ル・マンでの活躍が記憶に残る、その秀逸なロゴとキャラクターデザインで人気が高い「マーシャル」のロゴマーク【GALLERIA AUTO MOBILIA】#018

マトラとともにル・マンに挑戦したマーシャル

これはラリーなどのコンペティション用のドライビング・ライトだろう。実際にフロントウィンドウに装着している例を見たこともある。手動で向きを変えることができる。

マーシャルは、戦前のル・マン24時間レースでも、サルトサーキットに横断幕などを貼って広告に努めていたが、1968年以降のレーシングカーそのものが広告媒体となる時代になってからは、ル・マンに出場する全車にステッカーを貼るような勢いだった。だがライバルもシビエなどは強敵であり、実際にはマーシャルのヘッドライトを装着し、そのステッカーを貼っているクルマのほうが、シビエに比べると少なかったかもしれない。それでも、ロゴマークとしてはシビエよりも断然目立っていたので、ル・マンといえばマーシャルというイメージが強いのである。特にマトラのフロントフェンダーの前面のちょうど目立つところにマーシャルのネコのロゴマークが付けられていた。

1970年前後のドライビング・ライトやフォグ・ライトは、当時の日本にも輸入され、憧れのアイテムになっていた。また、これに被せる白いビニールのカバーもしゃれていた。

だから、マーシャルはマトラとともにル・マンに挑戦した印象が強い。マトラはル・マン挑戦7年目の1972年にやっとル・マンを制覇した。フランスの自動車メーカーとしては1950年のタルボ・ラーゴ優勝以来22年ぶりの栄冠だったが、それから1973年、1974年と、マトラは3年の連続優勝を遂げた。マトラはスポーツカーの世界選手権でも、1973年はフェラーリ312PBと戦い、逆転し年間チャンピオンとなり、1974年には圧倒的な勝利を収めて世界チャンピオンとなったが、その年を限りに撤退してしまう。

これは自転車用ヘッドライトだが、スピードメーターと一体になっている。未使用の物なので、私はこのヘッドライトを装着するのにふさわしい自転車を探しているのだけれども、未だに見つからない。

そのためだろうか、1975年以降はマーシャルのロゴマークの露出が減っていった。1975年はそれでもリジェや我らがシグマのフロントフェンダーにネコが輝いていたが、その後はWMプジョーくらいで、1980年代前半でほとんど見かけなくなった。レースでスポンサー費用を使いすぎたのだろうか、経営不振からその頃にはFerodo(後のValeo)の傘下となっていたのだった。

マーシャルの様々な販促グッズではキーホルダーが有名だろう。その他、上のような灰皿やトレーもある。下の小さなルーレットでもあるゲームはちょっと珍しいのではないだろうか。

 

Photo:横澤靖宏/カーマガジン470号(2017年8月号)より転載

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2019/08/28 10:00

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