1970年、ア・ニュー・ドーン・ライジング
1970年、アメリカンカープラモの雄としてこれまで鉄壁の城砦を築いてきたはずのamtのラインナップはこれまでになく大きく崩れた。マーキュリーのアニュアルキット・ライセンスがamtの許を離れ、ライバルのMPCへと渡ったのである。
【画像82枚】勢力拡大するMPC、密接に絡み合うamtとジョーハンなどのキットを見る!
これは、本連載でこれまで再三にわたり強調してきたamtとフォードの蜜月の終わり――amtの品番Y727として順当に市場に迎えられるはずだった’70マーキュリー・クーガーは頓挫、代わりにMPCの凝りに凝った力作が、品番2270をつけた正統派アニュアルキットとしてデビューし、ファンを驚かせ、そして唸らせた。この製品化ライセンスの歴史的転換をもたらしたのは、MPC/ジョージ・トテフ(第4回、第16回参照)による周到な浸透戦術だった。
1969年の年明け早々、MPCは全米各地のホビーショップ・オーナーに宛てて、マーキュリー・クーガーをベースとしたドラッグマシン、ドン・ニコルソンの’69スーパーキャット(品番622-200)を名乗る新キットのフライヤーを大々的に配布した。この商品化は、フォード傘下のリンカーン・マーキュリー部門とドラッグレーシング・ドライバー兼ビルダーの “ダイノ” ドン・ニコルソンが公式に参画したカークラフト誌のドラッグレーシング・プロモーションと密接に連動するものだった。
MPCはこの現場にかなり初期の段階から深く食い込んでいて、その証拠にこのスーパーキャット・キットには、きわめて精巧な428CJ(コブラ・ジェット)エンジンとその完成形たるBOSS429エンジンの初となる1/25スケール・レプリカが含まれており、そのディテールには後の量産型BOSS429エンジンとははっきり異なるプロトタイプならではの興味深い特徴が正確に刻み込まれていた。
カークラフト誌はこのキットの素晴らしい凝りようを、1969年4月号の特集として大きく取り上げ、キットは一躍話題のホットアイテムとなった。
デトロイト・アイアンの最新情報が、座していてもおのずと手に入る「はず」――そうしたアニュアルキットのシステムがいつのまにか形骸化し、油断の生じたところに鋭く切り込んだMPCは、「本当の」最新情報を他でもないジョージ・トテフ自身と脇を固める精鋭たちが「足」で集めることをひとつの社是としていた。
この熱意と巧みなアプローチが、これまで動かざる山のひとつと考えられていたリンカーン・マーキュリー部門をついに動かし、1970年のマーキュリー・アニュアルキット・ライセンスはまるで猫のようにするりとamtの腕から抜け出して、MPCの膝の上におさまった。
気がつけばMPCの許には、マーキュリー、ポンティアック、プリマス、ダッジに加え、引き続きデュアル・ライセンス(排他性をともなわない競合ライセンス)扱いとなっていたフォード・マスタングとシボレー・カマロ/コルベット/インパラ(本連載第28回・第29回を参照)のアニュアルキット・ライセンスが大挙集結していた。
1969年初頭にアナウンスされた、まさにサプライズ・キットがこれだ。amt製ではないマーキュリーの、しかもとびきりスペシャルなエリミネーターが登場して、当時のファンはにわかに沸き立った。「カークラフト」誌1969年4月号ではこのキットの特集が組まれたが、メディア・ミックス戦略の手本のようなMPCの手腕にはただただ驚くほかない。(B)
amtにとっての1970年=Cursed Year
マーキュリーの排他的ライセンスを失うのみならず、1970年のamt製アニュアルキットは往時を思えば本当にさびしい陣容となった。前年から登場したイヤーモデル/アニュアルキットを示す「Y」ではじまる品番を冠した製品は、この年わずかに8タイトル。代わりに「X」の文字を戴く新しい品番のキット計6タイトルが、このさびしさをわずかに埋めるように登場した。モーターシティ・ストッカー・シリーズである。
モーターシティ・ストッカー・シリーズは、廃止されたクラフツマン・シリーズ――エンジンパーツを含まない年少者向けとされたキット群の代替品、1970年版であるかのように見えた。しかし実態は、amtの苦しい状況を暗に物語るコストダウンの産物だった。
エンジンはなく、熱心なファンを喜ばせる資質を欠いてはいるが、ボディーは最新鋭。フォード・LTD、サンダーバード、トリノ・コブラ、シボレー・シェベル、モンテカルロ、ビュイック・ワイルドキャット。
キットはすべて単価1ドルで、かつて新キットの廉売に舵を切って大きくメーカーの体力を失わせたジョーハンの98セント・シリーズ(本連載第15回参照)を彷彿とさせる窮余の策であるかに見えたが、amtはこの新しいカーブサイドキットの成型品とワイルドカードである「T」ナンバーを、「X」ナンバーのモーターシティ・ストッカーとは別に組み合わせ、シェベルにはSS454(品番T317)、トリノ・コブラにはスポーツルーフ(品番T321)、モンテカルロには特記事項なき品番T326といったふうに、3イン1ではない、箱絵にストックカー・レーシング色をより強く打ち出したエンジン付きのスペシャルキットをあわせて発売する周到さをみせた。
