しかし、1973年には悪名高き5マイル・バンパー規制がグラン・トリノの顔を台無しにしてしまう。ジョーハンは追ってレース仕様をリリースしたが、1973年型はキット化しなかった。これはそのレース仕様で、ジョーハンはストックの金型に手を加え、躍動感あふれる箱絵を与えてその一瞬の光をとどめようとしたが、この年を境に同社は失速。針飛びによっていちばん悲しいフレーズだけを延々くりかえすレコードのように、このキットは再販を繰り返した。画像は1980年代の再販版、オリジナルと絵は同じだがレイアウトが若干異なる。 この記事をシェアする 記事にもどる 写真:羽田 洋、畔蒜幸雄、秦 正史 TAG : 1/25スケールAMTMPCアメリカンカープラモジョーハンビッグリグプラモデルプロモプロモーショナルモデルモノグラムレベル ■関連記事 馬鹿力は火事場で生まれる!新たな時代の救いの一手となったのは…【アメリカンカープラモ・クロニクル】第32回 あのイーストウッドの相棒、「1972年型フォード・グラン・トリノ」をレアなジョーハン製プラモで制作!【モデルカーズ】 「ル・ボランCARSMEET」 公式SNSフォローして最新情報をゲット! Follow @carsmeet_web