【フレンチ閑々】 レトロモビル期間中じつはいちばん熱い 「アンダー2万5000ユーロ」コーナーをぶら散歩

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1990年式前後の魅力的なヤングタイマー世代がゴロゴロ

前回、フランスの車検は初年度登録から30年が経っていれば「コレクション車両」認定が受けられ、車検期間も2年から5年に延長されることをお伝えした。ちなみにかの国で新車購入にかかる税は、
1.消費税
2.CO2排出量に応じた逆ボーナス/ボーナス
さらに馬力課税でクラス分けされるのが
3.取得税
4.ナンバー登録に関わる地方税
そして
5.事務手数料
となっている。

中古車の個人売買で新オーナーも負担すべき税は、3、4,5のみっつ。ユーロ5以降でCO2排出の大きいモデルには中古車でも、毎年CO2排出税が課されるが、現状、年間160ユーロ程度。また毎年の自動車税は、法人登録の車両だけに課される概念なので、そもそも個人車両の維持にかかる毎年の税は、ガソリンや軽油に含まれる燃料税、つまり使った分だけが基本なのだ。

以上の環境を前提とした上で、「アンダー2万5000ユーロ(約300万円)の売りモノ」と銘打たれた即売会場に、30年を経た1990年式前後のヤングタイマー世代がゴロゴロと転がっている様を想像してみて欲しい。俄然当然、魅力的に映り、数歩歩いては立ち止まる、といった具合になる。もうすぐ5年車検となるヤングタイマーを、大事に直しながら乗っていこうという動機が、自動車税に苛まれながら維持していくのとは、絶対に違ってくるはずだ。日本ではこうして修理整備の手を入れるべき貴重な車が、車検を機に廃車されるか、海外に渡るか、いずれかになってしまっている。

最初に目に飛び込んできたのは、中間トーンのベージュ色ボディに、あの頃、流行ったドレープの寄った肉厚のレザーシートを採用した、ルノー・シュペールサンク・バカラ。1989年式で9.4万㎞走行、6950ユーロ(約84万円)だ。

じつは筆者も昔、同じ年式でブラウンのボディの同じく5速MT仕様に乗っていたので、持ち帰りたくなる衝動にかられながら、9.5万kmを過ぎてちょくちょく手を入れる必要があったことも思い出した。それでも実際、手をかける価値のあるモデルだと思うのだ。

さらに古き佳き80年代ハッチバックで現れたお持ち帰り候補は、1987年式プジョー205GTiだった。しかも1.6L仕様、1万7390ユーロ(200万円強)だ。1.9Lよりショートストロークのこちらは、バイクのような吹け上がりとレブカウンター針の落ち込みの速さが特徴的で、キレ味では上なのだ。しかも1年保証付き。真剣に悩んだ。

とはいえ香ばしいのはラテン系ばかりでなく、ドイツ車もヤヴァいツボが満載だった。アメリカ仕様のメルセデス1985年式、R107の500SLがハードトップ付きで2万4350ユーロ(約287万円)。8万7000kmという少な目の走行距離ながら、消耗品と機関系はやり直さないとダメそうだが、ボディや内装レザーやダッシュボード、ウッドパネルの状態はすこぶる良好。80sエレガンスが漂ってくる。

その隣で、殺風景な壁バックにも関わらず、同じく80sエレガンスを強烈に薫らせる一台があって、ハッとさせられた。塗装のクオリティからして、この時代のEセグメントは違う。BMWのE34世代の5シリーズ、まだ排気量と車名に整合性ある時代の、520ツーリングだ。2Lのストレート6は148psとパワーこそ控え目だが、きちんと手を入れたらショートストロークで綺麗に回るし、濃緑に黒いレザー内装の程度も上々。しかもスペインの登録ナンバーなのに、コンチネンタルとかミシュランではなくフルダのタイヤを履いていた辺りも、実践的に使われていた雰囲気でシブい。1万3900ユーロ(約168万円)という価格づけも心憎い一台だった。

BMWは他にも、E36の325iクーペとE30の325iカブリオレが、それぞれ1万8000ユーロ(約216万円)と1万6900ユーロ(200万円強)で展示。端正さと緻密さを併せもつ、当時のBMWの魅力を再認識させてくれた。

日本がバブル期で、まだ「西ドイツ車」だった時代のドイツ車は、やはり独特の香味がある。VWでめぼしかったのはT3カラべルのシンクロ、つまり4WDモデルだ。タイプ2のバスのように、VWのキャンパーは今やすっかり高騰してしまっている。価格応談で売り主不在だったものの、300万円アンダーであることは確かだ。しかも価格だけでなく、この時代のビスカスカップリング4WDなのでプリミティブとはいえ、2相4速MTにはスーパーローギアが備わり、悪路での走破性は本気。RRベースの4WDという点では、スバル・サンバーではなくポルシェ959やカレラ4に通じるところがあると、そんな強弁もできる。キャンプ場往復が最大の冒険という、世田谷目黒あたりのGクラスを蹴散らせそうな、そんなポテンシャルは大いに感じさせる。

同じビスカス4WD方式で輝いていたワーゲンは、ハイパフォーマンス・ハッチバックたるラリーゴルフG60、1989年式だった。ブリスターフェンダーで武装した3ドアボディに、コラード用のスーパーチャージド1.8Lを積み、グループAのホモロゲマシンとして5000台が生産されたモデルだ。価格は2万4500ユーロ(約290万円)と2万5000ユーロ趣旨でいえばリミット近く。お隣の1983年式ポルシェ928Sの2万1900ユーロ(240万円弱)の方が、安価で当然という辺りも面白い。

リミットいっぱいの2万5000ユーロ(約300万円)を掲げていたのは、1972年式ボルボP1800ES。元々はアメリカに輸出され7万6000マイル(約11万3000km)を走った個体だが、昨年20万円ほどかけてクリティカルな部分の整備が施され、3ヶ月保証も付いていた。事故歴やモール類の歪みもなく、この年式のキレイな個体としては、納得いく価格なのだ。

逆に300万円を用意してきたら2台買ってまだお釣りが来る、そんな駄菓子のように親しみやすいカジュアルさと価格で並んでいたのは、フィアット500だった。手前の青・1973年式から、真ん中の白・1969年式、さらにオレンジの1972年式まで、すべて1万1490ユーロ(130万円弱)の統一プライスで並べられていた。

妄想と散歩を楽しんだ後、外に出ると、この時期のパリは普段あまりいないタイプのマニア車にあたる確率が高まる。90年代初頭にアウディがポルシェと共同開発し、後者で組み立てられたというRS2。イメージカラーのあのブルー仕様で、英国ナンバーのそれが、964カップとまったく同じだった、当時の純正ホイールを見せつけるように、しかしさりげなく路駐していた。

隣の芝生は青い、というは易しだが、自動車がもっとのびのびと楽しめるリアルに青い環境を、エクスペリエンスとして知っておくためにも、世の中が落ち着いて移動の自由が戻ったら、レトロモビル期のパリには一度、足を運んでみて欲しい。

この記事を書いた人

南陽一浩

1971年生まれ、静岡県出身、慶應義塾大学卒。ネコ・パブリッシング勤務を経てフリーランスのライターに。2001年より渡仏し、パリを拠点に自動車・時計・男性ファッション・旅行等の分野において、おもに日仏の男性誌や専門誌へ寄稿し、企業や美術館のリサーチやコーディネイト通訳も手がける。2014年に帰国して活動の場を東京に移し、雑誌全般とウェブ媒体に試乗記やコラム、紀行文等を寄稿中。2020年よりAJAJの新米会員。

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