究極のシンプルから生み出された扱いやすさ! 「フィアット124」は非凡な魅力溢れるベーシックカーだった

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本当にデザインの国、イタリアが生んだクルマなのだろうか? と疑いたくなるほど何の装飾もないシンプル極まるセダン、それがフィアット124だ。しかし軽量かつ使いやすく、4輪ディスクブレーキをいち早く採用するなど、トータルバランスに優れた一台なのだ。

筋金入りのダサカッコイイ

日本を含めて世界各地に存在するカー・オブ・ザ・イヤー(COTY)。その中でもっとも歴史が長いのが1964年に始まった欧州COTYだ。

子供の頃から欧州車に興味を持っていた僕は、第1回のローバー2000から始まる受賞車リストを眺めながら、当時の現地の流行事情や社会背景などを想像していた。でも中には「なんでこのクルマがCOTY?」という車種もあった。そのひとつが1966年に発表され、翌年の受賞車になったフィアット124だった。

フィアットとしては初のCOTY受賞車となったこのクルマ、見た目はこの通り四角四面の4ドアセダンだ。5年後にCOTYを受賞した128は、ダンテ・ジアコーザ設計の横置きパワートレインをいち早く採用したことが評価されたが、同じジアコーザが手掛けた124はオーソドックスなフロントエンジン・リアドライブだった。

同じ年に発表されたピニンファリーナ設計・製作のスポルトスパイダーはスタイリッシュで、エンジンはアウレリオ・ランプレディ設計のDOHC、いわゆるランプレディ・ツインカムを積むなどメカも魅力的だった。

68年後期より4灯式となるが、その直前の前期型2灯式ヘッドライトのモデルが今回の撮影車両。ラリーカーさながらに4つも備わるフォグランプは後付けによるもの。

もしかして124のCOTY受賞はスポルトスパイダーのおかげによるところが大きく、四角四面のベルリーナにはさほど魅力はなかったんじゃない? と穿った見方をするようになってしまったのだ。でも1990年代になって仕事でヨーロッパを頻繁に訪れるようになると、その気持ちが変わっていった。

街中や高速道路で124ベルリーナと思しき車両を何度も見かけたからだ。それは厳密には124ではなかった。リアにはFIATの代わりにLADA(ラーダ)の文字があった。

第2次世界大戦後、世界が東西冷戦時代にあった頃、イタリアは西側陣営なのに、なぜか旧ソ連をはじめとする東側諸国と仲が良かった。フィアットもそのパイプを活用し、現在はルノー日産グループにある自動車会社アフトワズ(VAZ)の設立に協力。見返りに124ベルリーナのノックダウン生産が始まった。

ジグリという名前で売られたこのクルマ、当時のソ連ではかなり先進的な内容だったこともあって大人気になった。そのため1974年に後継車の131が登場すると現役を退いた124に対し、マイナーチェンジを重ねながらなんと21世紀まで作られた。

スチールホイールにスチールキャップを組み合わせたもの。

さらに本家124が生産を終了した頃からは西ヨーロッパでも発売され、低価格を武器に相応の販売実績を挙げた。このときの名前がラーダで、僕がヨーロッパで見かけたのはこれだった。ちなみに現在も生産が続く小型SUVのラーダ・ニーヴァは、ベルリーナのメカニズムを使って開発された。こちらにも124の血は流れているわけだ。

この他124はスペイン、トルコ、インド、エジプト、韓国などでも生産され、フォルクスワーゲン・ビートルやトヨタ・カローラ並みに世界各地に広まった。一説によればトータルの生産台数は約1000万台を超えており、ビートル、T型フォードに続く地位にあるという。ここまで書いてくれば124が偉大な小型車だったことを理解してもらえるだろう。

そんな124に乗る機会が訪れた。スパイダーは経験済みだがベルリーナは初めてだ。全長約4m、全幅約1.6mというボディサイズは今のクルマとしては小さいはずだが、模範的なプロポーションなので大小の区別がつかず、年齢不詳でもある。

