F1をはじめとするモータースポーツシーンで多くの有力チームにレーシングホイールを供給し、欧州プレミアムカーなどの自動車メーカーへも高品質な鍛造ホイールを納入する「BBS」。ここでは、そのトップブランドの創業者を訪ね、半世紀におよぶ歴史のルーツに迫ってみよう。
レースで得たノウハウで顧客に尽くすという信念
『黒い森』と称されるドイツ南西地方の穏やかで風光明媚なハスラッハ。この小さな美しい町に本拠地を構える「BBSモータースポーツ」は、ヨーロッパのカスタマーをはじめトップカテゴリーのレースチームに、鍛造アルミホイールのトップブランド「BBS」製ホイールを供給する欧州の最前線基地である。今回はその本社ファクトリーを訪ね、ドイツでBBSを創業し代表取締役を務めたハインリッヒ・バウムガルトナー氏に、創業から現在までの半世紀に渡る激動の時代について聞いた。
「幼少期を過ごした第二次世界大戦中はモノもお金も乏しくて、戦中戦後の混乱期は満足に学校にも通えなかった。なので学歴もありません」と、現在
83歳であるバウムガルトナー氏は自身の生い立ちから穏やかに語りはじめた。「1960年にドイツのシルタッハという町で自動車整備・修理工場を立ち上げました。その翌年頃から、当時はモダンでスポーティだったハンス・グラース車に独自の改良と改造を重ねて、レース活動に没頭しました。ただ、そのレース活動には自動車整備や修理で得た資金をつぎ込んだので経営は火の車でした」と当時を懐かしむ。
自らのレース経験を元に研究を重ね、マシンのポテンシャルを上げて、いかに速く安定した走行性能が得られるのかを試行錯誤する毎日だったという。そんな研鑽の甲斐もあり、バウムガルトナー氏のグラースは表彰台を総なめにするまでになり、その輝かしい戦績を知った友人らからチューンナップの依頼が増えて修理工場の経営も安定していったという。
「当時はチューニングパーツというものがほとんどなく、私のような小さな自動車修理工場が独自にアイデアを練って、手作業で製品をつくってクルマをチューニングしていましたね。チューナーのAMGが立ち上がったのもちょうどその頃ですね」
いまでこそさまざまなパーツやアクセサリーが出回っているが、高度経済成長期と共に自家用車の所有率が上がりはじめた1970年代ドイツの自動車市場では、エンジニア独自の技術とアイデアを盛り込んだ製品が、いわゆるクチコミで浸透していったのだろう。
その後、グラース社がBMWに買収されたのを機に、バウムガルトナー氏は開発するレースマシンをBMWへとスイッチ。BMWのレーシングカー・コンストラクターとしての役割も担うようになっていった。そこでバウムガルトナー氏は自ら、顧客のチームが何を望み、どんな悩みを持っているのかを現場で直接対話をしながら聞き出すという、現在でいうマーケティング活動を実践した。
「レーシングドライバーとして振り返ると、必ずしもトップレベルではなかった。だけど、自分がレースで得たノウハウを生かして顧客に尽くそうと考えたのです。八百屋が配達のついでに、御用聞きするような感じですけどね(笑)」
と、1970年代のサーキットを思い出して懐かしそうに微笑む。
こうしてコミュニケーションを続ける中で、チームの多くが悩んでいるマシン軽量化のポイントがホイールにあることに気づいた。
「当時は誰も目をつけていなかったFRP(ガラス繊維強化プラスチック)製ボディなどでマシンの軽量化に挑戦していました。そんなある日、ふとホイールが目にとまったのです。リム幅を広げてみたり、独自に溶接をしてみたりと試行錯誤を繰り返しながら、レースマシンに適したホイールを研究していきました」
その当時から2ピース、3ピースのホイールは存在していたものの、トップカテゴリーのレースでもスチール製ホイールがごく一般的に採用され、もちろんホイール自体を強く軽くするという発想はなかったようだ。そんな時代にバウムガルトナー氏は誰よりも早く、比強度が大きい軽合金のアルミニウムに着眼した。これこそがBBSホイールの起源といえるエピソードだろう。
