【知られざるクルマ】Vol.25 ロシアの小型車、ラーダ・オカ……えっ、これ日本の軽自動車じゃないの!?

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日本では知名度が限りなく低いクルマを紹介する連載、【知られざるクルマ】。第25回は、ソ連(現ロシア)で1980年代から2000年代まで販売されていた小型ハッチバック「ラーダ・オカ」をお送りしたい。見るからに日本の軽自動車というカタチだし、なんだか名前まで日本ぽい!? 一体どんなクルマなのか、それを深掘りしていこう。

と、その前に、まずは【ラーダ】ってどんなメーカー?

日本でも1970年代から輸入され、根強いファンを持つ「ラーダ・ニーヴァ(VAZ-2121)」。いかにも共産圏のクルマらしい。ちなみに本国には、5ドアモデル(VAZ-2131)もある。

「ラーダ」というメーカー名は、比較的有名ではないだろうか。お国はロシア(旧ソ連=ソビエト連邦)で、日本では4輪駆動車「ニーヴァ」がよく知られている。昨今のSUV とは方向性が異なる、無骨で質素なスタイルと設計から、中古車市場でも人気が高い。

フィアット124ベルリーナをノックダウン生産した「ラーダ2101」。1970年の登場後、ワゴンの「2102」、上級モデルの「2103」、それらのマイチェンモデル「2105」「2104」「2107」など多数のバリエーション展開・改良を行いながら、なんと2010年代まで販売を継続した。

なお、ラーダの正式なメーカー名は「AutVAZ(アフトヴァス/АвтоВАЗ)」という。設立は1966年。ヴォルガ自動車工場という意味の「VAZ」として誕生した。生産されたクルマには対しては、ロシア国内向けには「VAZ」「ジグリ」を、輸出向けには「ラーダ」というブランドを使い分けていた(現在はすべて「ラーダ」に統一)。1970年には、フィアット124のノックダウン車で、ソ連/ロシアの国民車としても有名な「VAZ /ジグリ-2101」がデビュー。1984年には意欲的なFF車「VAZ /ジグリ-2108(ラーダ・サマーラ)」も登場している。

ラーダ・オカ<VAZ-1111>は、1987年に登場

1988年から生産が始まった「ラーダ・オカ1111(VAZ-1111)」。パッと見では、多くの日本人が「軽自動車」と答えてしまうほどに、当時の国産軽ボンネットバンと印象が似ている。

ここでようやく今日の主役「VAZ-1111」もしくは「ラーダ・オカ」のご登壇と相成るわけだが、実はこのオカ、本来身体が不自由なドライバー向けの福祉車両として開発が行われたのは、ちょっとした驚きだ。

開発の経緯から話を始めよう。ロシアには古くから、福祉車両を作る「SMZ(セルプホフモーターサイクル工場)」という会社があった。しかし同社の作る質素なマイクロカーは設計が古くなったこともあり、ソビエトの自動車産業省は、SMZと前述のVAZに対し、新たな福祉車両の開発を指示した。それがオカ誕生の始まりだった。1982年のことである。

SMZによるプロトタイプは比較的早期に完成したものの、完成度が低かったことから、VAZはそのプロジェクトを受け入れなかった。そのため、クルマ自体の設計イメージを、サイズや排気量が似通っていてマイクロカーとして優秀な、日本の軽自動車に求めることにした。

派手な紫に塗られた「オカ11113(VAZ-11113)」。1996年の改良で数字が増え、「11113」に発展したもの。オカという車名も日本語っぽいが、これは、関与する一社「SMZ(のちのセアズ)」が所在する街「セルプホフ」に流れる、「オカ川」から取られていた。

彼らが選んだ軽自動車は、数種類あったそうだが、中でも「ダイハツ・ミラ(輸出名:クオーレ)」をメインの開発目標と定めた。ミラを研究しつつさらに、本来の目的である福祉車両として開発が進められた。当初は、ミラの設計が大きく反映されていたというプロトタイプも、ソ連向けの設計要件や、「ミラと異なる独自性を出す」ために改良を進めた結果、ほぼオリジナルのクルマに仕上がっていった。そして1986年には市販型に近いモデルが完成、1987年に発表ののち、1988年から生産をスタートした。

