仕事にレジャーに幅広く活躍!
日産のワンボックスとして長い歴史と根強い人気を誇るキャラバン。そのデビューは1973年のことであった。競合車種はやはり、その6年前に登場していたトヨタ・ハイエースということになるだろう。その直接の前身となる車種は特に存在しないが、しいて言えばキャブオールやキャブスターのバンであろうか。ボディ形状は完全なワンボックスで、レイアウトはキャブオーバー式のFR車となる。スタイル上の特徴としては、ボディの前後左右にモールを一周させ、サイドドアのレールを隠している点が挙げられる。
ボディは標準とロングの2種類があり、それぞれにバンとコーチ(ワゴン)を設定。バンには標準とロングにそれぞれ普通のライトバンとルートバンを用意、いずれも3人乗りだが、ロングのライトバンのみには2列シートの6人乗りがあった。コーチには3列シートの9人乗りと4列シートの10人乗りがあり、ロングボディの乗用仕様はマイクロバス(15人乗り)となる。エンジンは当初4気筒OHVのJ型(1.5Lと1.6L)のみであったが、のちにJ15を廃止して、同じく直4 OHVのH20(2L)を追加した。
1976年には、兄弟車のホーミーを日産プリンス系のディーラー向けに追加。この名前は、プリンス系のキャブオーバートラックであるホーマーのバン・タイプに以前から使われていたものである。1978年にはマイナーチェンジでフロントグリルなどを変更、1980年に2代目へとモデルチェンジを行った。この初代キャラバンは、ミニカーも含めると模型化は多いが、プラモデルではグンゼ産業(現GSIクレオス)とクラウンの1/24スケール、そしてアオシマの1/22があった。ここでお見せしているのはグンゼの完成品である。
カスタム仕様のキットをさらにカスタマイズ!
グンゼのキットは、というより3社いずれのキットも、1970年代半ばに実車世界でブームとなった「バニング」の流れを受けての製品化である。バニングは日本独自の進化を遂げて、1990年代にはド派手なエアロパーツ(本来の意味から外れて鋭く長く尖った形状のもの)をまとうものが主流となったが、1970年代時点では、キャンピングカーの延長として室内を豪華な居室にし、派手なボディカラーやグラフィックで装った、アメリカ風のカスタム手法を指して言う名称であった。
グンゼのキットは初期には「DISCOVER NIPPON」の文字を大きくあしらい、観光地のペナントをボディにベタベタと貼った仕様だった(1977年発売)。後に「スポーツバン」や「マリーン」という名称を謳ったものに改められているが、作例はその内「スポーツバン」を使用、外観のパーツやグラフィックはほぼそのままに、室内を大幅にモディファイして制作。ボディカラーは箱絵ではホワイトとなっているが、作例はライトブラウンメタリックをチョイス、キットのデカールと驚くべきマッチングを見せている。
キットのインテリアは運転台はノーマルのままで後ろに仕切りがあり、後部にはテーブルとイス4脚が向き合うようにセットされ、ガスレンジも取り付けられているという仕様であった。作例ではこのイスを1脚のみとテーブルを使用、運転席まで含めてピンク基調でコーディネート。白い花柄入りのフェイクファーで大半を覆っている。据え付けられた本棚には『ポパイ』など当時のライフスタイル雑誌を並べた。オイル缶のゴミ箱なども芸が細かい。
本来はルーフ後端にはリアスポイラーが付くが、パーツ形状がリアリティに欠けるのでこれはオミット。代わりにフロントへサンバイザーを新設している。金属製のアンテナはキットに付属のものをそのまま使用、ルーフベントも形状がイマイチなため埋め込み式の小窓に改めた。側面の円形のポト窓もキットのままである。
当時のスタイルの典型的なアイテムであるディッシュホイールは、やはりキットのパーツを使用。モールドは5穴だが、実車のホイールは6穴が正しい。タイヤのホワイトレターは塗装で仕上げた。マリンスポーツ用のアイテムはキットに付属するパーツで、モディファイを施した作例にはあまり似つかわしいものではなくなってしまったが、併せてご覧頂こう。このパーツは、同じシリーズのタウンエースのキットにもセットされていたようだ。なお、このキットは実はスケールがすこし小さめで、実際には約1/25となる。