マツダのロータリーエンジン搭載車を代表する車種のひとつ、RX-7。その初代モデルは1978年、サバンナRX-7の名でデビューした。車名こそ引き継いではいたが、それまでのサバンナが2ドアだけでなく4ドア・セダンやワゴンを擁していたのに対し、サバンナRX-7は2ドアのクーペのみ、それもリトラクタブルライトと大きなガラスハッチを具えた、スポーツカー然としたルックスが特徴である。その内容も本格的なスポーツカーを目指して開発されたものだが、当時の社会情勢からそれを謳うことは難しく、高級スペシャリティカーというアピールがなされていた。
エンジンはサバンナから引き継いだ12A型だが細かな改良が施され、排出ガス規制をクリアしながらも最高出力130PSを発揮。これをフロントミッドに搭載するレイアウトで、サスペンションは前ストラット/後4リンク+ワットリンク。軽量な車体も相まって、優れた動力性能と高い運動性能を両立したのである。1983年には最高出力165PSのターボ仕様を追加、1985年に2代目へとモデルチェンジされた。この初代RX-7はその優れた資質からモータースポーツでも活躍し、デイトナやルマン、ETC、WRCなどで成果を上げている。
ここで本題の、作例が再現したグループB仕様の話に移ろう。1981年にマツダはWRC参戦を決定、グループA仕様のファミリアに次いでグループB仕様のRX-7を仕立て、1984、1985年シーズンを戦った。300psを発揮する13Bエンジン搭載ながら、もはやFRの戦闘力は低く、1985年アクロポリスでの3位が最高の成績となった。作例が再現したのは7台生産された内の1台、実戦未投入車両(近年オークションに出品されて話題になった個体)だそうだ。
改造に好都合なオバフェン一体キットを使用
さて、作例のベースとするSA22C型RX-7だが、1/24~25のキットは、タミヤ/ニチモ/モノグラム(レベル)/AMT/LS(マイクロエース)/バンダイほか多数、レース仕様ではフジミ/イマイ(現在はアオシマから)などなど、非常に豊富だ。今回はフジミ製キットをベースとしたが、オーバーフェンダーが一体化されているので見落としがちなものの、なかなか実車のイメージに近い形をしている(作例制作時にはハセガワ製キットはまだ登場していないが、これが素晴らしい内容なのは言うまでもない)。今回はキャラde carーるシリーズのけんぷファー仕様を使用した。まずフロントのエアダムとバンパーを切り離し、プラ板をあててエプロンパネルのエンドとして瞬間接着パテを盛った。さらに、裏打ちした上でオーバーフェンダー内側を絞り込むように削った。
ブリスターフェンダー造形のため瞬着パテを盛り、ヤスリで削って形を出していく。異素材が交わる部分は柔らかい素材の方に刃が入り込んで行くので、大きく重い金属ヤスリを使って均一に力を掛けるのがポイントだ。アウトラインを鉛筆で大まかに書き込み、イメージを掴みながら作業。さらにサイドスカート部も造形、まず下部にプラ材を敷いてガイドとし、その上にプラ板を斜めに貼って傾斜した面を作る。フェンダーに繋がる部分を瞬着パテで埋めて滑らかに造形。リア周りはまずウィングをボディからカット、バンパーのゴムモール部分も切除し、開口した部分をプラ板で塞ぐ。
切り離しておいたウィングを分割して拡幅、修正したフェンダーに合わせる。中央部はダクトを再現するためカット、内側にSSPを盛って形状を整えた。フロントのダクト部分はWave目盛り付きプラ板をガイドにプラ材で自作、バンパーだった部分に取り付けて形を整える。ノーズ上面にはダクトを開口、デカールは自作したものを使用している(協力:Studio View)。コクピットはキットパーツをベースに各種プラ材を用いて作り上げた。
ライトポッドと両側リトラ部の固定ライトはハセガワ製ストラトスより流用。固定ライトはキットパーツをベースにした方が良いかもしれないとのこと。ホイールはBEEMAX製240RSのパーツを流用、マイクロエース版RX-7のタイヤと組み合わせている。ノーマルにしてはゴツゴツしたタイヤがかえってフィットしてくれた。
最後に作者のひとこと。
「見返すと反省点が多く、最大のうっかりはマッドカードの取り付けを忘れてしまったこと! ちょっとラリーマシン感を損なってしまったかも。いつかまた再挑戦できればな、と思っています」