跳ね上げ式のバックドアを持つテールエンドも、国産軽自動車によく似ている。なお、オカには最後まで5ドアは設定されなかった。総生産台数は、約70万台とのこと。

オカの生産は当初、VAZ、SMZの工場で行われた。オカは小型車としての完成度も高く、それまでのSMZの素朴なマイクロカーと異なり、一般ドライバーに向けてもリリースされた。しかしそれでも年産台数は2万台ほどと少なかったため、1995年以降は、生産を旧SMZであるセアズ(SeAZ、セルプホフ自動車工場)と、「ZMA」に集約した。ZMAは、オカのパーツを作っていたカマズ(KAMAZ、カマ自動車工場)が、1987年に作った新しい工場だった。

全長3.2m、全幅1420mmというディメンションは、ほぼ旧規格の軽自動車をトレースする。「ダイハツ・ミラ」(欧州名:クオーレ)のサイズとプロポーションを参考に開発したため、ミラに近いデザインになってしまった……のだが、「似せない」努力が垣間見られるのも確かだ。

1980年代後半の、我が国の軽自動車たち。右上からミラ、「スズキ・アルト(左上)、「三菱・ミニカ」(左下)、「スバル・レックス」(右下)。ミニカの顔は、オカにも影響を与えているような気がする。

2気筒エンジンは独自開発

オカ登場時の649ccエンジン。4スト2気筒SOHCで、最高出力は29ps。「オカ11113」では、排気量を749ccに拡大、パワーも33psに向上した。晩年、セアズで生産された「オカ11116」では、中国のFAW製4スト3気筒SOHC993ccユニット(53ps)に置き換えられていた。それにしても、スペアタイヤのホイールが、昔懐かしい「合わせホイール」なのも気になる。

パワーユニットに関して、当初はダイハツ・ミラ用2気筒エンジンを参考にしたという。しかし、コストダウンの観点から見ると、既存のVAZ製エンジンとの設計・パーツの共通化が行いにくいこともあり、同じ横置きFF車だったサマーラ(VAZ-2108)の4気筒SOHCエンジンをベースに、再設計が行われた。この新しい649cc 2気筒エンジンは、振動抑制用のバランスシャフトが組み込まれていたのは注目に値する。組み合わせるギアボックスは、4速マニュアルのみだった。1996年には、749ccの新エンジンを搭載して「オカ11113」に発展。それまでの「オカ1111」を置き換えた(といっても、外観上の差はほとんどない)。

オカのコンセプト構築には、ダイハツ・ミラの影響が大きかったものの、設計終了時には、長年協力関係にあったフィアットのFF技術や、1984年の「サマーラ」で実現したFF乗用車の生産・開発ノウハウを、オカにも投入。内容的には、ほぼVAZの技術ベースに置き換わっていた。

大幅なマイナーチェンジと、オカの終焉

オカの福祉車両を開発していたセアズ(SeAZ)は、2006年以降唯一のオカ製造工場になった。その際、比較的大きめのマイナーチェンジが施され、「オカ11116」に変わった。この他にも、オカ11116にはもう1種類マスクが有ったが、どちらにももうダイハツ・ミラ的な雰囲気は残っていなかった。

しかし、オカを生み出していた一翼・ZMAが、2005年にセベルスタル(現ソラーズ)の傘下入りをしたために生産から撤退。セアズのみが継続してオカを市場に送り続けた。その際セアズは、オカに中国製の3気筒1Lエンジン+5速マニュアルを積んだマイチェンモデルの「オカ11116」をリリースするも、安価が売りだったオカの価格急騰、アジア圏向け格安ベーシックカーの相次ぐ発表、厳しくなる排ガス規制への対応などを受け2008年にはオカの生産を停止。さらにはセアズ自体も、2013年に廃業してしまった。

ところで、旧SMZとセアズが作っていた運転支援装置付きオカは、ドライバーの下肢と上肢の状態に合わせて3種類が用意されていた。1950年代から「自由に行動できる乗り物」として自動車を開発していたという、ロシア自動車社会の先進性に感心する。

運転支援装置を備えた福祉車両メーカーだったセアズが、オカの前に開発したクルマのうち2台をご紹介したい。左は1958年から70年まで作られた「SMZ S-3A」、右がその後継で1970年に登場した「SMZ S-3D」だ。エンジンは、いずれもバイク用の2スト単気筒346ccを積んでいた。

