【知られざるクルマ】 Vol.6 時代を超先読み! クロスオーバーSUVのさきがけ、「AMCイーグル」

2020/07/06 13:00

誰もが知る有名なメーカーが出していた「知られざるクルマ」をご紹介する新連載、その名も【知られざるクルマ】。第6回は、クロスオーバーSUVの元祖とも言える「AMC イーグル」を取り上げる。イーグル・ワゴンは、日本でもコアなファンに人気があり、比較的知名度が高いクルマだと思うが、ワゴン以外にもいろいろな車体のバリエーションが存在した。日本ではほぼ知られていないイーグルシリーズ驚愕の全貌と、クライスラーに吸収されて消滅したAMCの歴史、販売していた車種とともに紹介する。

個性的なクルマが多かった「第4のメーカー」、AMC

アメリカの自動車メーカーといえば「GM(ゼネラル・モータース)」「フォード」「クライスラー」のビッグ3が有名だが、小規模ながら独自の存在感を誇った「第4の」自動車メーカーがあった。それが、AMC=アメリカン・モーターズ・コーポレーションである。前身は「ナッシュ」と「ハドソン」で、1954年に合併してAMCが発足。ビッグ3に次ぐ規模の自動車メーカーとなった。ナッシュがコンパクトなクルマ(アメリカ車としては……)を得意としていたことから、合併直後からコンパクトカーの販売に力を入れて、ひとまずは成功した。このジャンルは、当時ビッグ3がまだ手をつけていなかった領域だったのだ。

ランブラーはナッシュの前身にあたる。AMCはその名を1958年に復活させ、コンパクトカー「アメリカン」を同ブランドで発売した。写真は1961年型のランブラー・アメリカン・カスタムセダンで、アメリカンとしては2世代目。コンパクトカーでもエンジンが3.2Lというのがアメリカ車らしい。

ひとまずは、と書いたのは理由がある。AMCが採ったコンパクトカー戦略の成功を見たビッグ3がその状況を黙っているはずはなく、1960年代に入った途端に、3社は「シボレー・シェヴィII」「フォード・ファルコン」「プリマス・ヴァリアント」を相次いで投入。コンパクトカーブームが沸き起こり、その市場で強みがあったAMCは、一気に苦境に立たされてしまった。

1968年に登場したジャベリン。写真は1969年型で、スポーティ仕様の「SST」。「ポニーカー」ブームに乗って発売当初はヒットを記録したがその後は低迷。1971年の大幅マイチェンでも販売台数は伸びず、1974年に生産を終えている。

マタドールは1971年から1978年まで発売。セダンとクーペが設定されていた。アメリカでは「インターミディエート」と呼ばれるミッドサイズに属したが、1970年代初期ではまだまだ車体・エンジンともに大きく、このクーペでさえ全長は5.3m、排気量は最小でも直6 3.8L、最大でV8 6.6Lもあった。

そんな中、フォード・マスタングに始まる「ポニーカーブーム」に対応した「ジャベリン」(1968年)、コンパクトカーの「ホーネット」(後述)の後ろ半分を大胆な造形としたサブコンパクトカー「グレムリン」(1970年)、流麗なデザインのクーぺも用意した「マタドール」(1971年)などのフレッシュなモデルを続々と投入。いずれもそれなりのヒット作となり、一時的ながらAMCの救世主となった。

コンパクトで高性能・低価格の日本車や欧州車がアメリカ市場に入り始めたことを受け、AMCはビッグ3よりも早くサブコンパクトクラスに目をつけた。1970年に投入された「グレムリン」は、個性的かつ斬新なデザインによってスマッシュヒットを飛ばした。

小さいメーカーながらスパイスの効いた個性的なクルマが多いAMCで、日本人の記憶にも残るのが、1975年の「ペーサー」だろう。本来はGM製のロータリーエンジン(RE)を積むFF車となる予定だったが、1973年の第一次オイルショックの影響でREの開発が凍結。結果として、従来の直6を縦置きするFR車になった。極端に大きな窓、左右で長さが違う巨大なドアなどの斬新なデザイン、全長4.3mに対して2m近い全幅を持つ変則的なディメンションも大きな特徴だった。このクルマもデビュー直後はひとまず売れたが、勢いはすぐに落ち、トータルで見れば成功作にはならなかった。

トミカで育ったアラフォー・アラフィフ世代なら、AMCといえば「ペーサー」を思い浮かべる人が多いかもしれない。当初はGM供給のロータリーエンジンを積むべく開発されていた。デビュー直後は好調なセールスを記録したが、あまりに斬新すぎたためか、販売はすぐに伸び悩んだ。

