史上最高の自動車エンジンを搭載したレールカー
しかし、エットーレの発想の転換は素晴らしく、ロワイヤルのエンジンを搭載したAutorail(レールカー=軌道車)の開発にとりかかる。そして、ETAT(フランスにおける国鉄で、1938年からは他の民間鉄道会社を吸収してSNCFとなった)の賛同を得ると、1932年の1年間は開発に没頭し、翌1933年の夏にはエットーレ作のレールカーが、パリと避暑地ドーヴィルを結ぶ路線で実用化された。鉄輪とホイールの間にはゴムが挿入されて緩衝材となり、そのためか乗り心地は良かった、という。車室もブガッティT57を偲ばせるような気品のある作りだった。その頃にはエットーレの長男ジャンがブガッティのデザインに関与していたから、レールカーの魅惑的なエクステリアとインテリアはジャンが多くを担ったデザインなのだろう。
レールカーは79両がフランス国鉄に納入された。1両だけで走るタイプ(2基のエンジンを搭載して400馬力)、それに客車を連結した2両タイプ(4基のエンジンで800馬力)、真ん中が動力車で、その前後に客車を連結した3両タイプの3種類があった。操縦席はユニークなことに先頭ではなく、車体の上に突き出たキャノピーのなかにあった。高くて見晴らしのいい位置である。ジャンの操縦による試走では、パリからストラスブールまでを平均144km/hで走り、ある区間では200km/hに届きそうな速度を記録した。このレールカーたちは、戦後も1958年まで現役として活躍している。
レールカーの製造は、ブガッティに利益をもたらしたが、喜ばしいことばかりではなかった。レールカー生産のために工場を拡張することと合わせて、新たに工員たちを雇い入れたが、それまでのエットーレをル・パトロン(親方)として信頼を寄せる工員たちとは志が違った。自らが製造する機械への矜持よりも、待遇の改善と金銭を要求する労働者たちの増加は、やがてブガッティがモールスハイムに築き上げた秩序あるブガッティ王国崩壊への最初の亀裂ともなったのだった……。
今日でも、ミュールーズの鉄道博物館で、レールカーの実物を見る事ができる。パリのリヨン駅からTGV(そのフロント・デザインにレールカーへのリスペクトが指摘される)の直行便(ストラスブール経由なら東駅から)に乗って、ミュールーズへ。ミュールーズ市街では新たに導入されたトラム(市電)に乗って自動車博物館へも鉄道博物館へも行くことができる。
他のブガッティなら運転することは可能だが、レールカーの場合は操縦することは望むべくもない。けれど、いつかは走る姿を見てみたいし、出来たら客席にも乗ってみたい。私は、蚤の市で偶然に見つけたブリキのレールカーを眺めながら、そんな夢想をしている。