「ランボルギーニ」の名を世に知らしめた傑作ランボルギーニ・ミウラ【世界の傑作車スケルトン図解】#01-2

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「スーパーカー」の定義を決定した美しき変革者

時代最強のレーシングカーから譲られたメカニズムと大排気量エンジン、エキゾティックなスタイルとゴージャスなインテリアをすべて「オール・イン・ワン」とした超高級グラントゥーリズモ。それをスーパーカーの定義とするならば、ランボルギーニ・ミウラこそ、スーパーカーというジャンルの開祖ともいうべき偉大な一台だろう。

実験的な要素の強かったミウラはデビュー当初完成度が低く、技術的な改良や性能アップなど、絶え間ないブラッシュアップが図られた。写真の最終進化形“SV”では駆動系なども刷新。

時は1960年代中盤。レース界では常識になり始めていたミッドシップ車だが、当時ロードカーに導入された例は、フランスのルネ・ボネ・ジェットなどごく少数しか存在しなかった。

ボディデザインはベルトーネに在籍した時代のマルチェッロ・ガンディーニが担当した、というのがランボルギーニ、ベルトーネ両社の公式見解となっている。

そんな折、1965年のトリノ・ショーにて、鋼板を溶接したスケルトン構造のフレームにV12ユニットを横置きミッドシップに搭載するベアシャシーを見た誰もが、ランボルギーニのレース進出を噂した。ところが、翌年春のジュネーヴ・ショーに再び出品されたのは、前年のベアシャシーにカロッツェリア・ベルトーネ製のエキゾティックなボディが架装された超弩級市販車、P400「ミウラ」だった。

「個人教授」や「ミニミニ大作戦」などの映画でも名演技を見せた。

ミウラとは、19世紀スペインの有名な闘牛飼育家ドン・アントニオ・ミウラの名前に因んだもの。そしてこの後もランボルギーニは、伝説的な闘牛の名を採った「ディアブロ」や「ムルシエラゴ」、18世紀スペインの闘牛飼育家の名である「ガヤルド」など、闘牛やその飼育者に因んだネーミングを現代に至るまで好んで使用することになる。

革新的なテクノロジーや絶対的なハイパフォーマンスを誇った。

紆余曲折を経て1967年から生産に移されたP400ミウラは、ランボルギーニの処女作である400GTのエンジンを350psまでチューン。一説には初期のホンダF1に影響を受けたとも言われる横置きミッドシップに搭載していた。そして最高速290km/hを自称する高性能と本格的レーシングカーのハンドリングを、エキゾティックなスタイルと豪奢なインテリアとともに愉しめる、文字どおりのスーパーカーとなったのだ。

ミウラは市場からも熱狂的に受け容れられ、それまで新興のランボルギーニを軽視していたフェラーリやマセラティなど既存メーカーも、それぞれ365GTB/4デイトナとギブリを発表。まさしく全面戦争のごとき様相を呈することになった。

デザイン秀作として一品制作。1968年ブリュッセル・ショーで発表されたスパイダーモデル。生産化には至らないまま終わる。

翌1968年には、小改良とともに370psまでパワーアップした「ミウラP400S」へと進化。「S」は「極端な」を意味するイタリア語「Spinto」の頭文字とされる。そして1971年にはさらなる進化を経た「P400SV」に移行し、1972年まで生産された。

レース参加を期して実験的に開発されたP400SVJ イオタ。のちに数多くのメーカー公式レプリカが製作されたことでも有名。

ランボルギーニ創業者、フェルッチオは当初ミウラの量産を考えていなかったとされるが、ショーでの圧倒的反響から翻意したという。かくして稀代の名作は、我々の記憶に永久に刻まれることとなったのである。

解説:武田公実

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