このほかAMCは、ジープを生んだ「ウィリス・オーバーランド」を買収した「カイザー」を1970年から傘下に収めていたので、ジープブランドも持っていた。カイザーが生み出した「ワゴニア」「CJ(シビリアン・ジープ)」などの乗用モデルを引き継いだAMCは、さらにジープ各モデルのRV化と高級化を強めていった。ジープ部門は好調で、AMCの経営を支えた。1990年代に日本でも人気を博した2代目チェロキー(XJ型)は、まさにAMC時代に開発されたクルマで、ジープがクライスラーに吸収されたのちも、AMC製の直6エンジンを搭載し続けた。

現在はクライスラーのいちブランドになっているジープは、かつてAMC傘下にあった。写真の1980年型ワゴニアには、AMC製のエンジンが積まれていた。

モノコックボディの乗用車に4WD機構を組み合わせた画期的な車種「イーグル」

今見ても魅力的なイーグル・ワゴン。発売開始初年(1980年)は特に良く売れて、同年のAMC全販売台数20万台のうち、約1/4をイーグルが占めた。家族で雪の中をスキー場に向かっているこの写真は、カタログにも使われた。

1970年代に様々なモデルを送り込んだAMCだったが、文中で「ひとまず」「それなり」という言葉が頻発するとおり、爆発的なヒット作に恵まれることはなく、根本的な業績不振の改善は果たせなかった。そこでAMCは、奇策とも言える作戦で起死回生を図る。それが「乗用車に、ジープで経験豊富な4WDを組み合わせる」というアイデアだった。その背景には、1979年の第二次オイルショックによって、稼ぎ頭だったジープブランドの販売台数が減少したとことも理由があった。

イーグル・ワゴンの透視図。フルタイム4WDを基本としたものの、実際はジープ由来のメカニズムではなく、イギリスのファーガソンが開発した。オプションで2WD・4WDが切り替えられるパートタイム式も選択できた。4WDステーションワゴンの先駆者であるスバルは、1972年に世界初の非ジープタイプ量産4WDの「レオーネ・エステートバン4WD」を発売していたが、ステーションワゴン+4WDの組み合わせは1981年からだったので、少しだがイーグル・ワゴンのほうが先に登場したことになる。

そして1980年、AMCはモノコックボディの乗用モデル「コンコード」「スピリット」に、フルタイム4WDシステムを合体したイーグルの発売を開始した。乗用車の4WDはすでにスバルが採用しており、ジープブランドでも快適性が高い乗用クロカンの「チェロキー」「ワゴニア」が売られていたが、イーグルのカテゴリーはまさにその中間を狙っていた。乗用車の快適性とジープの高い悪路走破性を兼ね備えた画期的なクルマとして、雪の多いエリアや釣り・ハンティングを趣味とするユーザーの支持を受けた。また既存の乗用車を流用したことために販売価格が安かったこともあり、イーグルの販売は好調な滑り出しを見せた。そのためAMC では、イーグル増産のためにペーサーの生産を中止して対応した。

なお、1987年にクライスラーにAMCが吸収されてAMC独自のモデルが消滅する中、イーグル・ワゴンだけは1988年までのわずかな期間だが生き残った。

ウッドパネル、各部のメッキ、ホワイトリボンタイヤなど1970年代アメリカ車の雰囲気を色濃く残すイーグル・ワゴン。デビュー時のパワートレーンは4.2L直6+3速ATが標準。1981年になってポンティアック製2.5L直4OHVかベースエンジンに置き換わり、4速MTも選べるようになった。さらに1982年には5速MTをオプションで用意、1983年からは標準エンジンがAMC製の2.5L直4OHVに変更。1985年以降は5速MTが標準トランスミッションになった。

クーペやセダンまでラインナップ! イーグルはまさに「クロスオーバー」のデパート

なんとイーグルには、ワゴンだけではなく4ドアセダンも存在していた。やたらに高い地上高とセダンボディのギャップが面白い。車体はベースとなったコンコードのまま。

イーグルといえばワゴン、という印象があり、むしろそれしかないと思われがちなのだが、なんとイーグルには4ドアセダン、2ドアセダン、リフトバック、さらにカムテールと呼ばれるハッチバックまでラインナップしていた。いずれも径が大きく太いタイヤを履き、地上高をグッと高めていたが、ワゴンはともかくとしてセダンの違和感は半端ない。当時発売されていたスバル・レオーネセダンも地上高があるが、これほどまでにRVの雰囲気は持っていないからだ。

違和感の強さでは4ドア以上の、イーグル2ドアセダン。ワゴンとセダンは「コンコード」をベースとした「イーグル・シリーズ30」に分類される。1983年に4ドアセダン・2ドアセダンともにカタログ落ちした。需要はあったのか? と思うが、1980年の販売比率では、全体の2割ほどとなる1万台が2ドアセダンだった。

