ゆるやかな曲線を描くお尻が堪らない美しさ!「130セドリック」発表!【58年前の今日、こんなことが…】

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ピニンファリーナによるフローイング・ラインを採用

この記事の公開日は2023年10月21日。今から58年前の今日――すなわち1965年10月21日に発表された名車をご存じであろうか? 答は、130型系・日産セドリックである。

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日産の高級車・セドリックは1960年、それまでライセンス生産を行ってきたオースチンA50での蓄積を活かした乗用車としてデビューした。排気量は1.5L、のちに1.9Lに拡大。この初代セドリックがフルモデルチェンジを行い、二代目モデルとして1965年10月21日に発表されたのが130型系セドリックだ。当時の日産ではこの二代目を、「より近代的な外観と、より充実した性能を備えたニューセドリック」と表現している。ボディ形式は先代同様に4ドア・セダンをメインとし、その他にワゴン/バンがあった。

「近代的な外観」の言葉通りスマートなプロポーションのボディは、イタリアのピニンファリーナにデザインを依頼したものだ(日産はその関与については当時公表せず)。下すぼまりのCピラーや、左右リアフェンダー上部とルーフ後端を結ぶメッキモールが特徴的だが、そのフロント周りや、緩やかに下降するサイドラインは、同じくピニンファリーナのキャデラック・ジャクリーヌ(1961年)にも共通するもの。このフロントマスクのモチーフは、やはりピニンファリーナがデザインを担当した同年のプジョー204や、オースチン3リッター(1968年)などにも用いられている。

車体は従来同様にモノコック式で、全長4680mm、全幅1690mmと初代より大きく、全高1455mmと初代より低い。ホイールベースは2690mm、レイアウトはもちろんFR。サスペンションは前ダブルウィッシュボーン/後リーフリジッドで初代と変わりなかったが、エンジンは新開発の直列6気筒SOHCを搭載。これこそ、その後長く日産車を支え続けたL20型の登場である。

当初のL20は後のものとは細かい部分でかなり異なり互換性もないと言われるが、この時はツインキャブ仕様(最高出力115ps)のみが用意されていた。この他のエンジンには、同じ直6 2LながらもOHVのJ20(100ps)と、直4 2LのOHVであるH20(92ps)などがある。なお、このH20は先代でのH型を1.9Lから2Lへと排気量アップしたものである。トランスミッションは3速MTが標準で4速MTをオプション設定、6気筒車にはボルグワーナー製の3速ATも用意されていた。

6気筒車と4気筒車が同じグレードに一部混在
グレード構成について述べると、まず最上級モデルとなるのがスペシャル6(シックス)。エンジンはL20を搭載し、インテリアは英国調の分厚いクッションが特徴で、前後ともセミセパレートシート(フロントはリクライニング可能で、これはわが国初のものであった)を具える。次がカスタム6でこちらはJ20を搭載、外観では上下二段でないシンプルなグリルが特徴だ。その下に、カスタム6とほぼ同じインテリアを持ちH20を搭載するデラックス、そしてベーシックモデルのスタンダード6(J20搭載)とスタンダード(H20搭載)、そしてそのLPG仕様とディーゼル仕様(SD20搭載)が存在していた。

ワゴン/バンについても述べると、まずワゴンは先代ではエステートワゴンを名乗っていたが、130型での名称は簡略化されてただのワゴンとなっていた。J20を搭載するワゴン6と、H20を積むワゴンの2種類をラインナップ。バンにも両エンジンが採用され、6バンとバンの2種類が用意された。バンはどちらもトランスミッションが4速となる。

こうして華々しくデビューした2代目セドリックであったが、その販売成績は芳しいものではなかった。下降したサイドラインを特徴とするボディスタイルが「尻下がり」として不評を買ってしまったことが、その最大の理由である。このため、登場2年後にはリアフェンダーなどトランク周りの形状を直線的に修正。さらに翌年にはビッグマイナーチェンジを敢行、ボディ全体がスクエアな形状となったが、当時のライバルは”白いクラウン”で大いに売ったS50型系クラウンだけに、やはり苦戦が続いたようだ。

話をデビュー当初の1965年10月に戻すと、車両本体価格は以下の通り。まずスペシャル6が115万円、カスタム6で100.7万円、デラックスで95万円、スタンダードで75.5万円。ワゴン6は96.6万円、バンは73.5万円。いずれも東京地域での価格である。

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