南半球から欧米のレースを席巻したマクラーレン【GALLERIA AUTO MOBILIA】#031

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2019/11/11 08:00

小さな断片から自動車史の広大な世界を管見するこのコーナー、今回は北半球からは地球の裏側となるニュージーランドを出発して、ヨーロッパやアメリカのレースを席巻したマクラーレンに思いを馳せたい。

クーパーから生まれたマクラーレン

アメリカのラスキットのスロットカーは、’61年のフェラーリ156F1シャークノーズに加えて、’62年にブルースがモナコで優勝したクーパーT60F1V8をラインナップした。両車とも共通の真鍮プレス船底型一体型シャーシーにマブチFT16モーターを搭載していたが、それぞれの特徴はよく再現されていた。

ブルース・マクラーレンの登場はセンセーショナルだった。南半球からやって来た男にレース・ファンは新しいスターの誕生を思った。彼の先輩には同じ南半球のオーストラリアからやってきたジャック・ブラバムがいた。でも、ブラック・ジャックとあだ名されたブラバムは無口でスター性に乏しかった。

日本におけるプラモデルの嚆矢たるマルサンもクーパーF1を1/24のスロットカーのキットで用意した。輸出用として企画されたモデルだろう。’64年シーズン用のT73と思われる。

いつかはクーパーF500を……と夢見てきたので、ぼくの書庫には蚤の市で購入したこの絵が飾られている。グラハム・ヒルもこのクーパーでの練習からスタートした。

ブルースだって、はにかみ屋で決して饒舌ではなかったが何より若かった。彼はヨーロッパにやってきて2年目のF1デビュー・イヤーにグランプリ初優勝を遂げた。22歳という史上最年少でのグランプリ優勝者だ。その初々しい若者の笑顔はレース界に吹いた爽やかな新風だった。

クーパーの本なら、ダグ・ナイの『ワールド・チャンピオン・クーパー・カーズ』が決定版だろうが、それに先立つこの2冊も1次資料的にその時代のリアルが伝わる好著だ。

ブルースは、ニュージーランドで父親が買ったオースチン・セブンでレースを始め、やがてブラバムから購入した中古のクーパー・ボブテイル・センターシートやクーパー・クライマックスF2で優勝を重ねる。するとその才能を嘱望され、ニュージーランドのレース界が創設したスカラシップを獲得してヨーロッパに渡った。

ブルースと同郷のイワン・ヤングがゴーストライター的にブルースの名で英国オートスポーツ誌に連載したコラム『フロム・ザ・コクピット』でますますブルースの人気が高まった。

ブルースの才能を認めたひとりがジャック・ブラバムで、彼の推薦でクーパーに乗り、’58年のニュルブルクリングで開催されたドイツ・グランプリはF1とF2の混合戦(当時はそういうケースがままあった)だったが総合で5位。F2クラスでは2位を大きく引き離して優勝した。ブルースはまだ19歳で、当時としては異例の若さだった。これで”ブルース・マクラーレン”の名はヨーロッパ中に知れ渡る。

最初のマクラーレンはブルースを中心にクーパーの設計スタッフも携わって開発された。実質的にクーパー・モナコの発展型と言える。ブルースのF1デビューの時と同じくマクラーレンの最初のモデルは世界的に注目されて、このように多数のメーカーからモデル化された。

翌’59年はジャック・ブラバムとクーパーが初めての世界チャンピオンを獲得した年となった。先に述べたようにそのF1デビュー・イヤーにおいて、ブルースもセブリングで開催されたアメリカ・グランプリで初優勝を飾ったのだった。時にブルースは22歳、当時史上最年少のF1グランプリ優勝者だった。

’60年代半ばからのマクラーレンのCAN-AMでの成功の歴史とスロットカーの発展の歴史は一致する。そこには’60年代最良のアメリカン・ドリームが現れていた。

翌’60年もブラバムとクーパーが2年連続で世界チャンピオンとなり、ブルースは開幕戦のアルゼンチンで優勝を遂げたほか、2位を3度獲得して、チャンピオンシップ年間ランキングで2位を獲得した。続く’61年はフェラーリの巻き返しの年となり、’62年にはジャック.ブラバムの去ったクーパーのエースとなって、ランスのノンタイトルのレースとモナコGPで優勝している。

ブルースに加えて、デニス・ハルムとクリス・エモンというニュージーランドが生んだ3人のレーサーについてのバイオグラフィー。地元の著者によって地元の出版社から刊行された。

しかし、ジョン・クーパーが開発中のツイン・エンジンのミニで生死を彷徨う大事故に見舞われて、ジョンの父親のチャールズが代わって采配するようになると、開発が遅れて競争力がなくなり、悩んだブルースは自らの手でマシーンを開発するコンストラクターとなる決心をする。それが『マクラーレン』の始まりだった。

マクラーレンM1Aに先立つプレ・マクラーレンは、やり手のロジャー・ペンスキーらしくレギュレーションの網をくぐり抜けるクーパーF1ベースの軽量スポーツカーである。その経緯を伝える好記事。

 

Text:岡田邦雄/Photo:横澤靖宏/カーマガジン483号(2018年9月号)より転載

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