誰もが知る有名なメーカーが出していたのに、日本では知名度が低いクルマをご紹介する連載、【知られざるクルマ】。今回は、少し志向を変えて、PSAとFCAが一緒になったことで、誕生した「ステランティス」に関する知られざるクルマにご登場いただこう。
PSAとFCAの合併で生まれた、世界4位の自動車グループ「ステランティス」
自動車メーカーは再編の歴史を繰り返しており、現在盛業中の会社も、様々なメーカーと提携したり離れたりしながら今に至っている。例えば、1862年に創業・1898年から自動車生産を開始したドイツのオペルは、1929年以降はGMの傘下に入り、長い間「GMの欧州部門」として存続していた。しかし、2009年のGM破綻を受け、最終的にはフランスのプジョーとシトロエン、そしてシトロエンから独立した高級ブランド・DSを持つ「グループPSA」が、オペルを買収。PSAのいちブランドとして再生されることになったのはご存知の通りである。
そのPSAは、2021年1月にフィアット・クライスラー・オートモービルズN.V(FCA)と経営統合。新たな企業「ステランティス(STELLANTIS)N.V」が誕生し、イタリア車ファン・フランス車ファンの間で話題になった。
FCAとグループPSAが新たなグループ会社「ステランティス」のロゴを発表
https://carsmeet.jp/2020/11/16/174574/
PSAとFCAが一緒になったことで、ステランティスは、プジョー・シトロエン・DS・オペル・ボクスホール(オペルの英国名)、フィアット・アバルト・ランチア・マセラティ・アルファロメオ・クライスラー・ダッヂ・ラム・ジープの14ブランドを有することになる。筆者としては、今後のPSAとクライスラー系の車種融合の可能性に注目したい。というのも、かつてPSAは、クライスラーと一時的ながら関係があったからだ。そこで今回は、それを掘り下げてみようと思う。
きっかけは、1960年代〜クライスラーの欧州進出
話は、1960年代初頭にさかのぼる。
アメリカンビッグ3の一角・クライスラーは、GMやフォードに遅れを取るまいと、欧州市場への進出を計画。そして1963年、クライスラーは「ルーツ・グループ(イギリス)」と「シムカ(フランス)」を買収し、クライスラーのヨーロッパ部門を作った。その方法は、クライスラーが秘密裏に少しずつ株を買い占めるという「事実上の乗っ取り」だったため、当時のフランス大統領、シャルル・ド・ゴールは激怒。アメリカとの政治問題にまで発展した。
ルーツ・グループとは、ヒルマン・ハンバー・サンビーム・シンガーなどの英国ブランドを集めた集合体で、かつてはオースチン・トライアンフ・ローバー・バンデンプラ・MG・ジャガーなどを抱えていた「ブリティッシュ・モーターズ(BMC。時期によってBLMC、BLなど呼び名が変わる)」と並ぶ、イギリスを代表する巨大民族系自動車メーカーだった。
もう1社のシムカは、フィアットをフランス国内でライセンス生産するため、1934年に起こされた会社だった。そのため、当初はフィアットの初代500「トポリーノ」のシムカ版「シムカ5」など、フィアットの色が濃い車種を生産していたが、1951年に、エンジン以外はシムカが独自に設計したモデル「アロンド」を発表。平凡なメカニズムで突出していないことが、逆に個性となってヒット作となった。
その後は、リアエンジンのセダン「1000」、さらにはフィアット128同様の横置きFFを採用した「シムカ1100」を生み出すなど、機構面にフィアットの流れを残したモデルを販売していった。
クライスラー・ヨーロッパ時代に生まれたクルマたち
クライスラー・ヨーロッパの一員になったルーツ・グループとシムカは、1970年にそれぞれ「クライスラーUK」「クライスラー・フランス」に社名を変更。ヒルマンやシムカなどのほか、クライスラーブランドの使用も始まった。旧ルーツ・グループ/シムカ系の車種を引き続き販売する一方、新型車も続々と投入。両社の一元化を進めていった。
