フェラーリ250GTOを打ち負かしたデイトナ・コブラはあのエンツォにも脅威!?【GALLERIA AUTO MOBILIA】#009

2019/08/09 10:00

様々な断片から自動車史の広大な世界を菅見するこのコーナー。今回はフォードGT40とフェラーリによる頂上決戦のかたわらで、GTクラスにも君臨していたフェラーリ250GTOを打ち破るために、キャロル・シェルビーがピート・ブロックに指令して生まれたデイトナ・クーペについて語りたい。

フォード製V8エンジンが搭載されたシェルビー・コブラが誕生

キャロル・シェルビーはイギリスのジョン・ワイヤーから才能を見初められ、アストンマーティンのワークス・ドライバーに抜擢され1959年のル・マン24時間にて優勝した。アメリカ生まれのアメリカ人による最初のル・マン制覇だ。しかし翌年、このテキサス生まれのタフガイには心臓の病が見つかり、レーサーという職業を断念せざるを得なかった。
そこで1961年に、シェルビーはカリフォルニアにドライビング・スクールを開設する。ピート・ブロックを講師として雇っているが、彼こそはシェルビーの最初の社員だった。シェルビーは同時にアメリカ製スポーツカーのプランも練っており、フォードから新開発のスモール・ブロックのV8エンジンの提供を受ける。車体は、シェルビーがソルト・レイクにおいてヒーリーのスピード記録計画の一員だったこともあり、ビッグ・ヒーリーをベースにすることを考えた。しかし、そのシャシーと足まわりはすでに時代遅れのものであったため英国のACにコンタクトを取った。ジョン・トジェイロが設計したレーシングカーをベースとするACエースは、ちょうどブリストルに替わるエンジンを模索中だったため、ACのオーナーであるハーロックはシェルビーと握手を交わしたのだった。

『ザ・コブラ-フェラーリ・ウォーズ』は1963年‐1965年までのフェラーリとシェルビー・コブラによる各レースの戦いぶりと技術的変遷を解説してくれる労作。

1962年1月、イングランドのACの工場でフォード製V8エンジンが搭載されたACはCSX0001(Carrol Shelby Experimental No.1)と呼ばれ、未塗装のアルミ・ボディのままシェルビーの元に送られた。シェルビーは、このクルマに何か新しい名前を付けようと悩んだが、夢のなかで『コブラ』という名前を思いついたのだそうだ。かくして4月のニューヨーク・オートショーでシェルビー・コブラはデビューした。デビューレースは同年10月にリバーサイド・スピードウェイで開催された3時間レースであった。より大排気量のコルベットに対し、コブラはトップを走っていたがリタイアに終わっている。次は12月のナッソー・スピードウィークであり、このレースではフェラーリ250GTOが上位を独占し、コブラはまたもリタイアに終わっている。

Text:岡田邦雄/Photo:横澤靖宏/カーマガジン461号(2016年11月号)より転載

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