このアルミ製ホイールという斬新なコンセプトが形成されるまでには、旧知の友人やその知人ら、熟練工ともいえる職人たちの想いやアイデアが盛り込まれたという。そして、黒い森地方を中心とした近隣市町村や州の人々の知恵と探求心、そして情熱が集約されて、BBS最初のアルミホイールが誕生した。「それはまさしくパッションだった」と氏は語る。
ワークスもアマチュアも平等に大切なカスタマー
このBBSのアルミ製3ピースホイールが、供給されたチームに数多くの栄冠をもたらした事実はよく知られるところである。その後、日本のアルミ鍛造技術が投入されたことで、デザインの洗練度と品質、軽量かつ高剛性化というホイール性能も著しく向上した。そして、1980年代後半からヨーロッパを中心にモータースポーツ人気が高まるにつれ、BBSのアルミホイールで愛車をドレスアップする若者で自動車のアフターパーツ市場も活況を呈したのだ。
一方、BBSのアルミ鍛造ホイール開発は、さらに軽量なマグネシウムや高強度な超超ジュラルミンという、最先端のマテリアルを使った製品へと飛躍し、ル・マン24時間レースやF1、ドイツのニュルブルクリンク24時間レース、北米のIMSAといった世界的なモータースポーツシーンへと供給され、現在もそのパフォーマンスを発揮し続けている。しかも、そこで得られたノウハウと高度な技術は、市販ホイールの開発にもフィードバックされているのだ。しかし、バウムガルトナー氏自身は数えるほどしか、それらの大きなレースには足を運んではいないという。製造現場主義を貫いていた氏は、顧客である自動車メーカーやチームへ安定した高品質な製品を届けるため、自らも製造現場に立って従業員らと共に日夜奔走していたからだ。
「私が手掛けた製品が、モータースポーツで数多くの勝利を収め、チームに貢献できたのかも知れませんが、過去の栄光には興味ありません。ワークスチームであろうがアマチュアであろうが、私にとってはすべて平等に大切なカスタマーなのです」
ひとり何役もこなし、昼夜問わず働き詰めで、華やかな表舞台にはほとんど出ずに、ひたすら裏方に徹していたバウムガルトナー氏の職人魂=クラフトマンシップが根底にあったからこそ、BBSはモータースポーツシーンに不可欠な存在となり、アルミ鍛造ホイールのトップブランドとなった。
ひとめでBBSだとわかるクロススポークについて、バウムガルトナー氏によれば「この独特なスポークデザインは技術的ロジックに基づいており、その利点を活かした結果、ほかにはない高いデザイン性が生まれた」とのこと。
また、F1最盛期にホイール開発責任者を務め、ミハエル・シューマッハらトップドライバーの栄光を支えた、現BBSモータースポーツ代表取締役のロマン・ミュラー氏は続ける。
「時代の流れや技術の進化に応じて少しずつ変化を遂げているものの、BBSの独特なデザインは魂として受け継がれています。ひと目見るだけで認知されることもトップブランドには非常に重要であり、それこそが長年BBSが築き上げた伝統です。今も多くの自動車メーカーやユーザーからこの伝統的なクロススポークデザインを求める要望が多く寄せられます」
こうした創業時から貫かれる信念と製品づくりへの情熱こそが、BBSホイールが時代や国を超えて愛され続ける理由なのだろう。
この記事を書いた人
武蔵野音楽大学および、オーストリア国立モーツアルテウム音楽院卒業。フリーランスの演奏家を経て、ドイツ国立ミュンヘン大学へ入学。ミュンヘン大学時代にしていた広告代理店でのアルバイトがきっかけでモータースポーツの世界と出会い、異色の転身へ。DTM、ル・マン/スパ/ニュルブルクリンクの欧州三大24hレースを中心に取材・執筆・撮影を行う。趣味は愛車のオープンカーでヨーロッパのアルプスの峠をひたすら走りまくる事。蚤の市散策。
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