コクピットは、中央に送風のレバーと吹き出し口、ドライバーの前にメーターボックスとステアリングが生えるだけとシンプル極まりない作りだ。

ところがキャビンに入ると感動する。まず思いつくのはルーミーという言葉。想像以上の広さと明るさだ。そういえば124、後輪駆動車としては異例にノーズが短い。パッケージングの工夫もあるはずだ。シートはブラウンのビニールレザー張りで、サイズはたっぷり、座り心地はふっかり。同じ時代のフランス車みたいだ。インパネはこれ以上シンプルにできないんじゃないの? と思ってしまうほど簡潔無比。だからこそ細く大径のステアリングと内側に備わった懐かしのホーンリングが目立つ。せっかくだからと3角窓を開けてからキーを捻る。

ローバックタイプソファのようなフロントシート。座り心地もふっかりと柔らかくソファのよう。

今回取材したのは1968年式。2灯ヘッドランプを持つボディに1.2L OHVエンジンを積んだベースモデルだ。前にスポルトスパイダーの1.4Lツインカムをランプレディ設計と書いたけれど、ベースとなったこのプッシュロッド1.2Lもランプレディの手になるものだ。

フロントシート同様ソファのような形状、柔らかさを持つリアシート。外から見るより中は広くルーミーで、視界も良好だ。

ランチア・デルタHFインテグラーレに積まれてWRCを6連覇した2.0L DOHCターボのルーツがここにあると知ると、なんだか感慨深い気持ちになるけれど、リアルな評価をしても好ましいエンジンだった。

4気筒の1.2L OHVユニット。パワーは60psに過ぎないが、イタリア車らしく軽快に上まで吹け上がり、徹底した軽量化で実現した855kgのボディを元気よく引っ張る。

とにかく回したくなる。しかも力感もある。取材地だった名古屋の街を、まったく普通に駆け抜けていける。音は同じ時代のフェラーリみたいに聞き惚れるタイプじゃないけれど、無理なく吹け上がっていることが伝わってくる、健康的な息吹だ。

メーターは横長の指針式。速度計のみで160km/hまで刻まれる。

たった60psなのにここまで元気なのは、この時代のイタリア製実用車らしい低めのギア比ともうひとつ、軽量ボディのおかげもある。

実は124、前任者であるフィアット1300/1500と比べると、ボディサイズはほぼ同じなのに車両重量は約100kg軽かった。1300/1500の後継車を124と125の2車種に分けたためもある。

1300/1500のプラットフォームを伸ばし、1.6Lツインカムエンジンを組み合わせた125に対し、124は軽量化を徹底したボディに必要最小限のエンジンを積んだ。ダウンサイジングのルーツだったのだ。

この時代ではいち早く4輪ディスクを採用したブレーキは確実に速度を落とし、身のこなしは素直で、コーナーは安定しているし、立ち上がりでは後輪駆動っぽさも味わえる。軽量ボディということで懸念された乗り心地は、路面の感触を伝えるイタリア車らしいフィーリングでありながら荒さはなく、予想以上に落ち着いている。

平凡に見える車体の内側は非凡のかたまりだった。なぜCOTYを受賞したのか、理由が分かった。

ボディ形状が多彩で長きにわたって愛された

開発コードナンバーをそのまま車名としたフィアット124はまず1966年にベルリーナとスポルトスパイダーが発表。翌年エステートとスポルトクーペを追加した。1968年には4灯ヘッドランプと1.4Lエンジンのスペチアーレ、1970年にはクーペ/スパイダーと共通のツインカムを積むスペチアーレTが加わり、最後は格上の125と同じ1.6L DOHCも搭載された。後継車の131が登場するとベルリーナ、エステート、クーペは生産を終えるが、スパイダーのみ1980年代まで作られており、最後はピニンファリーナ・ブランドで売られていた。WRC参戦用に製作されたアバルト・バージョンは現行アバルト124スパイダーのルーツとして知られている。

SPECIFICATION【FIAT 124】
■全長×全幅×全高:4030×1611×1420mm
■ホイールベース:2420mm
■トレッド(F/R):1330/1300mm
■車両重量:855kg
■エンジン型式:直列4気筒OHV
■総排気量:1197cc
■最高出力:60ps/5600rpm
■最大トルク:8.9kg-m/3400rpm
■サスペンション(F/R):ダブルウィッシュボーン/トレーリングリンク
■ブレーキ(F&R):ディスク
■タイヤ(F&R):155SR13

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森口将之
AUTHOR
2022/03/28 09:00

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