生まれながらにして孤高の存在、いかなる逆風にも屈せず戦ってきたマツダ・ロータリー・ロケットの中において日本チューニングカー史上、忘れえぬ1台がある。RE雨宮ロータリー・シャンテだ。シャンテは1972年7月にデビューしたマツダの軽自動車で、今年でちょうど50周年を迎える。RE雨宮ロータリー・シャンテは、そんなシャンテをベースに改造された伝説的な一台なのだ。
80年代初頭の東名レース。名うてのチューナー達がしのぎを削った狂気の公道バトル。レースカーまがいのチューニングを施されたアメリカン・マッスルやポルシェ、パンテーラなどの外国車勢を迎え撃つ国産車勢は240Zやスープラ、SA22Cだった。中でも国産最強の東名ランナーといえば小さなマツダの軽自動車にSA22CサバンナR X-7の12 Aロータリーを移植したRE雨宮ロータリー・シャンテ。谷田部で最高速240.48km/hをマークし、当時某TV番組内のドラッグレース企画では連戦連勝だった。その車が時速200km/h以上の高速バトルに照準を合わせたギアリング等のセッティングを持ち、本来ゼロヨンを苦手とした仕様にもかかわらず勝ち続けたのは、そのメイン・フィールドであった当時の東名バトルがいかにハイレベルなものだったかを物語っている。ここからロータリー専門チューナー、RE雨宮の名は広まっていった。しかしRE雨宮ロータリー・シャンテは単なる話題集めのエンジンスワップ車ではなく、その歴史を振り返れば、必然から生まれたベース車選択だったようにも思えてくる。
元々ロータリー搭載予定だったシャンテ
マツダ・シャンテは1972年、軽自動車枠のボディサイズに直進性能を考慮した結果、目一杯のロングホイールベースとトレッドを与えられて誕生した。その生い立ちをたどるとひとつの不遇な影がある。実はシャンテには当初シングルローターのロータリー・エンジン搭載が予定されていたのだ。もしそれが叶っていれば恐らく史上最速の軽自動車になったであろう。ところがそんな常識を覆すコンセプトのマツダ製ロータリー・シャンテは他方面からの圧力により軽トラックの非力な2サイクルエンジンに換装され単なるレシプロ車のシャンテとして販売されることとなったのだ。
話をRE雨宮ロータリー・シャンテに戻そう。そのクルマにはハイパワーロータリー搭載を前提とした設計、さらに公道バトルにおいて極端に幅の狭い車体には追い越しラインの自由度という大きなアドバンテージがあった。実際バトルの最中にラインをブロックされても雨宮シャンテは200km/h近いスピードで路肩から追い抜していった事さえあったとか。これは周回レースにおけるコーナリングラインの圧倒的追い越し自由度に匹敵する。高度なチューニングを受けた12Aロータリーという心臓を超小型軽量の車体に移植され異次元の加速を誇った狂気の東名ランナー、RE雨宮ロータリー・シャンテ。それはロータリーに心血を注いだマツダエンジニア達の無念を晴らすと同時に公道最速を目指すための必然、まさに逆転の発想から生まれたマシンだった。
パテとプラ板で製作したフルスクラッチモデルシャンテ
さて、ここで紹介している1/24 ロータリーシャンテのボディは、パテとプラ板で造形されたフルスクラッチモデルである。RE雨宮ロータリー・シャンテである以前にシャンテの1/24の模型として各部採寸も行われており、1/24に正確にスケールダウンした基本骨格を作った上で、オーバーフェンダーやフロントスポイラーなどのモディファイが加えられている。フロント足回りはアオシマAE86用を加工し、メッシュホイールはアオシマ製ホンダシティR用にアルミ削り出しリムの組み合わせ、そこにフジミ製ダイハツミラ用ピレリP7タイヤをセットするなど流用テクニックを駆使して完成させた。
①シャンテのカタログ図面を、1/24スケールにサイズ変更した型紙をプラ板に貼り、それを箱組みしたもので基本骨格を作る。②平面的なプラ板ボディに木工パテやポリパテなどで肉付けして、曲面的なラインを作りだしていく。③まずはノーマルのシャンテとしてボディの形状を修正していく。④オーバーフェンダーやフロントスポイラーなどを木工パテで造形。⑤合わせてエンジンフードのプレスライン、ボディサイドの凹モールドを削りこんで表現。窓枠などディテールもタガネなどを使って彫り込んでいく。⑥ほぼボディ制作が完了した状態。すでにRE雨宮ロータリー・シャンテとしての形が出来上がっている。