ラサールの復活版として構想された高級2ドア
アメリカ車の歴史の中でも、屈指の美しさで知られる、初代ビュイック・リビエラ。その流麗さに、かのセルジオ・ピニンファリーナが「これまで製造されたアメリカ車の中で最も美しいクルマだ」と、賞賛の言葉を贈ったことでも知られる。初代――というのは1963‐1965年型リビエラのことを指すが、「リビエラ」という名前がビュイックにおいて使われたのは、実はこれが初めてではない。Bピラーのないボディ形式、つまりハードトップのことを示すネーミングとしてすでに使われていたのであった。
【画像60枚】1/25スケールで美しく蘇った伝説のクーペと、その制作過程を見る!
さて、初代リビエラは、この頃台頭しつつあった高級パーソナルクーペとしてデザインされたのだが、実はビュイックの車種になる予定など、当初はなかったという。当時のGMのデザイン部門チーフであるビル・ミッチェルの個人的嗜好の元に独断でデザインが進められたのだが、ミッチェル自身はこれを、ラサールの復活として世に出したい考えだったようだ。ラサールとは、戦前のキャデラックが手掛けていた別ブランドで、よりカジュアルな高級車であったが、1940年型を最後に途絶えていたのである。
それが紆余曲折ありビュイック部門からのリリースとなったのだが、これにあたっては、ミッチェル自身が作らせたシルバーアローと呼ばれる車両がオートショーで先行披露され、話題を盛り上げている。この車両は、市販されたリビエラよりルーフが2インチ(50.8mm)低く、ヘッドライトもコンシールドとなっていた。その名の通りボディはシルバーの塗装で仕上げられ、それだけでなくインテリアもシルバーのレザーでしつらえられている。この車両を、ミッチェルはプライベートで乗り回していたとのことだ。
こうして1963年型としてデビューしたリビエラは、その華麗なボディスタイルで一躍人気車となった。コークボトルラインを基本にしつつもシャープなエッジが特徴のそのスタイリングは、ミッチェル自身が目にした「霧の中に佇むロールスロイス」にインスパイアされたものだという。ホイールベース117インチ(2972mm)のシャシーはリビエラ専用のものだったが、X字型フレームに前ダブルウィッシュボーン/後ろトレーリングアーム+パナールロッドのサスペンションという基本構造は、通常のフルサイズ・ビュイックと変わりない。
デビュー2年目にして初代最後の年である1965年型では外観上の変更が比較的大きく、ヘッドライトがコンシールド・タイプとなった。シルバーアローも同じ特徴を持っていたことから分かる通り、スタイリングとしてはこの方がオリジナルの意図に近い。ヘッドライトはフロント両端のグリルポッドの中に収められているが、この部分をよく見ると、最後のラサール(1939‐1940年型)のタテに細長い横線基調グリルのデザインが、ここにアレンジされているのが分かる。また、テールランプがバンパー埋め込み式に変更されているが、これは翌年からの2代目にイメージを繋げているようだ。
搭載エンジンは、1963年型では325hpの401‐cid(6.6L)が標準で、オプションとして340hpの425-cid(7L)が用意されていた。1964年型ではこの425が標準となり、その360hpバージョン(4バレルキャブ2連装)をオプションとして設定。1965年型では401が再び標準となり、425と交代している。360hp仕様の425はオプションとして残ったが、これはこの年に新設されたグランスポーツ・パッケージの一部でもあった。グランスポーツは5本スポークのロードホイールが外観上の特徴となる。
当時ものキットのシャープさを活かして制作
このように、戦後アメリカ車の歴史において非常に重要なモデルである初代リビエラだが、現在入手容易なプラモデルとしては、AMTによる1/25スケールの1965年型しか存在しない。これは元を辿ると当時のアニュアルキットで、まず1963年型として発売され(キットNo.06‐553)、翌年(6554)、翌々年(6555)と金型を改修したもののようだ。1965年型として再販を繰り返してきたが、現在はカタログ落ちしているようである。
ここでお目にかけているのは、このAMTの1965年型リビエラを美しく仕上げた作例だ。入手の容易な1965年型であるが、制作にはあえてオリジナルの当時ものを使用している。やはり当時のものの方が細部モールドがシャープであるという美点があるようだ。その工程については写真にキャプションを付したので、ぜひ参考にして頂きたい。