サンダーバード+コルベット=エンジン再現!?アニュアル3年目に訪れた変化【アメリカンカープラモ・クロニクル】第8回

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1960年、スタート・ユア・エンジン

1年は等しく365日ではあるけれど、1960年代という10年間は仮に倍の時間があったとしても辻褄が合わないほどの密度でさまざまな事象が巻き起こった。本クロニクルはここでぐっとスピードを落とし、おそらく二度とやってこないであろうこの10年をゆっくりていねいにクルージングしていきたい。

【画像29枚】エンジンが付いたり付かなかったりのamt/SMPのキットを見る!

1960年、amtとSMPの手によってアメリカンカープラモにエンジンが搭載された。amtはフォード・サンダーバードにのみ、SMPはシボレー・コルベットにのみ、加えてこの年の目玉として導入が試みられた3種のピックアップトラックのキットにおいてもフォードF-100のみといった具合に、エンジンパーツの試みはきわめて範囲の限られた適用であった。

話はこの年の仕込みがなされた1959年にさかのぼる。すっかり毎年恒例となっていたプロモーショナルモデル(完成品)に加え、1958年以来のヒット商品となっていたアメリカンカープラモ(組立キット)はいずれも「アニュアル(年次もの)」と呼ばれ、その年ごとの自動車メーカーの新製品をいち早く模型化することを主眼とした「業界主導のモードの模型」だったわけだが、ここから大きく外れた性格のキットがひっそりと慎重にリリースされた。1932年式のモデルBフォード、箱には定冠詞付きで「ザ・デュース」とあった。キットはきわめて精密で、この車の魅力の核であるV8エンジンが付属していた。

当時から極めつきのホットロッド・アイコンとして知らぬ者のなかった’32フォードは、1959年当時に目下進行中のエドセルという悩みを抱えていたフォードにとって、少々ほろ苦い思い出の存在であった。アメリカが産んだアメリカらしいエンジン、フラットヘッドV8を搭載し全土に普及させた立役者でありながら、大衆受けの面では古いストーブボルト6を積んだシボレーのベイビー・キャデラックに遅れを取り、最新の風洞実験に基づいた斬新なフォルムを持つと噂のクライスラー・エアフローに背中を覗われ、たった1年でカタログから姿を消すことになった’32フォード。

このモデルがいかに1959年当時のホットロッド愛好者たちから好まれようと、フォードの懐にコインの1枚も転がり込むわけではない古いモチーフをどうかプラモデル化させてほしいといわれても、フォードにしてみれば「それよりうちの最新鋭モデルを……」というのが本音だったはずだ。しかしフォードはこのamtの提案を諸々の条件付きで承諾した。

当時フォードが求めたのは他社との製品仕様上での差別化で、これを容れることでamtはデュースのキット化のライセンスを手に入れ、その商品広告を’60エドセル・レンジャーと抱き合わせて展開、またアニュアルのサンダーバードとF-100ピックアップだけにエンジンパーツを付属させた(なお、SMPがシボレー・コルベットにエンジンを付けたのは、後の展開を見据えた機転とバランス感覚の賜物だったとだけ記しておく)。

これまでずっと共通デザインの箱に中身の車種を示すラベルを貼って販売されてきたアメリカンカープラモは、このエンジンの付属した「特別なフォードたち」をきっかけにして少しずつ箱の個別化がすすむことになるのだが、まずはこのサンダーバードとF-100にエンジンフードを全開にした特別な箱絵がそれぞれ用意され、価格もエンジンの付かない他のモデルより高い設定がなされた。

一方’32フォードは販売スケジュールに厳しい締切などの制約を持つ前述のアニュアルキットとは別枠のプラモデルとして、ひとまずニュー・トロフィー・シリーズの名を冠された唯一のタイトルのまま送り出された。その広告宣伝は当初ニューイヤーモデルのフォードやエドセルのおまけのようなものだったにもかかわらず、’32フォードはamtはじまって以来の大ヒット商品となった。

あまりの売れ行きに商品供給が追いつかず、amtは増産に次ぐ増産を実施、それでも勢いは衰えることなく、1959年末から61年シーズンにまで食い込む異例の長期販売によって500万個余りを売り上げた。これは従来の「プロモーションという名の紐付き」だった自動車メーカー主導のミニチュア群とは根本的に違う、ミニチュアメーカー主導の初弾アイテムが打ち立てた金字塔だった。

キットに添えられた”過去からの手紙”
驚いたのはamtよりもむしろフォードだった。実はこのときのamtのデュースには美しい両面印刷のカードが封入されていて、そこにはフォード(会社)自身によるものと思われる言葉で、いかに’32フォードにおけるV8エンジン導入が同社のみならず自動車業界にとって大きな進歩であったか、それが当時のフォードにとっていかに危うい賭けであったかが切々と綴られていた。

当時のホットロッド人気をあてこんだミニチュアメーカーが山っ気を出して作った商品のおまけという色眼鏡で見れば、このカードはどことなく場違いなものに映っただろうが、これこそはデュースのプラモデル化にいまひとつ煮えきらないフォードに対してamtが切ったトランプ(奥の手)のひとつだった。

’32フォードこそはヘリテージ(忘れてはならない遺産)だ、自動車は文化であり、フォードの活動はその継承であり、このプラモデル化はそうした意義を歳若い消費者――彼らは潜在的な未来のフォード・オーナーだ――に伝えることができる絶好のチャンスなのだ……amtは現在にこだわるフォードを口説き落とし、未来に宛てて過去からの手紙を書かせることに成功したのだ。

それは同時に、これまで自動車メーカーとミニチュアメーカー双方にとって「ガワ」の問題でしかなかったミニチュアが、完成後は見えなくなってしまう精密なエンジンと自動車メーカーからの添え状によって「組立式でなければ意味がないもの」「いよいよおもちゃの範疇を超えるもの」へと昇華した瞬間であった。

事実このamtデュースに感銘を受けたフォードは、後年このキットに自社のブランドロゴをより大きく掲げた特別なパッケージを用意、長年のフォード・ユーザーへの贈り物として採用した。そこには「これは日頃のご愛顧への、フォードからのささやかな感謝のしるしです」という新しい手紙が添えられていた。

今ではエンジンの付属が当たり前となったアメリカンカープラモには、誰からの手紙も同封されなくなって久しい。年齢を重ねた愛好家たちにとって、アメリカンカープラモそのものがなつかしい年からの手紙になったせいかもしれない。

photo:羽田 洋、服部佳洋、畔蒜幸雄、秦 正史 タイトル作例制作:畔蒜幸雄/photo:羽田 洋

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