最高レベルの乗員快適性と安全性、そして卓越したパフォーマンス! 1963年初公開「メルセデス・ベンツ 600」

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プルマンサルーン、ランドーレットも専用代理店車。数々の快適機能を実現する洗練された油圧機器

1963年の「グランドメルセデス」をアニバーサリーイヤーに体験しよう
「”グランドメルセデス 600″ 偉大なる威信を持つ高級車」。この見出しで、1963年に発表された「メルセデス・ベンツ600」のプレスリリースは、「W 100」という社内モデルシリーズを持つこのクルマを、世界のトップ集団の先頭に位置づけたのである。60年前、この文書にはこう書かれていた。「メルセデス・ベンツは、戦前からの伝統である、世界のセンセーショナルなプレステージカーの小集団に属する、安全性に優れた豪華装備の自動車を提供します」

メルセデス・ベンツ600は、60周年というアニバーサリーイヤーに、さまざまな形で体験することができるという。「メルセデス・ベンツ・クラシック」は、2023年4月11日からミュンヘンのスタジオ・オデオンスプラッツで伝説的なシリーズを展示する。そこでは、1960年代とその「宇宙時代」の未来的な雰囲気の中で、サルーンが演出される。また、2023年4月12日(水)から16日(日)まで、ドイツ西部の都市・エッセンで開催される世界最大のクラシックカーフェア「テクノクラシカ」でも、「グランドメルセデス」が登場する予定だ。

ドイツ南部・シュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ・ミュージアムでは、1965年に製造された「メルセデス・ベンツ600 プルマン・ステートリムジン」の装甲車を常設展示しており、記念すべき年を超えて、特別なモデルを見ることができる。常設展では、「コレクション4-名前のギャラリー」の部屋に展示される。この600は『メルセデス・ベンツ・クラシック・マガジン』の購読者にも好評で、表紙を飾るだけでなく、2023年5月12日(金)に発行される次号では、この記念車の詳細が紹介される予定だ。

特別なセレブリティのための特別な自動車
1981年、17年間の生産期間が終了するまでの約20年間、「600」は自動車のトップクラスの国際的なベンチマークとしての地位を保ち続けた。この地位は卓越した技術、極上の快適性、優れたハンドリング、さらに印象的な外観によって確保された。プレステージリムジンの購入者は世界各国から集まったという。王族、国家元首、業界やショービジネス界のセレブリティなどである。W 100シリーズは、ジンデルフィンゲン工場で生産された。

メルセデス・ベンツは、自動車の基本的な性格を変えないこと、安全性を犠牲にしないことを条件に、顧客の個性的で珍しい要望を実現した。その結果、2,677台(うちプルマン仕様が487台)生産されたメルセデス・ベンツ600は、それぞれが個性的なモデルとして誕生した。その多くは、使用期間を経てコレクターズアイテムとなったのだ。

格調高い自動車は、そのブランドの原点に深く根ざしている。初期の例としては、1903年に発表された「メルセデス・シンプレックス60ps」がある。当時のトップモデルは、メルセデス・ベンツ・クラシック・コレクションに特別展示されている。メルセデス・ブランドの初期を形成し、その名を与えただけでなく、決定的な影響を与えたエミール・イェリネックの遺産から、エレガントで豪華なツーリングカーとしてだ。その後数年間、メルセデスとベンツブランドの販売プログラムには、常に自動車産業の最高峰に位置するモデルがいくつか含まれていた。

1926年に前身となる会社から生まれたダイムラー・ベンツAGは、例えば「770 グロッサー・メルセデス (W07とW150)」など、この伝統を難なく引き継いだ。1951年からは「300 (W186、W189)」を経て、メルセデス・ベンツ600が自動車の新たなベンチマークとなった。1981年の生産終了後は、Sクラスのプルマン仕様を目の肥えた顧客に提供し、2002年から2012年までジンデルフィンゲン工場で生産された「マイバッハ (モデルシリーズ240)」も提供した。2014年からは、メルセデス・マイバッハの名称は、メルセデス・ベンツ・グループの最も高級で格調高い車両を表すものとなっている。

