今回は高槻市交通部×京阪京都交通のツアーを紹介します
バスに乗る旅と言えばどのような旅を思い浮かべるでしょうか。
はとバスの旅のような、例えばこれからの季節なら梨狩りやみかん狩りなどの果物狩りを楽しんだり、観光地を巡ったりするバスツアーをまず思い浮かべるのではないでしょうか。余談ですが私は、果物狩り全般、いわゆる“狩りもの”の旅が好きです。この場合、バスはあくまでも旅の手段です。
一方、バスそのものが目的であるツアーもあります。それには、バス好きの個人が好きなバスを事業者から借りて貸し切りツアーを主催するバスファンによるバスファンのためのツアーとバス会社が主催するオフィシャルなツアーの2種類があります。
従前は個人貸し切りツアーもバス会社のそれもさほど違いはありませんでしたが、2022年前半のバス会社主催の方に参加してみてちょっとした変化を感じました。
これならもしかしたらバスファンではない人が参加しても楽しめるのでは?と思ったのでシリーズで紹介しようと思います。
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「ただバスに乗るだけならバスファン個人貸し切りツアーには勝てないので、事業者が主催するアドバンテージを活かした『ならでは』な企画で差別化したい」
とは、ツアーの仕掛け人である京阪京都交通運輸部運輸課の西村さんの弁。
2022年前半に行われたツアーにはこれまでにない特長が2つありました。それは次の二点です。
① 添乗しているその道の研究者や専門家から、路線や沿線の歴史を時代背景と共に学ぶ
② 他のバス会社とのコラボで二社のバスに乗る(今回は一社2タイプのバスの予定でしたが、人数不足で1台になってしまいました)
どんなツアーだったのでしょうか。私が参加したツアーを5回に分けて紹介します。今年後半の楽しみの参考になれば幸いです。
第3回は、3月27日に行われた“京阪京都交通バスファン感謝ツアー<路線探訪>京都・大阪にまたがる廃線跡を巡る旅 高槻市交通部×京阪京都交通”です。
丹波の国(京都府)、摂津の国(大阪府)、をかつて結んでいた高槻市交通部亀岡線の歴史を辿る、越境路線シリーズの第3弾となります。
JR高槻駅南口からスタート→高槻市交通部亀岡線経路→京阪京都交通亀岡営業所→湯の花温泉で昼食及びフォトラン→サンガスタジアム→京都市西京区内フォトラン→JR桂川駅前の経路を走行しました。
高槻市バスと京阪京都交通の2台が連なって走行し、参加者は途中の京阪京都交通亀岡営業所で乗り換えました。
バスには、シリーズ①でもお世話になった立命館大学衣笠総合研究機構アート・リサーチセンター客員協力研究員公共交通アドバイザー 博士(文学)の井上学氏が再び同乗。京阪京都交通の西村さんから聞くマニアックな話に加えて、沿線の歴史や地域事情をたっぷり聞けました。
珍しい歴史秘話がいくつも
昭和23年(1948年)1月、日乃出バスが既存の原大橋線(高槻~原大橋)を亀岡まで延伸する形で亀岡線を開業しました。これが高槻市営バス亀岡線のルーツです。
2年後の昭和25年(1954年)2月25日に高槻市が日乃出バスを買収し高槻市営バスを開業しました。「市営バスなくして市の発展はない」との考えに基づいたもので、規模は路線距離72.8km、車両13両、職員13人だったそうです。
しかし買収は直接ではありませんでした。バス事業の経験がない高槻市は、経営が悪化していた日乃出バスを直接買収することに躊躇したため、第三者に一旦事業を引き継いでもらい、経営改善してから譲り受ける方針を立てました。この仲介役になったのが阪急バスでした。
高槻市営バスになっても続いたこの路線は昭和58年(1983年)5月31日に亀岡への乗り入れを終了し、35年の歴史に幕を下ろしました。その後はJR高槻駅北口から県境の杉生までの運行になり現在に続きます。