残念なことにここから漏れた残りの「X」ナンバーキット、フォード・LTDとサンダーバード、ビュイック・ワイルドキャットの3点については、それぞれに品番Y716、Y738、Y734というイヤーモデル/アニュアルキットとしての品番が事前に用意されながら、ついにエンジン付きアニュアルキットとして市場に出る機会は訪れなかった。(驚くべきことに、’70ビュイック・ワイルドキャットは2023年、ラウンド2の采配によってエンジンなきクラフツマン・プラス・シリーズのひとつとしてまさかの再販を遂げている)
amtにとって1970年はまさに呪われた年で、品番を与えられながら市場に出なかったキットは他にもあった。シボレー・コルヴェア(品番Y728)、エルカミーノ(品番Y717)がそれで、実車のモデルイヤーが1969年をもって終了した瞬間にキット開発中止の運命が決定づけられたコルヴェアはともかく、エルカミーノのアニュアルキットがコストの勘案から企画段階で切り捨てられたことはもはや疑いようもなかった。
また、この頃までにamtは、ジョーハンら外部の金型成型品を調達してamtバッジの下に販売する手法をさらに推しすすめようと図っていた。1970年にamtのアニュアルキットとしてその名を連ねたAMC・AMXやオールズモビル2種は、ジョーハンが制作したキットであった。このときジョーハンは、不振にあえぐ販売成績から目をそむけるように、いや、むしろそれだからこそ、製品のクオリティー向上に並外れた心血を注ぎ込むようになっていた。
とくにファニーカーをテーマにしたキットはいずれも鬼気迫るクオリティーに達しており、AMC各種、オールズモビル各種をテーマにしたファニーカーは、当時絶好調だったMPCの同等品を軽く凌駕する高忠実度再現のロッギ・シャシーをそなえ、アニュアルキット草創の時期からずっと評価の高かった正確なボディーワークとあわせて、熱心なファンをすっかり心酔させていた。
amtバッジ下のジョーハン製品は、ライセンス問題で苦戦を強いられるamtに配属された、きわめて戦闘能力の高い義勇兵のような存在だった。斥候をさせても狙撃をまかせても必ず結果を出す義勇兵が唯一できなかったのは「戦局をひっくり返す」ことだけだった。
それでもamtはこうした外部からの金型成型品による自社ラインナップの「拡張」を試み続け、翌1971年には遠くフランスのエレールから、1/24スケールのブラバムIII、マトラIIといったフォーミュラカー、それにアルピーヌ・A210、ルノー・ゴルディニR8といったアイテムを輸入し、本当の縮尺をぼかすかたちで、amtバッジのダブルキット(ふたつのアイテムがひと箱に収まるセットものキット)として展開するに到る。
メルセデスとポルシェ、ふたつのドイツ車が落とした影
1969年のオールアメリカン・ショー&ゴー・キャンペーンの折、「世界最大規模のモデルカー・マニュファクチャリング」を自称したamtは、振り返ってみればこうした外国車を自社製品ラインナップに加える試みをじつは過去にもおこなっていた。1965年に登場した1/25スケールのメルセデス・ベンツ300SL(品番2065)がそうした試みの最右翼で、amtはこのとき続編としてポルシェ911を1/25スケールで発売する準備すらすすめていた。
プロジェクトは1/10スケールのモックアップをかたちにするところまで前進していたものの、メルセデス・キットの思わぬ販売不振に直面して1967年発売を目指していた製品化を断念したとされているが、これがもし実現していればあるいは、1970年にamtが迎えた状況はまったく違ったものになっていた可能性もある。しかし、現実はそうはならなかった。
アニュアルキットの変遷を主要なテーマに据える本連載では決して大きく扱うことのなかったテーマではあるが、トム・ギャノンを筆頭とするamt経営陣は1970年時点で、アメリカンカープラモのもっとも特殊な領域ともいえるショーロッド・モデルの社内企画にゴーサインを出していた。
後年の蒐集家たちに「リル・シリーズ」と呼ばれることになるこの風変わりなキットの一群は、かつてレベルが “ビッグ・ダディ” エド・ロスと契約することで誕生したショーロッド・モデルのコンセプトをさらに踏み込んで「経済的」に仕立て直したもので、デザイナーを外部からネームバリューごと雇い入れたり、すでに存在する実車の製品化ライセンスを取得するのではなく、すでに社内にいるハウス・デザイナーにすべてを一任し、実車の存在しない本当に荒唐無稽なアイデアをそのまま1/25スケール表記のあるカープラモにしてしまうというものだった。
この企画は図らずも、後世にきわめて熱烈な支持者を獲得することになるレベルのディールズ・ウィールズとほぼ同時期に市場へ解き放たれることとなった。
amtのキーマンとなるデザイナーの名はジョン・ボゴシアン――前述のディールズ・ウィールズを生み出したデイブ・ディールに較べてはるかに名を知られておらず、これまでamtでは箱の側面デザインや組立説明書、デカールといったところを手がけていたに過ぎなかった彼は、兵役からの復職をきっかけに幼少期から培ってきた「奇想」の才を存分に開花させて、ライセンスのやりとりにまったく煩わされることのないなかなか強力なドル箱シリーズを、レベルやモノグラムといった「非アニュアルキット」勢力との相乗効果をも追い風にして築き上げていくことになる。(なお、この件についてはぜひ別稿を用意したい)
いまや完全にamtに取って代わり、アニュアルキット・ビジネスを制したかに思われたMPCだが、水面下では着々と、市場が仰天するような計画をすすめていた。
それは会社のもっとも良い時期に、より安定した経営基盤を持つ巨大企業にMPCを売却するという、大胆きわまりない野心的な計画であった。