1981年に追加のイーグルSX/4。リフトバック・ボディにオーバーフェンダー、豊かな地上高を持ち、直6 4.2Lという大きなエンジンを積む。奇異だが、その斬新なアイデアに喝采を送りたくなる。日本のコルディアと並び、クーペSUVの先駆けといえるだろう。

ご存知の通り現在の自動車市場は、オンロードの快適性を重視した乗用車+道無き道を走破できるタフなRV・クロカンのイメージを併せ持った「クロスオーバーSUV」が花盛りだ。そう考えると、イーグルは乗用車と本格的な4WDを組み合わせていたという点で、「クロスオーバー」の概念を1980年の段階ですでに先読みしていたことになる。しかもワゴンだけでなく、セダンやクーペも4WD化していたのはスゴい。昨今ではクーペ+SUVも流行の兆しを見せており、イーグルSX/4は「クーペSUV」の先駆者ともいえるのだ。

イーグルには、「カムバック(Kammback)」と呼ばれた3ドアハッチバックもあった。全長約4.23m。リフトバックのSX/4とカムバックは、ホイールベースが短い「スピリット」がベース。こちらは「イーグル・シリーズ50」と呼ばれたが、いずれも1983年で生産を終了した。

イーグルのベース車、「スピリット」と「コンコード」

最後に、イーグルのベースになった「スピリット」と「コンコード」にも触れておきたい。これらはいずれも、ランブラー・アメリカンの後継として1970年に登場したコンパクトカー「ホーネット」を原型とする。ホーネットは全長約4.5mのボディに3.2L直6や5L V8エンジンを積み、4ドアセダン・2ドアセダン・ハッチバック、スポーツワゴンの「スポータバウト(Sportabout)」など豊富なバリエーションを展開。アメリカンに次いでAMCではベストセラーとなった。前述の通りグレムリンは、ホーネットのホイールベースを短くしてハッチゲートを設け、サブコンパクトカーとしたものだ。

1970年デビューの「ホーネット」。平凡で堅実な設計だったが、ロングノーズのスポーティなスタイルは評判がよく、ビッグ3のコンパクトカーにも負けない実用車という評価を受けて販売は好調だった。

ホーネットのマイナーチェンジ版、コンコード。ホーネットから基本的な変更はなかったが、このクルマもほどよく売れた。1978年にインターミディエートのマタドールを生産終了としたため、コンコードがAMCの最上位モデルになった。

さらにこのホーネットは。1978年に少しだけ美容整形して「コンコード」へと名前を変更。1979年にさらにフロントを大きく変え、のちのイーグルと同じデザインとなると同時に、4ドアセダンのCピラーには窓が設けられたほか、2ドアセダンのリアクォーターウインドウはオペラウインドウとなった。イーグル・シリーズ30は、このコンコードをベースとしているため、1983年にコンコードの2ドアセダンが消滅した際、イーグルの2ドアセダンもカタログからドロップしている。

イーグルかと思いきや、こちらはコンコードのワゴン。さらに遡ると、マスク以外のボディシェルは、ホーネットのワゴン「スポータバウト」時代から基本的に不変。つまりAMCの乗用車は、ほぼホーネットの派生だったことになる。大きく長いクルマに見えるが、全長は4.7mほどしかない。

ホーネットベースの車種は、まだある。それが1979年登場の「スピリット」だ。ホーネットがコンコードに変わったように、グレムリンをスキンチェンジして進化させたクルマだった。テールエンドをクーペスタイルに変えた「リフトバック」のほか、グレムリンの面影を強く残すガラスハッチの「セダン」も設定していた。スピリットは、コンコードよりホイールベースが200mmほど短かった。

このように、AMCの乗用モデルは、おおむね1970年登場のホーネットがベースのため、1980年代になると旧態化が目立つようになっていた。

スピリット・リフトバック。イーグルSX/4のベースになった。写真はGTパッケージ。

ところで、1970年以降のAMCは常に業績不振にあえいでいたことは先に記した。おおむね「ひとまず売れた」クルマばかりだったためだ。そんなAMCに救いの手を差し伸べたのは、北米市場への進出を図っていたフランスのルノーだった。

当時国営企業だった同社は、1978年にAMCと業務提携を結び、AMCに資本投入を行った。そして、ルノーのクルマをAMC で販売およびノックダウン生産する権利と、AMC株式の約1/4を取得することに成功した。さらに1982年、ルノーはAMCの株を46%以上獲得。事実上の傘下入りとルノーの強いコントロールを受けるようになり、AMCはいろいろなルノーを北米で売るようになった。そこで次回は、AMCがアメリカで売っていた、知名度が著しく低い「知られざるルノー」を取り上げることにしたい。

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