マセラティの栄光と悲しみの日々を振り返える【GALLERIA AUTO MOBILIA】#026

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2019/10/26 12:00

様々な断片から、自動車史の広大な世界を管見するこのコーナー。今回は、戦前はブガッティ、戦後はフェラーリのライバルと目されてきた、マセラティの栄光と悲しみの日々を振り返ってみたい。

追憶のマセラティ

ワールドチャンピオンを獲得したF1である250Fの流れを引く6気筒と、450Sの流れを引くV8というレーシングカーが源となったエンジンが’60年代のマセラティの心臓だった。カロッツェリア・フルア、ヴィニャーレ、トゥーリングのボディもフェラーリよりも老成したコニサー好みと思われた。1/43ミニカーはポリトーイ、マーキュリー、メーベトーイなどイタリア製が多く、エンジンも再現されていた。旧ソ連製のミストラルも紹介しておこう。

イタリアの古都、ボローニャのオフィッチーナ・アルフィエーリ・マセラティは、1926年に自らの名前を冠したレーシングカーを開発する。そして自らの操縦で登場してから数年のうちに、高性能で高品質のレーシングカーを産み出す工房として、ブガッティのライバルと目されるほどの存在になっていた。

この毛皮のコートを纏う女性と写ったインディのメーカー公式フォトが、意図してか無意識にか、マセラティのポジションを暗示しているように思われる。高貴な血を引きながら今は零落した家柄の女性の身の上を想像してしまうのだ。

ブガッティが自ら顧客の中心となってレース活動をしていたように、マセラティの場合も顧客とともにレース活動をしていた。ただブガッティは、ロードカーの生産にも力を入れ、また当主のエットーレ・ブガッティは特別誂えの服を着こなすダンディで、乗馬を楽しみ、城のような邸宅で顧客を迎え入れるという貴族的スタイルであった。

カロッツェリア・ギアのギブリとイタル・デザインのボーラはいずれもV8を搭載し、ジウジアーロのデザインだが、やはり同時代のフェラーリやランボルギーニと違って、落ち着いたスーツで乗るのがふさわしいように思う。

戦後のマセラティの新境地を、この優雅なイメージに満ちたA6ピニンファリーナのカタログが表現している。すなわちレーシングカー譲りのエンジンを搭載した豪華なグランツーリスモである。

一方のマセラティ兄弟は、小さな町工場で自らが油にまみれてレーシングカーのみを作っていた。元々が6人兄弟のうちの5人が長兄カルロの影響の元に自動車の世界に飛び込み、カルロが夭折した後は次兄アルフィエーリが中心となり兄弟の力を結集してマセラティを興したのだった。またレースでの負傷が仇となってアルフィエーリが逝去すると、末弟のビンドを中心にエルネストとエットーレの3人でクルマの開発を続けていた。

パワフルな450SのV8エンジンを最初に搭載したのは、超弩級のフォリ・セリエたる5000GTだった。日本人で初めて5000GTを手に入れた伯楽Kさんから、その後のマセラティV8とは違って、猛々しいレーシングエンジンそのままで咆哮も物凄かったとお聞きした。

1937年には企業家オルシからの買収の申し出を受けて会社の経営を委ね、同時にモデナの新工場に移転した。しかし、戦争を挟んで10年後にはマセラティ兄弟はマセラティに別れを告げて、故郷のボローニャに帰って、レーシングカーのみを造るOSCAを創業する。

初代クアトロポルテはV8を搭載した高性能4ドア・セダンとして新しい分野を開拓したが、2世代目はシトロエン傘下の時代に開発されてベルトーネのボディをまとい、SMと共通のV6エンジンを搭載した。ごく僅かな台数で生産が打ち切られた知られざる存在。

オルシ経営のもとで、戦後のマセラティはレース活動を継続しながらも、初めてのロードカーであるA6ピニンファリーナを生産ラインに載せた。そこからマセラティの新しい時代が始まった。高性能なレーシングカーのロードバージョンという位置付けのスポーツカーは世界最高峰の存在で、第2次世界大戦後に出発したフェラーリは’50年代にはそれを追う立場だった。

僕がカムシンの次に購入したのはデ・トマソからフェラーリの時代になってからの4代目クアトロポルテの最終モデルだった。ガンディーニのボディが気に入っていた。このクルマには何故かデカダンスに誘う趣が漂っていた。

イタリアの小さな田舎町モデナのマセラティとフェラーリは世界中のレースでライバルとして戦い、何度もマセラティはフェラーリを打ち負かしてきたけれど、しかし勝星の数ではフェラーリに及ばず、’60年代にはレース活動も縮小して大きなポテンシャルを秘めながらもダークホース的存在になってしまった。

インディ500の2連勝やセブリングの優勝などの戦歴のせいかアメリカでの評価は高く、MIE(マセラティ・インフォメーション・エクスチェンジ)のようにマセラティの部品や情報を提供する組織もあった。これはその機関紙。

そんな歴史を偲んでしまうからだろうか。 ’60年代のマセラティのロードカーからは、一度は栄光の頂点に立ちながら潔く身を引いて落魄した、壮年の男の後姿のような、フェラーリにはない複雑な甘さと苦さが感じられるのだ。

フランスのEPA刊行の小さな本は僕が初めて銀座のイエナで購入した洋書。マセラティのレジェンドが今なお続くのはボローニャのネプチューン像の持つイル・トライデント/三叉の銛に由来する社章のデザインの素晴らしさによるのではないだろうか?

 

Text:岡田邦雄/Photo:羽田 洋/カーマガジン478号(2018年4月号)より転載

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