誰もが知る有名なメーカーが出していたのに、知名度が低いクルマをご紹介する連載、その名も【知られざるクルマ】。今回は、クルマ好きなら知っているものの、「ほんとうの姿」があまり知られていない車種にフォーカスを当ててみた。
そのクルマとは、80年代末に日本のレースシーンでも暴れまわり、今なお多くの人の記憶に残る「フォード・シエラ」である。
スカイラインと激しく競い合った「シエラRSコスワース」
アメリカのビッグ3の一翼で、2019年での売り上げランキングでは世界4位に君臨するフォード。古くからアメリカ以外の現地法人設立を行い、世界各国で生産を行うグローバルメーカーでもある。中でもヨーロッパ・フォードは、欧州ではVWなどと並び「ごく普通に選ばれる」ほどのメジャーなメイクス。日本では「フォード」で一括りにされがちだが、北米市場での販売車種とは印象が大きく異なるラインナップを擁する。
そんなビッグメーカーたるフォードのクルマが、日本では正規で購入できないという事態は由々しきことだが、今回ご紹介する「シエラ」もまた、日本に正規輸入されなかったモデルである。だが、シエラはそれでもクルマ好きの中では知名度が高い。それは1980年代末に、日本のGr.Aフィールドでスカイラインと激しく戦ったマシンゆえである。
シエラRSコスワースは、1987年のJTC(全日本ツーリングカー選手権)に長坂尚樹選手のドライブで参戦。途中でマシンを「RS500コスワース」にスイッチしたシエラは、1987年のチャンピオンを獲得。その後も、トヨタ・スープラ・ターボA、日産・スカイラインGTS-Rなどの強豪をも退け、1988年・1989年と立て続けにコンストラクターズチャンピオンを奪い去っていった。
なお、「RSコスワース」は、Gr.Aに参戦するために、レギュレーションで決められていた生産台数5000台を満たすシエラ随一の高性能モデルだった。1985年からおおむね1年間で約5500台が生産された。直4・2L DOHC16バルブエンジンをインタークーラー付きターボで武装し、ストック状態で204psを発生。シエラの特徴だったグリルレスマスクも、冷却効果の向上を図り開口部が追加され、フロント/リアのエアダムバンパー、高い位置にステーで支持されたリアスポイラーにより、迫力ある外観を得ていた。
そして「RS500コスワース」は、RSコスワースをさらにハイスペックにしたモデルで、1987年に登場。ギャレット・エアリサーチ製T04ターボの搭載、インタークーラーの大型化、燃料ポンプ・シリンダーブロック強化など多岐にわたるチューニングにより、最高出力は225ps以上に向上していた。外観上では、フォグランプを外した跡をブレーキ導風口に変更。リアスポイラーも2段式となって迫力が増大している。生産台数はきっちり500台で、すべて右ハンドルだった。
ごく普通のファミリーサルーンだったシエラ
さてここで、記事のお題の「(ほんとうの)シエラの世界」の話を進めよう。結論から書いてしまうと、シエラは、いわゆるDセグメントに位置する、ごく一般的なミドルサルーンだった。その中で、突出して高性能かつ印象に残るのが、RSコスワースというわけなのだ。いわば、本来はVWゴルフに対抗する大人しい1.5BOXだった「ランチア・デルタ」に、DOHC+ターボ+4WDで強化した「インテグラーレ」が存在した……と考えるとわかりやすい。
シエラは、ヨーロッパ・フォードの中堅サルーン「タウヌス(ドイツ名)/コーティナ(英国名)」の後継として、1982年に登場した。タウヌス/コーティナは、写真でもわかる通り、極めてコンサバティブなスタイルの堅実な実用車だが、シエラ最大の特徴は、カロッツェリア・ギアが手がけた、モダンで空力を重視したデザインだった。そのため代替車たるシエラに対して、英国では既存のユーザー層に拒否反応が起き、発売後の滑り出しはイマイチだった。一方のドイツではそんなことはなく、シエラはすぐに高い人気を博したという。お国柄の違いが出ている面白いエピソードだ。
当初は5ドアと、エステート(英)/トゥアニア(独)と呼ばれたステーションワゴンで登場し、1983年に3ドアを追加した。なお、シエラの外観はとても(今見ても)未来的だが、フロント:ストラット、リア:セミトレーリングアームのサスペンションを備える縦置きのFRで、設計的にはコンベンショナルなクルマである。エンジンは1.3L/1.6L/1.8L/2Lの直4、2L/2.3L/2.8LのV6・OHV、1.8L/2.3Lディーゼルという、かなりのワイドバリエーションを用意していた。
さらに……知られざる「前期型シエラのもう一つの顔」に驚愕!?
