「MINI」。それはアレック・イシゴニスの アイデアから生まれた傑作【世界の傑作車スケルトン図解】#03-2

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自動車史に燦然と輝くエヴァーグリーン

現在、世界中のコンパクトカーの主流となっている「横置きFFの2ボックス」レイアウト。そのすべての源流は1959年に誕生した、一台の「小さな巨人」にあった。もはや言うまでもあるまい。自動車史に輝く金字塔、BMCミニである。

ミニの創造主たるアレック・イシゴニス卿。1948年のモーリス・マイナーを端緒に、BMCの傑作の大部分を生み出した伝説的設計者。

当時のイギリス最大手メーカーだったBMC(ブリティッシュ・モーター・カンパニー)は、1956年に発生したスエズ動乱とその後の石油危機に対応して、燃費の良い超小型車の可能性を模索していた。そしてその指示に応えて、同社技術陣のホープだったアレック・イシゴニスは、以前から暖めていた計画を実行。自らボディデザインまで手掛けた全長3054×全幅1410×全高1346mmという極端に小さな、しかし偉大なクルマを創造することになる。

小さな車体の4隅に小径タイヤを配し、前端にパワートレインを集中。さらにラバーコーンを採用したサスペンションなど、スペース効率を徹底的に追求したレイアウトは、まさに画期的だった。

彼のアイデアは横置きエンジンによる前輪駆動という画期的なもの。加えてスペース効率向上のため、エンジンの真下にギアボックスとデフを置く、その名も「イシゴニス方式」と呼ばれた駆動系や、サスペンションにも円錐型ゴム製スプリング「ラバーコーン」を採用するなど、革新的アイデアの塊だった。

ミニの高性能版、ミニ・クーパーは持ち前の資質を生かしてモータースポーツでも活躍。

かくして1959年8月にデビューしたミニだが、ほどなく持ち前の俊敏かつ安定したハンドリングが、当時の英国に数多く存在したチューナーたちの目に留まるようになっていた。中でも、1959〜1960年にF1世界選手権を制したジョン・クーパーは、友人であるイシゴニスに、より速く快適なミニを作ることを提案。1961年には997ccに排気量を拡大する一方、ツインキャブ化などで55㎰までスープアップした「ミニ・クーパー」が発売されるに至った。

モンテカルロ・ラリーでの戦果は、自動車
史に輝くものとなる。

さらに、モータースポーツにおける優位性を確たるものとするべく、1963年にはエンジンを中心にさらなるチューンアップを加えたクーパーSが登場。欧州ツーリングカー選手権をはじめとするサーキットレースは「クーパー・ワークス」として、ラリーは「BMCワークス」として参戦。特にモンテカルロ・ラリーでは1964、1965、1967年に総合優勝(1966年は主催者側の言いがかりに近い理由で失格)するなど、素晴らしい戦果を重ねてゆくことになったのだ。

40年以上に及ぶ生産期間には、テールを延長したワゴン「カントリーマン/トラベラー」や、多目的車「モーク」など、個性的な派出モデルが作られたのも、ミニの重要なトピック。

その後ミニは数多くの小変更を受けつつ、あるいはブランドも変わりながら2000年まで生産。自動車史に残る傑作として語り継がれているのである。

 

BMCからBL、ローバーへとブランドを移行しつつ、最終的には2000年まで生産されたロングセラー。1980年代には、主に日本市場のリクエストから一旦は途絶えたクーパー版も復活を遂げた。

解説:武田公実

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