廃止の理由は、財政難のため利用者数が少ない路線への内部補助が限界に達したこと、市域外路線のため当時の地方バス路線維持制度整備地域の適用が受けられなかったため路線維持ができなかったからとされています。
ところでこの杉生地区は、今は大阪府高槻市ですが元々は京都府南桑田郡樫田村でした。
昭和33年(1958年)4月1日のいわゆる“昭和の大合併”の時に高槻市に編入合併されたのです。
当時この地区では亀岡町を中心に合併が進み亀岡市が発足したのですが、この時に樫田村は高槻市との合併を選択しました。住民投票の結果8割が賛成したそうです。都道府県境を越えた合併の事例は少なく、特に村全体での越境合併は全国初の事例となりました。
木谷正夫氏による「いわゆる越境合併について」(「新地理」1965年13巻1号)によれば、「樫田の高槻への編入を円滑にした最大の理由としては、交通系統とそれによりたまたま躍進途上の高槻市との生活圏での結びつきが、同じ郡の中心、亀岡に編入した場合にくらべてはるかに自然であると考えられてきた事情によるとみられる」と、表現されています。この一文からは、高槻市内からの亀岡線という一つのバス路線の開通が、沿線の地域に影響を及ぼし、さらには前例がなかった村全体での越境合併という大きな決断にも影響を与えていたことが覗えます。
以上は、当日配布された資料からの抜粋ですが、井上学氏によると、
「この地域が水害に見舞われた際の対応が大阪府と京都府で全く違ったことも影響したのではないか」
とのことでした。
史実を紐解くと、この地域の人たちは亀岡より高槻の方に行くことを好んでいたことが亀岡までのバス路線の廃止の要因の一つと推察できますが、これについて同氏は、
「路線ができた後は行き先の魅力によって指向が変わるもの。これまでは高槻の方が断然魅力的なのでこのようになっているが、今では亀岡も郊外型住宅が増え、スタジアムができ、駅前にタワーマンションの建設も進んでいるため、生活環境が充実していくだろう。そうなると今後指向が亀岡に向き、バス路線が欲しいと言い出すことがあるかもしれない。しかしそうなったとしても路線開設は簡単ではない。なぜなら、運賃を低く抑えられてきた過去の経緯から採算性が非常に悪いからだ」
とのことでした。運賃と採算性はけっこうな難問のようです。
高槻市と高槻市バスの特徴
高槻は、高槻城の城下町、西国街道の宿場町(芥川宿)だったことから、このふたつのエリアが合わさって中心を形成しています。
中心地がいまだに元気で商店街も活況だし、百貨店も2つあるし、ベッドタウンなのに駅を出てからなかなか家にたどり着けないくらい飲食店が充実しています。それにはもしかしたら近隣に工場が多いことも影響しているかもしれません(徒歩圏にあった工場は、会社の経営状態との絡みもありなくなり今は大学になっていますが)。郊外にはニュータウンが完成しています。
このため、バス路線も高槻駅を中心としてそこから放射状に路線が延びていることが高槻市バスの第一の特徴です。
第二の特徴は、路線の輸送効率を上げるため郊外に学校を誘致したことです。これにより、朝の駅方向へ向かう便で通勤通学客を運び、その戻りの便では学生を運ぶことにより往復共に乗客でいっぱいという状態を作りました。
これは、都市経営と交通ネットワークを一体開発した珍しい例です。大阪府内の衛星都市で唯一の市営バスだからできたことかもしれません。
路線系統番号の付け方にも特徴があります。
各駅から放射状に各地へ向かう方にはユニークな番号が付けられていますが、駅へ向かう方にはJR高槻駅南行きは1、JR高槻駅北行きは11、阪急高槻駅行きは3、JR富田駅行きは5、阪急富田駅行きは4の基本番号が付けられています。
営業所で部品買い
