大量の雪解け水が夏の間じゅう棚田を潤す
松代を抜けて上越地方と中越地方を結ぶ道は、かつては松之山街道と呼ばれていた。上杉謙信が関東出兵の際に利用していた道で、日本海を望む春日山城から現在の国道17号が通る三国街道・塩沢宿まで、いくつもの峠を越えながらほぼ最短距離で結んでいた。
その後、江戸時代になると松之山街道には宿駅が整備され、港町の直江津と越後の内陸部をつなぐ脇街道として人や荷が盛んに行き交うようになっていく。
この松之山街道沿いの村々が「陸の孤島」と呼ばれるようになったのは、日本が高度成長期を迎える頃からである。山道とはいえ、標高差のさほど大きくない松之山街道は人が歩くには特に問題のない道だった。ところが自動車の時代になると、冬の豪雪が大きな障害となってしまったのだ。前出の石口さんによると、昔は4〜5mの積雪も珍しくはなく「家に帰ると、傘は目の前の電線に引っかけていた」と笑う。
松代の町では、昔ながらの冬ごもりの生活が昭和40年代になっても続いていた。根雪が積もるとバスは全面運休となり、生活必需品を運ぶ〝駄賃〟、郵便物を運ぶ〝逓信〟と呼ばれる人がたまにやってくるだけ。当時、石口さんは役場に勤めはじめていたが、東京に出かける用事があると、まずは峠集落を越えて隣の大島村まで約15kmの雪道を歩き、そこからバスに乗って直江津まで出て、上野行きの列車に乗ったという。冬の間、松代から東京までは1泊2日の行程だったのだ。
新潟の山村というと、『列島改造』を推し進めた故・田中角栄氏の地元ということもあって、どんな山の中にも融雪装置を備えた立派な道路があって……と思う人が多いかも知れない。しかし、この地域は越山会の地盤から外れていたため、そうした開発からも取り残されてしまったらしい。国道にトンネルができ、除雪が行なわれ、冬でもクルマで行き来できるようになったのは、昭和も50年代に入ってからのことだったという。
星峠をはじめ、このあたりに残る棚田は灌漑施設を持たない、いわゆる「天水棚田」である。冬の間、どっさり降った雪が清冽な水となって山から湧きだし、夏の間じゅう、田んぼを潤してくれるのだ。取材の途中、棚田の近くで山菜採りをしている年配のご婦人からこんな話を聞かせてもらった。
「この田んぼで作ったお米で育ったものですから、都会のスーパーで買うお米はまずくて食べられないんです。だから、いまも年に二回、妹夫婦が暮らす実家に里帰りして、田植えと稲刈りをちょっとだけ手伝って、1年分のお米をもらって帰るんですよ」
人々の生活に不便を強いる冬の豪雪こそが、この美しい山村風景を守り、おいしい棚田米を育んできたのである。
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