1974年からライセンスはamtへと移るが、1977年にはふたたび(訳あって……)MPCの許へ戻るという複雑な経緯をたどる。NASCARキットに強いモノグラムというイメージは、じつは1982年以降の話なのだ。画像は箱の側面、この頃のマシンは現在の分類でジェネレーション2にあたり、市販車とは全く異なるフレーム、シャシーが使用され始めた時期である。「FULL NASCAR CHASSIS」という一言でそれが表現されている。 この記事をシェアする 記事にもどる 写真:畔蒜幸雄、羽田 洋、秦 正史 TAG : 1/25スケールAMTMPCNASCARアーテルアメリカンカープラモインターナショナル・ハーベスタージョーハンビッグリグプラモデルプロモプロモーショナルモデルモノグラム ■関連記事 迫り来る大型トレーラー、立ち込める暗雲!どうしてこんなことに…!?【アメリカンカープラモ・クロニクル】第33回 馬鹿力は火事場で生まれる!新たな時代の救いの一手となったのは…【アメリカンカープラモ・クロニクル】第32回 「ル・ボランCARSMEET」 公式SNSフォローして最新情報をゲット! Follow @carsmeet_web