京阪京都交通亀岡営業所では撮影とグッズや部品の販売タイムがありました。
廃車部品もグッズもバスファンには欠かせないので、参加者は仮設売り場にダッシュ。
危うく雰囲気に飲まれて我を忘れそうになりましたが、バスコレクションと高槻市営バス60周年記念誌だけになんとか抑えられました。
撮影タイムは恒例の幕回し(LEDなので行先表示変更)もあり、また、西村さんの好意で車庫内に留置中のバスでこれはと思う車体を周回させての撮影もできました。
車庫内ではシリーズ②のツアーに使われた車体も、“新型コロナウイルスワクチン集団接種シャトルバス”と表示された車体も見かけました。今ならではの光景です。
フォトランも2回たっぷり
フォトラン(走行するバスを思い思いの場所で撮影する)が昼食会場だった湯の花温泉ホテル渓山閣の周りと洛西ニュータウンの2カ所で行われました。
湯の花温泉付近は、シリーズ①で紹介した[40]系統園部駅~亀岡線の通り道でもあるのでもしかしたらすれ違いが撮れるかと思いましたが、徒歩では遠いため断念しました。
洛西ニュータウンの方は、行き交う京都市交通局の路線バス、それもこの営業所に集められている幕車(LED化されていない車両)や日野ブルーリボンシティハイブリッドなどと一緒に写真に収めることができました。
充実の資料とおみやげ
毎回充実している車内で配られた資料ですが、今回のメインは高槻市営バス作成の“高槻市営バス亀岡線のあゆみ~津の国と丹の国架け橋~1948→1983”。
この資料の内容の濃さがなかなかのもの。高槻市営バス亀岡線ミニヒストリーと題して始まる資料は、単なる年表ではなく当時の社会情勢、近隣あるいは競合他社との協議内容、関係役所との折衝や指導を受けた内容、当時の路線図、運賃表、時刻表、フォトスナップとかなり詳細且つ臨調感のあるものでした。これをもらえただけでも参加した価値はあったと思ったほどです。
これ以外に、歴代の車両、バス運転席の解説、バス停の読み方クイズなどが掲載されている“みんなの高槻市バス”、転入者向けに高槻市営バスの乗り方や仕組みを説明している“高槻市営バスご利用ガイド”、日常の移動だけでなく休日の周辺観光に使える(というより、周辺にそんなに観光スポットがあるんや!と気づかせてくれる)“路線バスで巡る高槻観光ガイドマップ”と付録的資料も充実していました。
これほど充実した資料群は見たことがなく、バスに乗ってもらうことに苦労している事業者のいい参考になるのではないかと思いました。
おみやげは、高槻市営バスと高槻市内の障がい者福祉事業所とのコラボレーションから生まれたエコバッグでしたが、これまた単なるおみやげに非ず、社会的意義も込められたいいものでした。
ツアーに使用されたのはこの車両
京阪京都交通:日野ブルーリボンシティ(N694号車・KL-HU2PMEA・ジェイ・バスボディー・2004年式)
京阪バスからの移籍車で京阪バス時代は高槻営業所配属でした。元来三菱ふそう車が配車されていた営業所に突如配車された日野車だったため運転士に嫌がられたそうです。メーカーが違うとハンドルの中心など微妙に違う部分があるので、センチメートル単位の繊細な操作が求められる運転士には余計な気遣いが必要になるためです。このようなことになったのは、当時三菱ふそうに起こった“あること”のためにバス会社が同社製バスの購入を控えていたから。そんな歴史を知るバスの“里帰り”でもありました。
高槻市バス:いすゞ(KL-LV280L1改・西日本車体工業製ボディー・2005年式)
総排気量15.2L 240PS V8エンジンを搭載した大型バス。V8エンジン搭載車は間もなく全廃予定です。府道枚方亀岡線の山越えではV8エンジンの鼓動をたっぷり堪能しました。いすゞV8エンジンの力強い加速音が好きな今日このごろ。