【写真15枚】特別なセレブリティのための特別な自動車。 

4つのボディバリエーションが用意された「600」
メルセデス・ベンツ600は、1964年9月から生産された。当初からノーマルホイールベース3,200ミリメートルのサルーンと3,900mmのプルマンサルーンが用意されていた。1965年以降、両者とも特別保護仕様があった。その後、6ドアのプルマン・ランドーレットとプルマン・リムジンのボディ・バージョンが追加された。メルセデス・ベンツ600のうち、最も多く納車されたのはアメリカ向けの743台であった。

次いでドイツが589台、フランスが151台、イギリスが126台。特別注文車として、ローマ法王パウロ6世のためのロングホイールベースの「ランドーレ」と、ベルクハイム伯爵のためのショートホイールベースのランドーレがある。1965年にジンデルフィンゲンで製造された2ドアクーペは、ワンオフモデルであった。300Sc(W188 II)の後継車として大型クーペの可能性を検討するためのものであった。

1964年の価格表では、サルーンが56,500DM(ドイツマルク)、プルマンサルーンが63,500DMであった。これに対して、高級クラスのサルーン「メルセデス・ベンツ 300 SE ロング(W 112)」オートマチックトランスミッション付きは27,800DMであった。メルセデス・ベンツ600は1979年に最後の価格表として登場した。現在サルーンは144,368DM、プルマンサルーンは165,760DM、6ドアのプルマンリムジンは175,728DMである。ちなみに高性能サルーン「メルセデス・ベンツ450 SEL 6.9 (モデルシリーズ116)」は1979年に78,999.20DMで販売されていたことと比較しても、その高価さがわかる。

優れた自動車を実現するためのキーデータ
600のコンセプトが具体化したのは、ワールドプレミアの8年前である。1955年半ば、チーフエンジニアのフリッツ・ナリンガー氏は、「将来の大型ツーリングカーとプレステージカーのグループ」であるコンストラクション・グループCの主要データを定義した。ナリンガー氏は、このプレステージカーをこう表現した。「オートマチックトランスミッション、パワーアシストステアリング、パワーアシストブレーキが標準装備されている。通常は6人乗りである。フレームフロアシステムは、必要に応じてホイールベースを延長することで、3列シートの車両を作ることができるように設計されている」

このクルマには、メルセデス・ベンツの乗用車では初となるV8エンジンが搭載された。1959年末に最初の標本がテストベンチを走ったという。最終的に「M 100」と名付けられた量産エンジンは、排気量6.3リッター、出力183kW(250ps)を得た。このエンジンはメルセデス・ベンツ 300 SEL 6.3(W 109)にも搭載され、出力は変更されなかった。

アイコニックなデザインと比類なき快適性
メルセデス・ベンツ600のデザインは、カーデザイナーであるフリードリッヒ・ガイガー氏の指示のもとに作られた。ポール・ブラクが主要な役割を果たした。最高技術責任者のフリッツ・ナリンガー氏は、開発中、メルセデス・ベンツの新しいトッププロダクトのデザインに集中的に関与した。デザインは、このクルマが特別な人を顧客としていることを明確に示すもので、エクステリアはプレステージをモダンに表現したものだった。エクステリアは現代的なプレステージの表現であり、インテリアは、快適性を高めるためにあらゆる機会を最大限に活用した、培われた贅沢と独特の文化の雰囲気を期待することができた。

1950年代末、「グランドメルセデス」のセールスポイントは、大きな車体や優れた走行性能だけではない。メルセデス・ベンツに期待されるのは、それ以上のものだった。不可能を可能にする挑戦が、このブランドにはあったのだ。のちに経営委員会会長となるヴェルナー・ブライトシュヴェルト氏は、1980年代末のタイプ600を振り返ってこう語った。「当時、私たちは可能な限りのすべてでクルマを作りたかった。ドライバーとパッセンジャーにとって、ほかのどのクルマよりも多くのことができるクルマにしたかったのだ」

顧客と業界関係者は熱狂的だった
メルセデス・ベンツ600は、世界最高の自動車として広く知られていた。多くの顧客が、運転手付きでも自分でも、ステータスにふさわしいモビリティとして長年愛用した。また、業界紙も非常に熱心であった。その代表的な例として、1965年3月号の『モーターレヴュー』を引用する。「その結果、乗り心地は間違いなく、これまでの自動車工学で達成された最高のレベルである」と総括された。「600はスポーツカーのように峠を走ることができる-そのとき、よく走るスポーツカーはついていくのに非常に苦労する」

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