1970年の「アヴェンジャー」は、クライスラーUK のみで販売。機構的にもデザイン的にも突出したところはなかったが、それゆえ売り上げは堅調だった。同年にデビューした「160/180/2リッター」は、アメリカ車をそのまま小さくしたようなスタイルを持っていたため、フランス車としては異端の存在だった。
1975年には、リアにテールゲートを備えたFF車という、当時としては先進的な設計の「1307/1308」が登場。クリーンなスタイルと実用性から、欧州カー・オブ・ザ・イヤーも受賞している。
また、クライスラーUKのみで買うことができた「クライスラー・サンビーム」は、アヴェンジャーをベースにした3ドアハッチバックで、「サンビーム・ロータス」にはロータス製2.2L・DOHCユニットを搭載。1981年のWRCチャンピオンにも輝いた。
クライスラー・ヨーロッパをPSAが買収
しかし、なんとクライスラー・ヨーロッパは1977年に倒産してしまう。急速なアメリカ国内での生産拡大と世界進出、第2次石油危機、日本車の台頭などによる本国クライスラーの経営危機を受けたものだった。そこで、PSAプジョー・シトロエンは、クライスラー・ヨーロッパの買収に動き、1978年にそれを完了。1979年頃から、旧クライスラー・ヨーロッパの車種に「タルボ/タルボット(英語読み)」ブランドを与えていった。タルボという会社自体は古くから存在し、英仏どちらにも縁が深いブランド名だったが、経緯を書くと少し長くなるので、ここでは割愛したい。
PSA傘下に入り、ブランドをタルボに変えた後の1981年当時のラインナップを見ると、フランスでは小さい順に「サンバ」、「1100」、「オリゾン」、「1510(旧1307/1308/1309)、「タゴーラ」、イギリスでは「サンビーム」「ホライゾン(オリゾンの英語読み)」、「アヴェンジャー」、「アルパイン(1510の英国版)」という具合で、旧クライスラー・ヨーロッパの車種がほとんどを占めていた。このうち「サンバ」と「タゴーラ」は、PSAがプジョー・シトロエン各車とパーツを共有して開発したニューモデルで、サンバはプジョー104/シトロエンLNAベースの小型大衆車、タゴーラはプジョー604を元にした大型フラッグシップだった。
クライスラー・ヨーロッパの旗の元には、1969年以来シムカと深い関係を持っていた「マトラ」も含まれていた。マトラといえば横3人がけのユニークなスポーツカー「バゲーラ」と、その後継で1980年登場の「ムレーナ」が有名だが、クライスラー・フランスがPSAに移譲されたことで、ムレーナもPSAのいち車種になった。しかし、マトラがルノーとの協業を選んだことでリレーションが解消。ムレーナの生産も1983年で終わってしまった。
しかし、プジョーはタルボブランドに価値を見いだすことができなかった。紆余曲折を経たメーカーの集合体であるだけに一貫性やブランド力が弱く、同一グループ内でプジョーやシトロエンの販売を脅かすような車種を併売することに、難色を示すようになったのだ。そこでPSAは、あっさりとタルボの廃止を決定。1986年までに各車種を次第に削減していき、タルボ銘で売る車を完全に消滅させてしまった。なお、タルボのブランド自体は生きており、いまだにPSAが所有している。
協業相手が変わればクルマも変わる
PSAはクライスラー・ヨーロッパを買収したため、PSA とFCAが組んでステランティスが生まれたことと事情は異なるが、40年以上を経てPSAとクライスラーの技術を混ぜた車種が生まれるかもしれない、という事実に驚いた人は多いかもしれない。時代はこうして巡ってくるのだ、と。
メーカーが協業・合併すると、共通で使われる部品が増えてくる。特に内装のドアミラーやウインドゥスイッチなどの汎用部品は、各社・グループごとの個性が出るため、同じメーカーでも協業相手に合わせて変化していくことがあり、マニア目線で見てもとても興味深い。PSAとFCAは、それぞれの雰囲気を持っているが、今後どのようにスケールメリットを生かして変化していくのかにも、注目していきたいと思う。