風になったレーサーの想い出とともに…レイトンハウスの「メルセデス190E2.3‐16」をフジミ製プラモで再現!【モデルカーズ】

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グループA制覇のためのホモロゲモデル

メルセデス・ベンツ初の、Dセグメントに属するモデルとして、190シリーズ(W201)は1982年に登場した。ただし、ここで言うDセグメントは現在のそれとは若干異なり、単純に全長で考えると、現在のCセグメントに相当するサイズである。W201は、オイルショックによって急速に高まった経済的実用車を求める声に応え、約10年の歳月をかけて開発されたと言われる。

【画像91枚】色も形も細部も鮮やかな190Eと、その制作工程を見る!

ボディサイズは日本の5ナンバー・サイズに収まる大きさ(全長4420mm/全幅1680mm)で、トランクの高いハイデッキスタイルが特徴。ボディ形式は4ドア・セダンのみで、ワゴンなど他の形状は最後まで追加されなかった。レイアウトはFRで、サスペンションはフロントにストラット、リアに世界初のマルチリンクを採用している。エンジンは新開発のSOHC 2L 直列4気筒で、キャブレターとインジェクションの2仕様があり、これらガソリン車は190Eと呼ばれた。一方、ディーゼル車は1984年に2Lエンジンで追加され、こちらは190Dと呼ばれる。

W201には、より排気量の大きなエンジンも追って加えられており、これらは車名の末尾に排気量をL表記の数字で足すことで区別される。そのバリエーションの数は少なくないが、ここでは、本題の190E2.3-16についてのみ述べておこう。これは1986年に登場したモデルで、2.3Lの直4 DOHC 16バルブ・エンジンを搭載している。末尾に「-16」が付くのは、ただの2.3Lモデル(SOHCエンジン)と区別するためである。

この190E2.3-16は単なるスポーティ・モデルではなく、当時のグループA規定に合わせたホモロゲ・モデルであった。エンジンはコスワースの協力によって開発されたもので、最高出力175ps/最大トルク22.9kg-mを発揮。DTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)での、BMW M3と熾烈な争いが今も語り草になっているほか、我が国のJTC(全日本ツーリングカー選手権)にも参戦している。

エボ1からボディを改修し、顔つきも似せてみる!
さて、メルセデス・ベンツ190Eのプラモデルは、エッシーとフジミの2社からリリースされているが(いずれも1/24スケール)、ここでご覧頂いているのは、フジミ製キットをベースに、1986年のJTCに参戦したレイトンハウスの190E2.3-16を再現した作品である。フジミからはそのものズバリのキットが1980年代に発売されている(近年も再販があった)が、作例はそれをそのまま使ったのではなく、ルーフ形状がより正確に再現された(ボディ金型が全く別物となっている)同社製190Eエボリューション1(以下、エボ1)をベースに使用し、レイトンハウスのデカールを組み合わせて制作したものだ。

作業としては、まずエボ1のボディを2.3-16に改修していくのだが、簡単に言うと、大型化されたフェンダーアーチを切り取り一度平面にした後、2.3-16の小振りな後付けフェンダーを作るのである。そしてフロントバンパーは、側面から底面をぐるりと一周しているエクステンション部分を削除していけば、2.3-16の形状が姿を現す――といった具合だ。さらに、サイドステップ部分の形状も見直している。それだけでなく、元キットのあまり実車に似ていないポイント(顔つきなど)にも改修を加えた。

基本形ができたらGr.Aレーサーとしての工作を進める。実車はフランスのスノーベックが仕立てた車両を使っていたようで、ベンツと言うとドイツAMG製かと思われがちだが、実はフランス育ちなのだ。シートはアルピーヌ等でも有名なモドプラスティア製で手持ちのパーツから自作、この辺りにもフランス生まれが感じられる。実車のレイトンブルーは、基本的にはホンダ・シティ(カブリオレ)のマイアミブルーを採用しているとのことだが、個体差があるらしく、写真によっても色味が異なって見えるようだ。何度も調色を試みたが、STUDIO27から限定で発売されていた専用色をそのまま使用することで一件落着とした。

さて、レイトンハウス・ベンツを語る上で、悲しい事故の話はどうしても避けて通れない。1986年のJTCに参戦していたレイトンハウス・ベンツだが、菅生サーキットでのテスト中にクラッシュ、炎に包まれてしまう。その時のドライバーは期待の若手、萩原光(アキラ)選手。前日の鈴鹿でGr.Cレースにニッサンからエントリーしていたアキラだが、レース前のフリー走行時にマシンから出火。本人は無事であったが車は燃えてしまったため、レースは断念し急遽菅生に向う。その翌日にベンツのテストを行ったところでの事故であった。

クルマは輸入されたばかりの2号車で、ボディは白のままであったが、チームのホイールの色でかろうじて判別できるほどの炎であったという。そして29歳のアキラは、当時の記事の言葉を引用すれば「風になった」のであった。その後チームは2戦程欠場し、9月の西仙台から影山正彦選手が加わって、黒沢元治選手と共に参戦再開(本作例はこの辺りの仕様の再現)、しかしこの年限りでベンツでの活動は終了した。

個人的な話であるが、萩原光氏は地元の先輩。近所では「AKIRA」のステッカーを貼った通好みなクルマを見かけることもいまだにある。今もレースファンの心に残っている将来有望だったはずのレーサー、その彼に起こった悲劇をも思い出させる、レイトンハウス・ベンツはそんな車でもある。

作例制作・文章(後半)=飯塚健一/フォト=服部佳洋 modelcars vol.298より再構成のうえ転載

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