様々な断片から自動車の広大な世界を垣間見るこのコーナー。今回は、時には”ミスター・フェラーリ”と呼ばれるほど、多くのフェラーリをデザインしてきたレオナルド・フィオラヴァンティ氏を取り上げる。同氏は誰よりも、ピニンファリーナが誇るデザイン哲学の伝統を継承・発展させた中興の祖でもある。来日した彼と数日を共に過ごし、彼の謦咳に接した。
レオナルド・フィオラヴァンティの場合……
カロッツェリアは、ボディ専門工房として、自動車が産業として大きくなるのに伴なって発展していった。自動車産業があるところ、例えばドイツにもフランスにもイギリスにもあった。そもそもが土台となる車体(シャシー)があって、そこにエンジンなど様々な装置を取り付けて走行する機関が出来上がったところに、操縦する人と乗車する人のための椅子を載せ、それを覆うためのものだったが、最初は馬車の形態に近く、馬車の製作工房がこの馬なし馬車の工房に転換した例も多かった。
文字どおり、最初は馬なし馬車として出発した自動車は、やがて独自の形態的発展をしていく。自動車は生まれた当初から性能や速度を競い合うようなところがあり、レースが開催されるようになると、まもなく空気を切り裂いて走る自動車には空力が大事な要素であることが認識されるようになってきた。黎明期からそれに気がついている人たちはいたが、より広範に認識されるようになってきたのは1930年代からだろう。ル・マンで優勝したブガッティなどが先駆的な存在だ。ブガッティと同じフランスのカロシェ(カロッツェリアと同義)も1930年代には流れるようなデザイン(フランボワイヤン)を大型の高級車に採用したが、それはイメージとしての速度感をデザインしたもので、例えれば波を掻き立てて走るモーターボートのような装飾的なイメージである。
しかしイタリアでは、カロッツェリア・トゥーリングやザガートなどが製作したのは、ミッレミリアやル・マンなどのレースにおける性能向上を真剣に考えての空力的デザインであった。ピニンファリーナも空力に関心を抱いたカロッツェリアで、レーシングカーのデザインこそ多くはないが、ランチア・アストゥーラなどの大型のツアラーに、流麗だがフランスのフランボワイヤンほど退廃的に華美ではなく、機能と美しさが調和したデザインを施した。すでにピニンファリーナ的なデザインというものが確立していたようだ。