小さな断片から自動車史の広大な世界を管見するこのコーナー、今回は北半球からは地球の裏側となるニュージーランドを出発して、ヨーロッパやアメリカのレースを席巻したマクラーレンに思いを馳せたい。
クーパーから生まれたマクラーレン
ブルース・マクラーレンの登場はセンセーショナルだった。南半球からやって来た男にレース・ファンは新しいスターの誕生を思った。彼の先輩には同じ南半球のオーストラリアからやってきたジャック・ブラバムがいた。でも、ブラック・ジャックとあだ名されたブラバムは無口でスター性に乏しかった。
ブルースだって、はにかみ屋で決して饒舌ではなかったが何より若かった。彼はヨーロッパにやってきて2年目のF1デビュー・イヤーにグランプリ初優勝を遂げた。22歳という史上最年少でのグランプリ優勝者だ。その初々しい若者の笑顔はレース界に吹いた爽やかな新風だった。
ブルースは、ニュージーランドで父親が買ったオースチン・セブンでレースを始め、やがてブラバムから購入した中古のクーパー・ボブテイル・センターシートやクーパー・クライマックスF2で優勝を重ねる。するとその才能を嘱望され、ニュージーランドのレース界が創設したスカラシップを獲得してヨーロッパに渡った。
ブルースの才能を認めたひとりがジャック・ブラバムで、彼の推薦でクーパーに乗り、’58年のニュルブルクリングで開催されたドイツ・グランプリはF1とF2の混合戦(当時はそういうケースがままあった)だったが総合で5位。F2クラスでは2位を大きく引き離して優勝した。ブルースはまだ19歳で、当時としては異例の若さだった。これで”ブルース・マクラーレン”の名はヨーロッパ中に知れ渡る。
翌’59年はジャック・ブラバムとクーパーが初めての世界チャンピオンを獲得した年となった。先に述べたようにそのF1デビュー・イヤーにおいて、ブルースもセブリングで開催されたアメリカ・グランプリで初優勝を飾ったのだった。時にブルースは22歳、当時史上最年少のF1グランプリ優勝者だった。
翌’60年もブラバムとクーパーが2年連続で世界チャンピオンとなり、ブルースは開幕戦のアルゼンチンで優勝を遂げたほか、2位を3度獲得して、チャンピオンシップ年間ランキングで2位を獲得した。続く’61年はフェラーリの巻き返しの年となり、’62年にはジャック.ブラバムの去ったクーパーのエースとなって、ランスのノンタイトルのレースとモナコGPで優勝している。
しかし、ジョン・クーパーが開発中のツイン・エンジンのミニで生死を彷徨う大事故に見舞われて、ジョンの父親のチャールズが代わって采配するようになると、開発が遅れて競争力がなくなり、悩んだブルースは自らの手でマシーンを開発するコンストラクターとなる決心をする。それが『マクラーレン』の始まりだった。
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