鮒子田は若干20歳でトヨタ2000GTの世界記録樹立の一員に抜擢され、その後も3世代に渡るトヨタ7の開発に従事した。しかもトヨタの契約レーサーのなかで最も多くの優勝をもたらして、エースとしての自負もあった。しかし、その境遇に飽き足らず、世界のフィールドに飛び出した最初の日本人レーサーのひとりである。 この記事をシェアする 記事にもどる Text&Photo:岡田邦雄/カーマガジン472号(2017年10月号)より転載 TAG : 2000GTトヨタ日本グランプリ鮒子田寛 ■関連記事 時代とともに変容するラグジュアリーカーのカタチ、国産ラグジュアリーの到達点「トヨタ・センチュリー」 【スクープ】トヨタ「ハイラックス」が9年ぶりフルモデルチェンジへ! ライバルとされる三菱「トライトン」はどうなる? 「ル・ボランCARSMEET」 公式SNSフォローして最新情報をゲット! Follow @carsmeet_web