西日本車体工業が廃業してしまったため、このデザインのボディーも見納めです。
特に目的はないけどバスに乗ってみようか
今回のツアーに使用された京阪京都交通の車両が里帰りだとは上に書きましたが、余談ながら私も高槻には縁があり長年通っていました。
10年以上ぶりに高槻駅に降り立ち周囲を見渡すと、変わっている部分も多いですが当時のままの景色も多くとても懐かしかったし、変わらぬ活気というか、活気を増している感じを受けたのも嬉しかったです。
路線図に登場する芝生、芥川、城西、下の口、上の口といった場所にもよく行ったので懐かしかった。今はもうありませんが、“大阪22あ7777”のナンバープレートのバスが駅前に入ってくるのが見えるとその日一日いいことがありそうな気分になっていたことも思い出しました。
京阪バスでは、会社帰りにJR高槻駅南口から枚方市行きのバスに乗って枚方大橋の向こうにあった友人の家に遊びに行ったことも何度もありました。
そんな懐かしさもたっぷりのバスツアーでした。
幕回しの写真を撮りながら、「そこ知らないな~」と思った行き先も多かったので、もらったガイドマップを片手に乗りに行こうか。そんなことを思いながら少し調べてみました。
JR高槻駅北から今回通った旧亀岡線の現在の終点である杉生方面に向かうと、樫田高前から西に向かう二料、東に向かう中畑回転場行き路線があるのですが、そちらの方には明神ヶ岳―黒柄岳縦走コースの登山口があることがわかりました。西側から攻める場合は二料行き田能西条バス停、東から攻める場合は中畑回転場行き終点の中畑回転場バス停付近に登山道の入り口があります。
このトレッキングルートは、登山情報サイトによると7.6km・3時間43分のコースとのこと。どちらの路線も土日は1日3本しかバスがないので注意が必要ですが、JR高槻駅北から1日登山ルートが組めそうです。
また、二料線の終点はバス旅番組で途方に暮れるシーンを彷彿させる景色が楽しめますし、手前の二料山荘は“ホタル舞う知られざる奥座敷”で、タイミングによっては各種体験もできるようなので、登山でぐったりの体をホタルで癒やしてから、なんていう一泊二日の登山旅もできるかもしれません。
人生で山登りの経験は一度しかない私は、二料にも中畑回転場にもバスで行きますけど!
今回の気づきまとめ
1.縁のある地を久しぶりに訪れるのは懐かしいし楽しい
再訪すると、変貌ぶりに驚く場所もあれば、変わらない場所を見て懐かしくホッとする場所もある。知っている場所を改めて訪れるのも、初めての土地のような旅気分を味わえる。
2.バス運転士の給料が低いのは
バスは重要な移動手段であり利用者も多かったことから、運賃値上げは抑えられてきた。しかしそれは、高度成長期には物価はどんどん上がるし人件費も上がってきたためバス会社の収支バランスを悪化させることになった。経営を圧迫し、便数や路線を減らす方向に作用してきた。当然それは運転士の給与にも。
3.バス路線は人の移動に影響を与えるし、人の移動指向はバス路線に影響を与える
バス路線ができると人は移動する。移動の向きによって路線が増えたり減ったりする。そこに人がいるから路線ができ、そこへ行く路線があるから人が増える。バス路線の盛衰を見れば社会や経済的歴史も見える。
反対に言うと、バス路線は社会や経済的歴史を作る存在になり得るとも言える。4.幕回しの行き先を見てそこはどんなところかとプチ旅するのもおもしろそう
今はgoogleマップで場所を探すのも簡単なので“思いついたら即お出かけ”しやすい時代だし。歴史の学びは楽しいし考えさせられるものがある。
そんな若干小難しいことも考えるきっかけになった旅でした。
(取材・写真・文:大田中秀一)
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