、荷物よりも人員を乗せる目的で、3列目のシートを装備し、当時大家族主義であったヨーロッパでは、夏のバカンス等に大勢の家族が乗れるこのような仕様の車種の需要がありました。因みにファミリアーレ=家族の意味です。
一方、ベース車のプジョー403は、1948年にパリ・サロンで発表された、初の戦後型のプジョー203の後継モデルとして、1955年4月に発表された1.5Lエンジンを搭載した保守的で堅実な中型乗用車でした。
また、403は、プジョー初の前後フェンダーがボディと一体化したFull widthのモノコックボディで、やや地味な印象ながら、完成されたディテールは、ピンファリーナのデザインとされています。
尚、403のカブリオレは、TVドラマ「刑事コロンボ」の愛車としても有名です。一方、ステーション・ワゴンは1956年にホイールベースを延長して、5ドア・ブレークとして登場し、今回は、そのファミリアーレ仕様の紹介になります。1960年5月に後継車の404がデビューした後(こちらは、発表時からピニンファリーナ デザインを公表していました)も、1966年10月まで長きに渡り生産されました。
ミニカーの話に移りますが、このミニカーはNo.24Fとして1958年に発売され、その作りは、標準的な一体成型ボディにティンプレートのシャシー、ウィンドウスクリーンや、シート、スプリングサスペンションも無いドンガラの非常に素朴な1950年代の作りでした。
その後1959年から、新品番No.525として改番されました。改番とほぼ同時期に、ホイールが凸型のクロームメッキから、凹型に変更され、一時期白タイヤの装着もあったようです。
ボディカラーは、スカイブルー1色のみで、最後まで、透明プラスチックのウィンドウを装備されること無く、1962年で絶版となりました。プジョー403の特徴的ラジエターグリルを深い彫にて表現されている部分も魅力です。
このミニカーはとても地味な存在で人気が無かったためか、珍しくボディカラーのバリエーションも無く、短命に終わりましたが、今日の目では、その素朴なところがとても魅力的に感じられるミニカーです。
この記事を書いた人
モデル・カーズ 「丸餅博士のヴィンテージ・ミニカー天国」並びにRM MODELS 「TRAM&CARS」に執筆中。愛車は1987年から所有している丸餅(’71 FIAT500L改)と1999年から使用している’91 メルセデス・ベンツ300E-24 (W124-031)。ヌォーヴァ・チンクエチェントと50年以上コレクションし続けているミニカーの啓蒙と伝道が使命。
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