さてさて、この記事の核心は、実はここからだったりする。
詳細は後述するが、シエラは1987年にマイナーチェンジを行い、マスクを大整形して後期型に進化するのだが、前期型のフロントは、基本的には奥目の横長ライト、バンパーの角に回り込んだウインカーという共通デザインなので、「ノーマルのシエラ」と「RSコスワース」の間に、違和感はないのだ。
でも、前期型シエラには、実は「もう一つの顔」があったのだ。それが、これだ。下の写真を見ていただきたい。
矩形のシンプルなヘッドライトとスリットグリルのマスクは、「これ、シエラなの?」と思いたくなるデザインだ。この顔を持っていたのは、上級版「ギア」と、スポーティ版「XR4i」以下のグレードで、もっとも安価な仕様になると、グリルは無塗装になり、「シエラじゃない感」がよりアップしていた。力強いルックスを誇るRSコスワースの陰に隠れがちだが、これもまた、シエラの「真の姿」といえるのだ。
後期型はまた違う表情に セダン版も登場
前述のように、1987年にシエラは大きめのマイナーチェンジを行い、個性的だった表情を捨てて当時のフォード・ファミリーマスクに変更した。そして同時に4ドアセダンも登場。英国では「サファイア」と呼ばれた。タウヌス/コーティナに替わるモデルが、ここでようやく誕生したことになる。英国におけるシエラのセールスは、それまでも好調に推移していたが、このマスクチェンジと4ドア追加でさらに人気があがり、生産が終わった1992年の段階でも、英国新車販売のベスト5に食い込むほどだった。
マイナーチェンジで大きく変わったのは、RSコスワースも然り。なんとベースボディを3ドアから4ドアセダンにチェンジしており、3ドア時代のようなホモロゲーションモデルではなく、高級・高性能サルーンという役目が与えられていた。さらに1990年、シエラはもう一度改良を実施。外観上の大きな変化はないが、ウインカーレンズがホワイトに変わっているのが識別点だ。この時、RSコスワースが4WDを得て「RSコスワース4×4」に進化したこともトピックだろう。4WD化で増加した車重をカバーするため、エンジンは220psまでパワーアップしていた。
そしてシエラシリーズは1992年まで製造が行われた。後継モデルは、日本でも販売されてプチヒット作になった「モンデオ」である。
実は「国際戦略車」だったシエラ
ヨーロッパ・フォードの要となったシエラだけに、フォードにとっても世界戦略車としての重要なポジションを担っていた。南米・ニュージーランド・南アフリカなどでも現地生産が行われたほか、アメリカでも「メルクール」という、欧州フォードの車種を北米で販売するためのブランドで販売していた。メルクールブランドでは、シエラXR4iと欧州フォードの旗艦「スコーピオ(独)/グラナダ(英)」を扱ったが、知名度の低さなどから販売台数は伸び悩み、フォードは1989年にブランドをあっさり廃止。1985年の誕生後、わずか4年で消滅してしまった。
ところで、ひとえに欧州フォードといっても、その歴史はとても古く、さらにドイツ・フォードと英国・フォードでは、生産していた車種も異なっていた。そこで次回は、その中からドイツ・フォードを代表する「タウヌス」にスポットライトを当ててみたいと思う。