シンプルで素朴、それだけにライセンスなどとうるさいことを言うだけ野暮と思わせるのがシカゴ・モノグラムの持ち味だった。現在われわれが知るような鋭くアキュレートなモノグラム像の片鱗があらわれるのはamtショックの後、1960年頃からだ。画像は箱の側面。 この記事をシェアする 記事にもどる photo:秦 正史、畔蒜幸雄 TAG : 1/25スケールAMTアメリカンカープラモドラッグレーサープラモデルプロモプロモーショナルモデルホットロッドモノグラムレベル ■関連記事 激震走る!?モデルカー業界の命運を左右する動きがついに…!【アメリカンカープラモ・クロニクル】第16回 レベルよりリアルなのはレベルだけ!1年限りのスポット参戦【アメリカンカープラモ・クロニクル】第12回 「ル・ボランCARSMEET」 公式SNSフォローして最新情報をゲット! Follow @carsmeet_web