「ドイツ車のある人生」ドイツ車のマイスターを探したら行き着いた『匠の重鎮』

ドイツ車の中でもメルセデスは、安全に対する意識は半世紀前からずっと変わらない

意外なことに山沢さんは決して懐古主義ではなかった。昔を懐かしみながらも、しかしそこに立ち止まって自動車進化に目を背けることはない。常に最新技術を評価し、学ぶ姿勢を忘れない。
「今の新車は確かにコンピュータへの依存度が高い。けれど“走る・曲がる・止まる”という機能と安全性を徹底的に追求する思想は同じ。設計が変わっていくだけで、取り組み方は一緒です」
そんな真摯な気持ちで今も学び続ける山沢さんが、半世紀弱も現役でいるのだ。経験のなかで鍛えた技術と情報量は並大抵ではない。いつの頃からか社内では“匠の重鎮”と呼ばれるようになり、誰からも頼られる存在になった。
「昔のクルマはコンピュータが教えてくれるわけではないし、マニュアル頼りでもいけない。勘どころみたいな感覚はありますよね。でも、昔のクルマって構造がシンプルだから、逆に自動車整備の基本を貫くだけだと思うんです。旧いから壊れやすい部分があったり、進化過程において結果として弱点になったような機構があるだけ。今のようにコンピュータでがんじがらめではないから、構造を理解すれば整備や修理へのアプローチがわかってきます」

テスターやマニュアルなど使わなくても、大抵の作業内容は山沢さんの身体に染み付いている。こうした技術を自身で完結させず、後世に伝えるのが今の課題だという。

山沢さんは、さも簡単なことのように言うが、それは幾多もの経験を経たものだからこそ語れる言葉だと思えた。整備マニュアルやテスターでの診断といった模範解答がない時代のクルマを、己の五感を総動員して原因究明し、鮮やかな所作で修理をしていく様には、半世紀という重みを感じた。
新車整備であれば、画一的かつ均質的な製品へと導くのがセオリーだ。しかし山沢さんは経験を活かし、今では2台と同じ状態のないクラシックカーを、オンリーワンの状態にして届けている。そうした意味では、彼が対象とするのはクルマ自体でありながら、本質的に向き合うのは修理を心待ちにしているユーザーだと思えた。

ヤナセ クラシックカーセンターには、あらゆる年代の部品がストックされる。安直な新品交換ばかりではなく、ミッションなどは徹底的にオーバーホールした上で再利用する。

この日、ファクトリーには複数のR113(2代目SLクラス)が入庫していた。そしてその裏手に止まっていたのは、ウエスタン自動車が輸入したことを示すプレートが添付されたW116だった。新車の時に山沢さんが触った個体である可能性は高く、であれば彼は数十年の時を経て、ふたたび同じ個体に手をかけることになる。
山沢さんの技術はメルセデスに限らず、クラシックカーの延命にとって大いに価値がある。残存する個体をいい状態で次の時代へ引き継がせることは、日本のクラシックカー文化を支える柱ともなるはずだ。それは、ひいてはヤナセの企業理念も感じさせる。
メルセデスに限らずドイツ車に乗るということ。それは彼の地の製品そのものを味わうのではなかった。山沢さんをはじめとした職人たちに代表される日本の技術がそっと支え、今回の例で言えばそこにヤナセ自体のサポート体制も加わったものだった。いい意味でそれは、日本で独自の進化を遂げた“和製”ドイツ車だった。

ヤナセ クラシックカーセンターのあるヤナセオートシステムズ 横浜ニューデポーは、新車の国内改善及び整備なども行なうので新旧のメルセデスが並び、常にフル稼働だ。

「手前味噌ですが、私の経験を少しでも若い人たちに伝えていけたらいいなと思っています」
今後、クラシックカーセンターの活動がより活性化し、山沢さんが尽力する次世代の育成が進めば、日本におけるクラシックカーの未来は明るいと思えた。メルセデスが牽引するような形で続く自動車の進化がどのような道へと進もうとも、山沢さんが手掛けたクラシックカーは、ずっと日本で元気に走り続けて欲しい。そうした未来を思い描いて、彼は今日も現役メカニックとして若手をサポートしながら、難しい案件に対しても真剣な眼差しで向き合っている。

【取材協力】

ヤナセ クラシックカーセンター
神奈川県横浜市都筑区川向町1117番地 ヤナセ横浜ニューデポー 株式会社ヤナセオートシステムズ
https://yanase-classic.com/contact/ 営業時間:9:30~18:00 (日・月・祝祭日定休)

 

フォト=篠原晃一/K.Shinohara ルボラン2020年11月号より転載

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