米語に翻訳されたユーロ・スポーツカー
60年以上もの間、明るくアメリカン・ポップスを唄い続けてきたシボレー・コルベットだが、意外にモデルチェンジは少なく、実は今でもまだ第7代目。それほど各世代とも広く深く愛されてきたわけだが、その歩みを通じて、驚くほどの大変身も遂げている。その結果、今ではポルシェやフェアレディZと並んで国際基準で語られるスポーツカーにまで成長したが、ここでは、戦後アメリカンスポーツカーの礎を築いた初代「C1」の透視イラストを紹介する。わかりやすいオープン2シーターに大馬力エンジンを積んだ1950年代の仕立てが、今となっては非常に懐しいからだ。
控えめな6気筒エンジンを積んでいたC1の初期モデル(1953〜1955年)。
2灯式ヘッドライトは、プレクシグラスのカバーに保護用の金属メッシュ付き。
基本構成は常識的。角断面の鋼材をやや立体的に組んだフレームやダブルウイッシュボーンのフロントサスペンションは、大戦直後のアメリカ流そのもの。しかしボディは、既成概念を根底から覆すほど新しかった。なんと全面的にFRPで作られていたのだ。初期には変形やひび割れなどの不具合も出たが、デザイン部門を率いたハーリー・アールは、頑として軽量ボディにこだわった。彼の頭の中には、ヨーロッパ流の軽量スポーツカーのイメージが描かれていた。だから大馬力で吼えるより、3.9Lの6気筒OHV(152ps)でトータルバランスを狙っていたのだ。
ボディ側面の“サーフライン”と熱気抜きの孔は、1958年の後期から。スポーツドライビングの友としてより、このようなデートカーとして重用されることも多かった。
しかし、こんなにチャーミングな玩具をアメリカ人が放っておくわけがない。たちまち「もっとパワーを!」の声が津波のように押し寄せる。それに応じて、後にコルベットの鬼と呼ばれるようになったゾーラ・アーカス・ダントフがV8をぶち込んだ瞬間から、コルベットの新しい運命が決まってしまった。
2代目でスティングレイスタイルに生まれ変わり、それを極端に強調したのが3代目(1968年からのC3)。リアスプリングを横置きリーフにするコルベット方式はC2から始まった。
みんな大喜びで、全米各地のクラブレースに出て来たのだ。イラストはC1の中期仕様の、ほとんど最後に当たる1959〜1960年のもので、主に搭載されているエンジンは、ホーレイの大径4バレルキャブレターを架装した4637ccの248psだった。機械式燃料噴射で300ps以上にまで煮詰めたタイプも選べたが、ギアレシオが広く分散した3速または4速のMTでは限られたトルクバンドに適応しにくく、あまり歓迎されなかった。彼らはレース場まで、参加するクルマで駆けつけていたからだ。
ずらりと勢ぞろいした歴代コルベット。新旧の差はあっても、FRスポーツカーとしてのプロポーションはいささかも揺らいでいない。
しかしハッピーな雰囲気ではあっても、プアなサスペンションのため、レースでの勝ち目は薄かった。深く踏んで大トルクを掛け、後輪から白煙をあげながら躍るテールに胸をとめかせるのが、「ヴェット」オーナーの尽きせぬ喜びだった。
ハンドリングで語られるようになったのC4(1983〜1996年)からで、国際的なレースでの活躍も目立つように。最新のC7(1914年〜現在)は、苛烈だが温和でもあるスーパースポーツ。