形態さまざま、オカをベースにした商用車たち

オカには、商用バージョンも多数設定された。ここでは、それらをご覧いただきたい。「スズキ・マイティボーイ」のようなマイクロピックアップトラックから、「ルノー・エクスプレス」や「スズキ・アルトハッスル」のようなフルゴネットタイプまであり、見ているだけでとても楽しい。

オカベースの商用車、「トイマ(VAZ-17013)」。欧州ではメジャーな、背中に箱を背負う商用バンは、日本でも「スズキ・アルトハッスル」「日産AD MAX」などで見られた。最大積載量は300kg。

オカベースの商用車その2。赤いピックアップは「セアズ11116-011-50」、それに箱を載せてバンにしたのが「セアズ11116-010-50」。フラットな荷台と長いホイールベースを持つ「セアズ11116-60」だ。最大積載量は400kgにアップしていた。

今なおロシア人に愛さているオカ

ロシアでは驚異的に小さかったオカには、安全性に対するネガティブなイメージがついたのも確かだった。しかし一方で、価格と維持費が安いという美点があり、1980年代後半に断行されたペレストロイカ以降、経済が危機的な状況に陥っていたソ連では、オカは人々に歓迎された。

安価で小さく、乗りやすいオカは、世界中の小型車がそうであるように、エントリーモデルとして、もしくはシニア層の乗り物としてソ連/ロシアの人々に愛された。また前述のように、セアズはオカに多数の運転補助装置を用意していたため、体の不自由なドライバーにとっても、オカは大切な移動手段だった。

オカ、ワンメイク雪上レースで奮戦するの図。日本でも、軽自動車を使ったレースは盛んに行われている。

そしてクルマの購入資金が少ない若者は、中古でオカを買い、めいめいに改造して楽しんだ。草の根モータースポーツでも、オカの姿を多く見ることができた。現在でも、ローダウンしてオーバーフェンダーを設けてレーシーに装ってみたり、大径オフロードタイヤを履いてリフトアップしたり……といった「魔改造」を受けたオカの姿を、YouTubeなどで見ることができる。

オカの魔改造の流派?のひとつ、大きなタイヤでリフトアップしちゃうパターン。

そんなオカの魔改造の最高傑作は、驚きの「スノーモービル」。もはやクルマじゃない(笑)。ロシアで雪上車などを開発しているTTMトランスポートという会社が、オカを活用して「TTM-1901 ベルクト」なる小型牽引用スノーモービルを作っていた。グリルやヘッドライト、ドアとキャビン前半はオカそのままである。とかく乗員がむき出しのスノーモービルだが、これなら環境は大きく改善される。それを評価してか、ロシア国境警備隊は、この改良型「TTM-1901-40 ベルクト2」を2016年に正式導入したという。

直接的な後継車は登場せず……

そんなオカの後継モデルとして、試作車「VAZ-1121」が開発されるも、財政難などから結局生産は行われなかった。あえて後継車を探せば、2005年に登場した「ラーダ・カリーナ」がそれにあたるが、カリーナはBセグメントのクルマだった。日本で言うならば、660ccのミラの後継車が、1.3リッターのシャレードになったようなイメージだろう。

Bセグメントの小型車、「ラーダ・カリーナ」。綴りは「Karina」で、日本のカリーナと異なる。最初にセダン(1118)が出現、続いてハッチバック(1119)とワゴン(1119)を追加した。見た目はもはや西欧諸国のクルマと遜色ないが、ボディバリエーションを示す4桁数字が、排気量・ボディ形式を推し量れなかったりするのは、いかにもロシア車だ。2013年には2代目が誕生している。

ということで、日本の軽自動車のような「ラーダ・オカ」の話をお送りした。今回も、「このクルマのことを知らなくても、一生、何も困らない」(笑)という記事(しかも長い)に、最後までお付き合いいただき、感謝の気持ちでいっぱいである。

でも、もしかしたら、何かの拍子で知り合いになったロシア美女と話をすることになったのに、何も話題が思い浮かばない時、「ラーダ・オカって軽自動車みたいだよね」って話したら、彼女との会話がぐーんと弾むかもしれない。その時あなたは「世の中、何が役に立つのか、わからないものだ……」と感嘆するだろう(たぶん)。

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