ダム建設で枯れ川となった越されぬ大河の流れ
『越すに越されぬ……』と唄われた大井川の流れ、そして、鉄道ファンに人気の大井川鐵道SLとともに、南アルプスの山懐へと分け入っていく川根路。茶畑の広がるのどかな田園から急峻な渓谷地帯へと、道の表情は大きく移り変わっていく。
『箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川』
箱根馬子唄に唄われた大井川は江戸期を通じて東海道最大の難所だった。
当時の水かさは平水時で二尺五寸(約75cm)。それが四尺(約120cm)になると馬渡しが禁止され、四尺五寸(約135cm)で徒(かち)渡し、五尺(約150cm)に達すると幕府の公文書を入れた御状箱さえ止められた。
川留めは年に十数回あり、最も長いときはそれが28日間も続いたという。
幕府が大井川に橋をかけず、渡し船も禁止したのは、江戸防衛のためというより、経済的な理由の方が大きかったようだ。公認の川越し人足は数百人を数え、ひとたび川留めとなれば、両岸の宿場町は大勢の旅人であふれかえった。晴れても、降っても、大井川はお金を落としてくれたのである。駿河の国は将軍家のお膝元だけに、交通の便より地元経済優先だったのだろう。
河口近くの大井川は大河である。
島田宿の近くに残る蓬莱橋は、ギネスブックにも載る世界最長の木造橋で全長が897mもある。ただし、橋の上から眺める川の流れに勢いはまったくない。水は広い川原の片隅を小川のように流れているだけなのだ。
日本第4位の高峰、南アルプス・間ノ岳(あいのだけ:標高3189m)に源を発する大井川は、フォッサマグナ東の谷筋に沿って流れ、わずか100kmほどの距離で3000mの標高差を駆け下る。そして、この雪解け水を集める急流に目を付けたのが電力会社だった。
明治末期以降、大井川の本流や支流には次々と発電所が建設され、現在でも31か所の取水施設、15か所の発電所が稼働し、最大約68万キロワットの電力を生みだしている。また、明治以降に用水路の整備が進むと、大井川の水は東は藤枝、西は袋井までの広いエリアで、上水道、農業用水や工業用水としても徹底的に活用された。
その結果、大井川の本流は次第にやせ細ってゆき、昭和30年代になると中流域で川の流れが完全に途絶えてしまった。当時を知る地元の人に聞くと、果てしなく干上がった川原は「まるで賽の河原のようだった」という。
われわれが大井川を見たとき、『越すに越されぬ』の謳い文句にどことなく違和感を覚えるのもこのためだ。
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